ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第39書簡「未来世界で死ぬために──生成AIに対する一個人の見解と所感」

今、時代は「第3次AIブーム」を迎えている。 1950年代に萌芽を見せた人工知能 Artificial Intelligence は、現在のSiriの起源になったとも言われるELIZE(イライザ)が60年代に誕生したことによって一躍注目を浴び「第1次AIブーム」を巻き起こした。寺山修司…

第38書簡「脳天に戴く死骸」

最近、日常的に使っているヘアオイルとヘアマスクを刷新した。 もう彼是(かれこれ)7、8年ほど、赤だの青だの金だの所謂いわゆる「派手髪」というスタイルを続けてきて、脱色と染色で傷みきった頭髪にこのふたつの化学薬品は欠かせなくなっている。薬局ドラ…

第37書簡「愉快で楽しい悪口」

インターネット上の誹謗中傷が、長らく問題になっている。 日夜SNSを眺めていて、ネットサーフィンをしていて、誹謗中傷を目にしない日はない。特定の人物の言動への行き過ぎた非難から、容姿への嘲笑、人格の否定、虚偽の吹聴、性別や障害や国籍への差別───…

第36書簡「自殺のすゝめ」

7月1日、『完全自殺マニュアル』という書籍を特集した動画を自身のチャンネルに公開した。 自殺のススメ!?有害図書指定までされた『完全自殺マニュアル』の意外すぎる真意とは 鶴見済というライターによって1993年に発表された本書には、自殺に相応しい場所…

第35書簡「王子様コンプレックス」

すべての事物から浪漫(ロマン)の面紗(ヴェール)が剥ぎ取られて久しい。 かつて海軍大臣として第一次大戦に従軍した英国(イギリス)の首相ウィンストン・チャーチルは、自著『世界の危機』の中で、 「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られて…

第34書簡「紅色の浪漫──追悼・唐十郎氏」

寺山修司という鬼才の錬金術師、はたまた希代のペテン師の、呪詛と倒錯と哀愁の劇世界に夢中になっていた10代の折。何だか妙な響きを持って記憶にへばり付く、とある名前を見聞きした。 異国人のような妖しさと益荒男(ますらお)のような逞しさを併せ持つそ…

第33書簡「品行方正な悪趣味」

大人になる前に誰しもが必ず直面するひとつの物語の終わりを何と呼ぶべきか、考えあぐねている。 バーネット夫人『小公子』の主人公セドリックは、貧しい中でも明るく素直な性格を失わず、彼を疎んじる祖父の心をも動かしたことで周囲の者を幸福へと導いてゆ…

第32書簡「思考起爆剤としての病」

ここしばらく、酷い風邪にかかっていた。 いくら薬を飲んでも咳が止まらず、気怠さと熱っぽさに耐えかねウンウンと唸っていた。元来はそれほど風邪を引いたり拗らせる方ではなかったはずだが、ここ最近は季節が変わるたびに風邪を引くし、一度症状が出るとイ…

第31書簡「殺せ!心の今昔物語」

平安時代の末期に成立したという、『今昔物語集』という説話集がある。 日本から中国、天竺(インド)までの説法、怪奇譚、恋愛物語等を多数収録した選集で、有名なものでは芥川龍之介の短編として馴染み深い『鼻』や『羅生門』の元ネタも、ここに収録されて…

第30書簡「鳥が運ぶ死考の黎明」

今月頭、兵庫県尼崎市にある「シャレコーベ・ミュージアム」という施設に撮影取材に赴いた。 何でも趣味が高じた1コレクターが膨大な個人コレクションを収蔵するために建ててしまった博物館ということで、まさに趣味人の理想を具現化したような驚異の空間(…

第29書簡「巡り来る最後」

dilettantegenet.hatenablog.com 東山の峻太郎さんへ。 彼(あ)の御正月から、猶(も)う1年も経つのね。去年の冬は随分と寒かったけれど、今年は然(そ)うでも無くって、外套(オーバーコート)の襟元( )を緊(きつ)く締めて天神さんの長い石段を貴方…

第28書簡「変わり者の友情哲学」

「好事家たるもの、孤高であれ」というようなことを、動画でよく口にする。変わり者であるせいで周囲から孤立しているだけであるのを、まるで自ら選び取った独立であるかの如く傲岸不遜に誇れと、以前第五書簡「好事家の矜持」でも書いたことではあるが、私…

第27書簡「怠惰なる眼」

先月の生放送でも話題に出したが、ここしばらく『伝説巨神イデオン』を少しずつ見ている。 1980~1981年にかけて放映されたサンライズのロボットTVアニメで、1979年に放映された『機動戦士ガンダム』の後続番組として、富野由悠季氏が引き続き総監督を務めた…

第26書簡「音楽という不可解」

インターネットで日頃様々な文化に言及をしていると、音楽の趣味についても尋ねられることがある。しかしその度に、何と答えるべきか、私は返答に窮することになる。 これまでYouTubeで100本以上の動画の制作し、「文化の経糸を己の感性という緯糸で横断する…

第25書簡「落伍者の夜間学校」

二十歳も少し過ぎた頃、私は遅まきながら家出同然で実家を出たのであるが、煙草と数着の衣服だけが入ったトランクケース片手の栄誉ある独立は、当然のごとくその後しばらくの貧乏生活を私に強要した。 空の冷蔵庫を開けては途方に暮れたり、ようやく部屋を借…

第24書簡「不在と絶望の表象としての少女」

10代後半の頃、70年代に発表された少女漫画を熱心に読んでいたことがある。 萩尾望都『ポーの一族』や竹宮恵子『風と木の詩』、池田理代子『ベルサイユのばら』、大島弓子『綿の国星』、木原敏江『摩利と新吾』、山岸涼子『日出処の天子』、三原順『はみだし…

第23書簡「滅びに生まれる物語」

昨日、祖母が死んだ。 馴染みの呑み屋で安酒を舐めている最中だった。カウンターの隅に打ち遣(や)っていた携帯電話(スマートフォン)の罅(ひび)割れた液晶画面が光って、片手に濡れたグラスを離さないままもう片方の手で画面を開けば、親族からの、祖母…

第22書簡「狂犬に学ぶ死生学」

犬が好きか、猫が好きか、と聞かれたら、犬だと答える。 別段、深い理由はない。幼少期に住んでいた家に、ほんの通路程の幅ではあるが、遊蝶花(パンジー)だの鬱金香(チューリップ)だの君影草(スズラン)などが季節毎におずおずと花開いてみせる、凡(お…

第21書簡「ジュネ・サヴァランの珍食礼賛」

食べることが好きだ。もしこの胃袋が一杯になることを知らなかったなら、この身体が愛する洋服たちのための人形(マヌカン)でなかったなら、私は止むことなく口に物を運び続けているだろう。 何処で読んだか記憶が曖昧だが、他人の胃袋を借りて食事をする創…

第20書簡「悪魔の人生論」

昨日3月30日は、90年代の終わりに「ネットアイドル」として注目を浴びた南条あやの命日だった。 彼女は「精神を病んだ私」の徒然(つれづれ)をインターネット上にあけすけに綴り、そのポップで巧みな文章力と屈託のないキャラクターで一部のネットユーザー…

第19書簡「さらば、90年代」

先日2月16日、新宿のロフトプラスワンで開催されたトークセッション「90年代サブカルチャー大総括〜鬼畜系とは何だったのか〜」にゲストの一人として出演させていただいた。90年代の露悪的で非道徳な「悪趣味ブーム」の振り返りや、そしてそのサブジャンルと…

第18書簡「メンヘラ表現変幻考」

「病み」がポップなアイコンとなって、随分と経った。「メンヘラ」というネットスラングが現実世界でも通じるようになって、久しくなった。 この「病み」とは勿論、身体を犯すそれではない。心に巣食い精神を蝕む、見えない病魔のことである。 私は2010年代…

第17書簡「幾度目かの最初」

乙訓の久子へ。 君に斯(こ )うして手翰(てがみ )を書くのは初めてだ。否(いや)、書く事自体は実の処(ところ )初めてでない、此(こ )れ迄(まで )何度も浅猿(あさま )しい情念(パッシオン )に駆られ便箋を乱筆で汚しては、否、僕の心情( は此…

第16書簡「母殺しのドグマ」

先日このようなツイートをした。 すべての女性の人生は母殺しの物語であると思ってきたし、少なくとも私の人生はそういうたぐいのものでした。しかして最近の親しい友人同士のような母娘の関係を眺める時、未来の少女たちはこれから一体誰を心の中で殺してゆ…

第15書簡「呪われたハロウィン」

本日10月31日は、ハロウィン祭 Halloween である。 もとは古代アイルランドのケルト人の祝祭であったハロウィンは、アメリカでは19世紀にアイルランド人やスコットランド人が移住して以来民間行事として定着したが、すでに現代においては宗教的意味合いを失…

第14書簡「トリップ・オン・ミー」

自己理解を提唱するノウハウ本、性格診断や適性分析、SNSに投稿されるあけすけな内心吐露への共感、自分探しの旅……。 「自分」という暗部をどうにか言語によって定義し、さもしい類型(パターン ) の何れかへ分類し、それが確かに形を持って存在するものだ…

第13書簡「不良の美学」

高校生の頃、同級生らとコピーバンドを組んでいた。目の周りを真っ黒に塗り潰して、髪を逆立てて、マイクに噛みついて狂犬病患者のように喚いていた。 反抗的(パンク ) であることに憧れていた。窓硝子を割ったこともない、バイクを盗んだこともない、家出…

第12書簡「貧しさと洗練」

日本は貧しくなったという。 フムなるほど、と俗な価値観で卑近な駄菓子を思い浮かべてみる。永らくずっとお札型のイメージだったキットカットは、そういやハンケチのような正方形型に似てきた気がするし、雪見だいふくは気が付けば昔の半分ほどのサイズにな…

第11書簡「老舗喫茶ランデヴー」

初めて「老舗喫茶」という空間に足を運んだのは、高校生の頃だったと思う。 当時の私は低俗凡庸な日常風景を嫌悪し、梶井基次郎の『檸檬』の主人公の如く、連日街をそぞろ歩きしていた。その精神的苦痛に満ちた逃避行の顛末は前回の記事で書いた通りだが、そ…

第十書簡「我が師匠──或る耽美主義者の面影」

これは今から約10年ほど前の話だ。 まだ10代だった私は、無味乾燥な日常にうんざりして、心安らぐ箱庭欲しさに夢遊病者のように街を徘徊する日々を送っていた。どこを歩いても、ルートヴィヒ2世の狂気のノイシュヴァンシュタイン城は現れないし、デ・ゼッサ…