ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第32書簡「思考起爆剤としての病」

ここしばらく、酷い風邪にかかっていた。 いくら薬を飲んでも咳が止まらず、気怠さと熱っぽさに耐えかねウンウンと唸っていた。元来はそれほど風邪を引いたり拗らせる方ではなかったはずだが、ここ最近は季節が変わるたびに風邪を引くし、一度症状が出るとイ…

第31書簡「殺せ!心の今昔物語」

平安時代の末期に成立したという、『今昔物語集』という説話集がある。 日本から中国、天竺(インド)までの説法、怪奇譚、恋愛物語等を多数収録した選集で、有名なものでは芥川龍之介の短編として馴染み深い『鼻』や『羅生門』の元ネタも、ここに収録されて…

第30書簡「鳥が運ぶ死考の黎明」

今月頭、兵庫県尼崎市にある「シャレコーベ・ミュージアム」という施設に撮影取材に赴いた。 何でも趣味が高じた1コレクターが膨大な個人コレクションを収蔵するために建ててしまった博物館ということで、まさに趣味人の理想を具現化したような驚異の空間(…

第29書簡「巡り来る最後」

dilettantegenet.hatenablog.com 東山の峻太郎さんへ。 彼(あ)の御正月から、猶(も)う1年も経つのね。去年の冬は随分と寒かったけれど、今年は然(そ)うでも無くって、外套(オーバーコート)の襟元( )を緊(きつ)く締めて天神さんの長い石段を貴方…

第28書簡「変わり者の友情哲学」

「好事家たるもの、孤高であれ」というようなことを、動画でよく口にする。変わり者であるせいで周囲から孤立しているだけであるのを、まるで自ら選び取った独立であるかの如く傲岸不遜に誇れと、以前第五書簡「好事家の矜持」でも書いたことではあるが、私…

第27書簡「怠惰なる眼」

先月の生放送でも話題に出したが、ここしばらく『伝説巨神イデオン』を少しずつ見ている。 1980~1981年にかけて放映されたサンライズのロボットTVアニメで、1979年に放映された『機動戦士ガンダム』の後続番組として、富野由悠季氏が引き続き総監督を務めた…

第26書簡「音楽という不可解」

インターネットで日頃様々な文化に言及をしていると、音楽の趣味についても尋ねられることがある。しかしその度に、何と答えるべきか、私は返答に窮することになる。 これまでYouTubeで100本以上の動画の制作し、「文化の経糸を己の感性という緯糸で横断する…

第25書簡「落伍者の夜間学校」

二十歳も少し過ぎた頃、私は遅まきながら家出同然で実家を出たのであるが、煙草と数着の衣服だけが入ったトランクケース片手の栄誉ある独立は、当然のごとくその後しばらくの貧乏生活を私に強要した。 空の冷蔵庫を開けては途方に暮れたり、ようやく部屋を借…

第24書簡「不在と絶望の表象としての少女」

10代後半の頃、70年代に発表された少女漫画を熱心に読んでいたことがある。 萩尾望都『ポーの一族』や竹宮恵子『風と木の詩』、池田理代子『ベルサイユのばら』、大島弓子『綿の国星』、木原敏江『摩利と新吾』、山岸涼子『日出処の天子』、三原順『はみだし…

第23書簡「滅びに生まれる物語」

昨日、祖母が死んだ。 馴染みの呑み屋で安酒を舐めている最中だった。カウンターの隅に打ち遣(や)っていた携帯電話(スマートフォン)の罅(ひび)割れた液晶画面が光って、片手に濡れたグラスを離さないままもう片方の手で画面を開けば、親族からの、祖母…

第22書簡「狂犬に学ぶ死生学」

犬が好きか、猫が好きか、と聞かれたら、犬だと答える。 別段、深い理由はない。幼少期に住んでいた家に、ほんの通路程の幅ではあるが、遊蝶花(パンジー)だの鬱金香(チューリップ)だの君影草(スズラン)などが季節毎におずおずと花開いてみせる、凡(お…

第21書簡「ジュネ・サヴァランの珍食礼賛」

食べることが好きだ。もしこの胃袋が一杯になることを知らなかったなら、この身体が愛する洋服たちのための人形(マヌカン)でなかったなら、私は止むことなく口に物を運び続けているだろう。 何処で読んだか記憶が曖昧だが、他人の胃袋を借りて食事をする創…

第20書簡「悪魔の人生論」

昨日3月30日は、90年代の終わりに「ネットアイドル」として注目を浴びた南条あやの命日だった。 彼女は「精神を病んだ私」の徒然(つれづれ)をインターネット上にあけすけに綴り、そのポップで巧みな文章力と屈託のないキャラクターで一部のネットユーザー…

第19書簡「さらば、90年代」

先日2月16日、新宿のロフトプラスワンで開催されたトークセッション「90年代サブカルチャー大総括〜鬼畜系とは何だったのか〜」にゲストの一人として出演させていただいた。90年代の露悪的で非道徳な「悪趣味ブーム」の振り返りや、そしてそのサブジャンルと…

第18書簡「メンヘラ表現変幻考」

「病み」がポップなアイコンとなって、随分と経った。「メンヘラ」というネットスラングが現実世界でも通じるようになって、久しくなった。 この「病み」とは勿論、身体を犯すそれではない。心に巣食い精神を蝕む、見えない病魔のことである。 私は2010年代…

第17書簡「幾度目かの最初」

乙訓の久子へ。 君に斯(こ )うして手翰(てがみ )を書くのは初めてだ。否(いや)、書く事自体は実の処(ところ )初めてでない、此(こ )れ迄(まで )何度も浅猿(あさま )しい情念(パッシオン )に駆られ便箋を乱筆で汚しては、否、僕の心情( は此…

第16書簡「母殺しのドグマ」

先日このようなツイートをした。 すべての女性の人生は母殺しの物語であると思ってきたし、少なくとも私の人生はそういうたぐいのものでした。しかして最近の親しい友人同士のような母娘の関係を眺める時、未来の少女たちはこれから一体誰を心の中で殺してゆ…

第15書簡「呪われたハロウィン」

本日10月31日は、ハロウィン祭 Halloween である。 もとは古代アイルランドのケルト人の祝祭であったハロウィンは、アメリカでは19世紀にアイルランド人やスコットランド人が移住して以来民間行事として定着したが、すでに現代においては宗教的意味合いを失…

第14書簡「トリップ・オン・ミー」

自己理解を提唱するノウハウ本、性格診断や適性分析、SNSに投稿されるあけすけな内心吐露への共感、自分探しの旅……。 「自分」という暗部をどうにか言語によって定義し、さもしい類型(パターン ) の何れかへ分類し、それが確かに形を持って存在するものだ…

第13書簡「不良の美学」

高校生の頃、同級生らとコピーバンドを組んでいた。目の周りを真っ黒に塗り潰して、髪を逆立てて、マイクに噛みついて狂犬病患者のように喚いていた。 反抗的(パンク ) であることに憧れていた。窓硝子を割ったこともない、バイクを盗んだこともない、家出…

第12書簡「貧しさと洗練」

日本は貧しくなったという。 フムなるほど、と俗な価値観で卑近な駄菓子を思い浮かべてみる。永らくずっとお札型のイメージだったキットカットは、そういやハンケチのような正方形型に似てきた気がするし、雪見だいふくは気が付けば昔の半分ほどのサイズにな…

第11書簡「老舗喫茶ランデヴー」

初めて「老舗喫茶」という空間に足を運んだのは、高校生の頃だったと思う。 当時の私は低俗凡庸な日常風景を嫌悪し、梶井基次郎の『檸檬』の主人公の如く、連日街をそぞろ歩きしていた。その精神的苦痛に満ちた逃避行の顛末は前回の記事で書いた通りだが、そ…

第十書簡「我が師匠──或る耽美主義者の面影」

これは今から約10年ほど前の話だ。 まだ10代だった私は、無味乾燥な日常にうんざりして、心安らぐ箱庭欲しさに夢遊病者のように街を徘徊する日々を送っていた。どこを歩いても、ルートヴィヒ2世の狂気のノイシュヴァンシュタイン城は現れないし、デ・ゼッサ…

第九書簡「無個性の欺瞞」

先日、渋谷で開催されていた「半・分解展」に足を運んだ。 フランス革命から一次大戦頃までの西洋の衣服を、外見のみならず構造からも見ることをテーマに、本物のアンティーク服を実際に触れたり嗅いだり着用して楽しめるという、非常に画期的な展示であった…

第八書簡「遥かなるかな、故郷」

私が生まれ育ったのは、いつも湿った大気に覆われた盆地だった。 夏は蒸し暑く、汗は粘りついて素肌に纏わりつき、冬はいくら着こんでも衣服の下から冷気が入り込んで、底冷えして仕方がなかった。その寒気は、発熱前の悪寒によく似ていた。 どこを向いても…

第七書簡「虚無という悦楽」

ごく幼い頃、どんぐりの蒐集に凝っていたことがある。原始的な所有欲を満たすに、あのアンバー色に光沢するすべらかな長楕円の果実は充分な魅力に満ちていた。特に価値が高いのは種子がみっしりと詰まった肥えたどんぐりで、飢えた栗鼠のように、落穂を拾う…

第六書簡「ファッショナブル・アングラ」

学ランとセーラー服。着物と軍服。遺影と柱時計を抱え、背後にはためくのは日章旗。般若面や狐面、数珠や呪符といった呪術的なアイテム。見世物や同性愛といったマイノリティ要素。背徳的な娯楽としての殺傷、自傷、折檻 ────サディズムとマゾヒズムの合間を…

第五書簡「好事家の矜持」

私たちは不思議な時代を生きている。言葉がかくも無力になりながら、しかし何より言葉を恐れている、矛盾した時代をだ。 今日も電子の海 ( インターネット ) に無数のあぶくのごとく生まれる言葉は、無関心にスワイプされ、情報の濁流として意味もなく流れ…

第四書簡「花のエロティカ」

自然物より人工物が好きだ。あらゆる動植物のすがたかたち、万物の現象を美しいと感嘆する心はあるけれど、それが今まさに脈動している天然の結果なのか、そこから一度切り離された遺物、あるいは模造品 ( レプリカ ) であるかどうかには執着がない。遥か…

第三書簡「言葉の標本箱」

漢字が読めない。 大した取り柄のない私が唯一胸を張れる情けない自負とは「読み間違いで掻いた恥の数だけは、誰にも負けない」である。 漢字が読めない。私のYouTube動画には、たまに口の動きと発音が連動していないカットが紛れ込んでいる。このことにすで…