ケー・ドルセー41番地

ケー・ドルセー41番地

毎月月末、館より届く鈍色の便り

第50書簡「41, Quai d'Orsay」

彼の母は彼を𠮟る時、よく「アンタは橋の下で拾ったんだからね」と言ったので、彼は自分を、もともと河岸に捨てられていた孤児なのだと思っていた。 彼ら母子の住まいは、壁面の煉瓦(レンガ)が泥と煤(すす)でまだら色になった古い借家の二階にあった。た…

第49書簡「精神の入れ子人形」

世間の潮流に疎いために、いつも要らぬ心労ばかり被っている。 音楽やファッションのトレンドを知らないために、会話が噛み合わず気まずい思いをする。テレビやストリーミングサービスで何それが話題と聞いても、当然見ていないために返事に困る。時事どころ…

第48書簡「人生の座付き作家」

先日、劇団唐組の日々を追いかけたドキュメンタリー映画『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』を観た。 唐十郎氏の2007年のドキュメンタリー映画『シアトリカル』、最高だったんですが。『行商人ネロ』の公演準備を追った実録でしたが画面越しにも伝わる…

第47書簡「アンビバレンスな箱庭で」

何とも危ういことを危うい均衡(バランス)でし続けて来たものだと、最近思うようになった。 全ての人の生涯に当てはまることかもしれないし、私の毎日も相変わらず奈落の上を行(ゆ)く綱渡りだ。ただまァこのブログで書くことであるから、今回の話も当然、…

第46書簡「夢うつつを旅する男」

先日、YouTubeの動画にて、あるネイルポリッシュの紹介をした。 何でも、江戸川乱歩の作品世界をオマージュしたマニキュア、ということらしい。『人間椅子』『パノラマ島綺譚』といった主に初期作品が、めいめいに想像される色合いで、羽ペン風のカラー剤と…

第45書簡「嫌い!嫌い!大嫌い!」

20世紀、R・D・レイン(ロナルド・ディヴィッド・レイン)という精神科医がいた。 「反精神医学」の取り組みなんかで知られる人で、ざっくり言えば「精神病なぞ存在しない。それは社会にとって不都合な人材に対して貼られる身勝手なレッテルにすぎない」とい…

第44書簡「ファッキン・カントリー」

東京に何年も住んでいると、定期的に周囲の誰かしらがこういうことを言い出す。 「東京は疲れた。田舎で暮らしたい」 この「田舎」とは、出生の地というより、未だ都会化していない静かで辺鄙(へんぴ)な地域を指している。 人混みに揉まれ、その野牛の群れ…

第43書簡「眠りの血判状」

けたたましいアラーム音がする。泥の中から引き抜かれたように意識が戻って来る。 枕元で手を振り回して筐体(スマートフォン)を掴み取り、重い瞼をこじ開けて覗き見る。そろそろ動き出さなければならない時間。鉛のような身体を起こそうとして、いつものよ…

第42書簡「感情のサイボーグ」

生まれつき脳に欠陥があり、自立生活が困難なため、薬物治療を試みたことがある。 1日1回、朝に1錠服用すれば良い、という青い被包製剤(カプセル)を貰った。その「1日1回決まった薬を飲む」という行為がまず難儀なのだがと不平を漏らしながら、副作用に耐…

第41書簡「時代の極地へ向かって」

古代ギリシャの哲学者・アリストテレスがその昔、「美徳とは、過剰と不足というふたつの両極端なものの中庸にある」と言ったらしい。 『ニコマス倫理学』ではその例として「勇気」を挙げている。勇気は人として持っていたい立派な「美徳」であるが、不足すれ…

第40書簡「エゴイスティックな媒介者」

先月、知人男性から大量の着物を譲ってもらった。 元はその着物は、妹のものだったという。お母様が機会あるたびに妹様のために拵(こしら)えたもので、中にはお母様が糸を紡ぎ織った布で仕立てたものもあった。しかし妹様は病気で若くして亡くなられ、殆ど…

第39書簡「未来世界で死ぬために──生成AIに対する一個人の見解と所感」

今、時代は「第3次AIブーム」を迎えている。 1950年代に萌芽を見せた人工知能 Artificial Intelligence は、現在のSiriの起源になったとも言われるELIZE(イライザ)が60年代に誕生したことによって一躍注目を浴び「第1次AIブーム」を巻き起こした。寺山修司…

第38書簡「脳天に戴く死骸」

最近、日常的に使っているヘアオイルとヘアマスクを刷新した。 もう彼是(かれこれ)7、8年ほど、赤だの青だの金だの所謂いわゆる「派手髪」というスタイルを続けてきて、脱色と染色で傷みきった頭髪にこのふたつの化学薬品は欠かせなくなっている。薬局ドラ…

第37書簡「愉快で楽しい悪口」

インターネット上の誹謗中傷が、長らく問題になっている。 日夜SNSを眺めていて、ネットサーフィンをしていて、誹謗中傷を目にしない日はない。特定の人物の言動への行き過ぎた非難から、容姿への嘲笑、人格の否定、虚偽の吹聴、性別や障害や国籍への差別───…

第36書簡「自殺のすゝめ」

7月1日、『完全自殺マニュアル』という書籍を特集した動画を自身のチャンネルに公開した。 自殺のススメ!?有害図書指定までされた『完全自殺マニュアル』の意外すぎる真意とは 鶴見済というライターによって1993年に発表された本書には、自殺に相応しい場所…

第35書簡「王子様コンプレックス」

すべての事物から浪漫(ロマン)の面紗(ヴェール)が剥ぎ取られて久しい。 かつて海軍大臣として第一次大戦に従軍した英国(イギリス)の首相ウィンストン・チャーチルは、自著『世界の危機』の中で、 「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られて…

第34書簡「紅色の浪漫──追悼・唐十郎氏」

寺山修司という鬼才の錬金術師、はたまた希代のペテン師の、呪詛と倒錯と哀愁の劇世界に夢中になっていた10代の折。何だか妙な響きを持って記憶にへばり付く、とある名前を見聞きした。 異国人のような妖しさと益荒男(ますらお)のような逞しさを併せ持つそ…

第33書簡「品行方正な悪趣味」

大人になる前に誰しもが必ず直面するひとつの物語の終わりを何と呼ぶべきか、考えあぐねている。 バーネット夫人『小公子』の主人公セドリックは、貧しい中でも明るく素直な性格を失わず、彼を疎んじる祖父の心をも動かしたことで周囲の者を幸福へと導いてゆ…

第32書簡「思考起爆剤としての病」

ここしばらく、酷い風邪にかかっていた。 いくら薬を飲んでも咳が止まらず、気怠さと熱っぽさに耐えかねウンウンと唸っていた。元来はそれほど風邪を引いたり拗らせる方ではなかったはずだが、ここ最近は季節が変わるたびに風邪を引くし、一度症状が出るとイ…

第31書簡「殺せ!心の今昔物語」

平安時代の末期に成立したという、『今昔物語集』という説話集がある。 日本から中国、天竺(インド)までの説法、怪奇譚、恋愛物語等を多数収録した選集で、有名なものでは芥川龍之介の短編として馴染み深い『鼻』や『羅生門』の元ネタも、ここに収録されて…

第30書簡「鳥が運ぶ死考の黎明」

今月頭、兵庫県尼崎市にある「シャレコーベ・ミュージアム」という施設に撮影取材に赴いた。 何でも趣味が高じた1コレクターが膨大な個人コレクションを収蔵するために建ててしまった博物館ということで、まさに趣味人の理想を具現化したような驚異の空間(…

第29書簡「巡り来る最後」

dilettantegenet.hatenablog.com 東山の峻太郎さんへ。 彼(あ)の御正月から、猶(も)う1年も経つのね。去年の冬は随分と寒かったけれど、今年は然(そ)うでも無くって、外套(オーバーコート)の襟元( )を緊(きつ)く締めて天神さんの長い石段を貴方…

第28書簡「変わり者の友情哲学」

「好事家たるもの、孤高であれ」というようなことを、動画でよく口にする。変わり者であるせいで周囲から孤立しているだけであるのを、まるで自ら選び取った独立であるかの如く傲岸不遜に誇れと、以前第五書簡「好事家の矜持」でも書いたことではあるが、私…

第27書簡「怠惰なる眼」

先月の生放送でも話題に出したが、ここしばらく『伝説巨神イデオン』を少しずつ見ている。 1980~1981年にかけて放映されたサンライズのロボットTVアニメで、1979年に放映された『機動戦士ガンダム』の後続番組として、富野由悠季氏が引き続き総監督を務めた…

第26書簡「音楽という不可解」

インターネットで日頃様々な文化に言及をしていると、音楽の趣味についても尋ねられることがある。しかしその度に、何と答えるべきか、私は返答に窮することになる。 これまでYouTubeで100本以上の動画の制作し、「文化の経糸を己の感性という緯糸で横断する…

第25書簡「落伍者の夜間学校」

二十歳も少し過ぎた頃、私は遅まきながら家出同然で実家を出たのであるが、煙草と数着の衣服だけが入ったトランクケース片手の栄誉ある独立は、当然のごとくその後しばらくの貧乏生活を私に強要した。 空の冷蔵庫を開けては途方に暮れたり、ようやく部屋を借…

第24書簡「不在と絶望の表象としての少女」

10代後半の頃、70年代に発表された少女漫画を熱心に読んでいたことがある。 萩尾望都『ポーの一族』や竹宮恵子『風と木の詩』、池田理代子『ベルサイユのばら』、大島弓子『綿の国星』、木原敏江『摩利と新吾』、山岸涼子『日出処の天子』、三原順『はみだし…

第23書簡「滅びに生まれる物語」

昨日、祖母が死んだ。 馴染みの呑み屋で安酒を舐めている最中だった。カウンターの隅に打ち遣(や)っていた携帯電話(スマートフォン)の罅(ひび)割れた液晶画面が光って、片手に濡れたグラスを離さないままもう片方の手で画面を開けば、親族からの、祖母…

第22書簡「狂犬に学ぶ死生学」

犬が好きか、猫が好きか、と聞かれたら、犬だと答える。 別段、深い理由はない。幼少期に住んでいた家に、ほんの通路程の幅ではあるが、遊蝶花(パンジー)だの鬱金香(チューリップ)だの君影草(スズラン)などが季節毎におずおずと花開いてみせる、凡(お…

第21書簡「ジュネ・サヴァランの珍食礼賛」

食べることが好きだ。もしこの胃袋が一杯になることを知らなかったなら、この身体が愛する洋服たちのための人形(マヌカン)でなかったなら、私は止むことなく口に物を運び続けているだろう。 何処で読んだか記憶が曖昧だが、他人の胃袋を借りて食事をする創…