ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第21書簡「ジュネ・サヴァランの珍食礼賛」

 食べることが好きだ。もしこの胃袋が一杯になることを知らなかったなら、この身体が愛する洋服たちのための人形マヌカンでなかったなら、私は止むことなく口に物を運び続けているだろう。

 何処で読んだか記憶が曖昧だが、他人の胃袋を借りて食事をする創り話がある。

 ある処に食べることが人生の何よりもの愉しみである貴族がいたが、老齢になり内臓の具合も芳しくなく、昔のように思う存分食事ができなくなってしまった。そこで彼は、明日の生活にも窮している貧しい男にこう持ち掛ける。

「君の衣食住の一切を保証し、報酬もたんまりと弾む。その代わりに、食べることが何よりもの至福であるこの老いらくの胃袋になってはくれまいか。なに、何も難しいことはない。私が味わい、嚥下えんげしたものを、代わりに消化し排泄してくれれば良いだけのことなんだ」

 胃袋が頑丈なことだけが取り柄だった貧しい男は、欣喜雀躍きんきじゃくやくとしてこの申し出を受け入れる。今後の生活の一切が心配無用になるどころか、美食家である貴族の贅沢極まりない献立メニュウを毎日味わうことができるなんて!

 だが、いくら貴族が豪勢な料理を口にしようと、男は自身が咀嚼しているワケではないのでその美味を享受することはできなかった。貴族が呑み込んだ後の、一体それが何だったかも分からない半固形物が胃の中に流れ込み堆積していくだけである。空腹に悩まされることがなくなったと安堵したのも束の間、際限なく食べ続ける貴族のお陰で次第に消化が追い付かなくなり、体調不良に悩まされる日々が続き、男は最後には仕事を投げ出してしまう……というような御話。

 こんなことが現実に出来たならどんなに良いだろう、と空想する。食べることの弊害は、腹が膨れることだからだ。

 

 

 

 私は多種多様な味、調理の妙を舌という口腔器官に出来る限り記録し、その料理の背景にあるやんごとなき地理的事情や、生存の必要と不必要な享楽の合間を行き来する歴史の浪漫ロマンに、美酒がもたらす極上の酩酊の如く酔いたいのである。この飽くなき食欲は脳髄の空腹のためにあるのであって、間違ってもこの鈍間のろまな胃袋のためではない

 もし時代と環境が許したのなら、きっと羅馬ローマの貴族の如く、吐くために食べ、食べるために吐き続けていただろう。だがその前に立ちふさがる時間と金銭という大きな障害が、未だに私に頽廃の饗宴を許さない。何より元が貧乏性だから、せっかく摂取したものを土に還すなんて、といささかの躊躇ためらいいがある。常日頃「精神の貴族」を自称する者としては、何とも情けないやら、ケチ臭い内実である。

3~4世紀頃のモザイク画。卓を囲んで寝そべり、床を散らかしながら饗膳を貪っている。ちなみにローマの貴族が吐きながらも食べていたというのは後世のキリスト教社会ででっち上げられた俗説。

 

 シラノ・ド・ベルジュラックの『月世界旅行記』では、月に行った主人公がそこの住人にもてなされるのだが、一向に饗膳が運ばれてこないので訝む。すると住人が「ここでは空気を頂くのですよ」と言うので、試しに指図された通りの作法で空気を味わってみると、それは清々しい香気のような味わいがしたと歓喜する。

 私はこれさえ羨ましくて仕方がない。地球で呼吸するたびに、窒素ニトロゲンの円熟したくや、酸素オキシゲンの湯がいた馬鈴薯のような素朴な風味、炭素カーボン阿蘭陀オランダ水のような爽やかで澄んだ甘味、アルゴンの炒ったばかりの香辛料スパイスのような鼻腔に抜ける香ばしさなぞがしたら、どんなに愉快で嬉しかろう!

 それに空気ならどれだけ貪っても胃袋が満杯になることはない。願ったり叶ったりである。

 毎日一冊の本を読み終えてもこの世の全ての書籍は読破できないように、毎日違う献立メニュウを心掛けても、ホモ・サピエンスのたかだか数十年の蠅の如き惨めな生涯では、この世に存在する滋味の全てを味わい尽くすことはできない。一日三食ではまるで足りないのだ。

 寸刻を惜しんで食べ続けて、ようやく現存する料理の僅かな一部を堪能したに足ると言えるかどうか……きっととても言えないに違いない。少しでもそう思ってしまったのは、私の知り得る世界がまだあまりに狭いからだろう。動物は餌の皿に顔を突っ込むと、周囲が何も見えなくなるものである。

 

 

 

 最早失われた珍味のことを思うと、銀食器具カトラリーを────否、ここは西洋がらず箸にしておこう────箸を噛んでへし折ってしまいそうなくらい、もどかしくて堪らなくなる。例えば古代日本で食べられていたなどは、その妙味が気になって仕方がないひとつである。

 「蘇」の製法と分量について確認できるのは、平安時代律令をまとめた『延喜式』や政務のイロハを事細かに記した『政治要略』の中の、「作蘇之法、乳大一斗敗、得蘇大一升(蘇の作り方は、乳大一斗から蘇大一升を得る)の一文のみという。あとは中国の『斎民要術』や『本草綱目』等に「」の作り方が記載されており、これらを鑑みるに、牛乳を長時間煮詰めて濃縮した食品であるということはひとまず合致するらしい。

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 700年からは文武天皇の指示によって諸国より宮中へ「蘇」が貢納されるようになり、平安貴族たちの修正会しゅしょうえ修二会しゅにえ大饗おおあえなどで振る舞われた他、薬餌やくじ神饌しんせんとしても重宝された。酪農が一般的でなかった古代日本においての、珍しく高価な珍味であったのだ。

 嗚呼、いにしえの貴族のみが口にできた失われし味!

 そんなことを言っていたら、去年、復元された「蘇」を土産物に頂戴する機会があった。

 素朴な甘みと、奥歯の間で崩れて溶けるような食感。チーズともバターとも違うえもいわれぬ品の良い風味に陶然としながら、やはり脳髄の空腹は満たされなかった。何故なら、我々が現在飲用している牛乳はホルスタイン種の牛から搾取したものであるが、「蘇」が作られていた時代、日本にホルスタインは居なかったからである

 当時日本で飼育されていた牛種、「蘇」の精製に使用された牛乳の成分含量が現時点で分かっていない以上、やんごとなき上達部かんだちべたちが舌鼓を打っていた「蘇」の本当の味というのは、未だに乳白色の薄絹ヴェールの向こうなのだ。

 もしタイムスリップができたなら、私はその時代ならではの食べ物を片っ端から口に放り込んでいくに違いない。味覚の記憶が増えることこそ、「食べること」の醍醐味である。そしてそうやって「知る」ことこそ、人の何よりもの快楽ではないか。

 

 

 

 フランスの法律家で、『美味礼讃』を刊行し美食家としても知られたジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランは、このような有名な言葉を残している。

君が普段食べているものを教えてみたまえ。君がどんな人であるか、当ててみせよう。

Dis-moi ce que tu manges : je te dirai ce que tu es.

 これはまさに金言と呼ぶべき言葉で、その人が普段食べているものを聞けば、何となくその人となりが想像できるのである。ちょうど、どんな本を読んでいるかを聞けば、その人の素養が想像付くのと同じだろう。

 ここで、一等ホテルで連日豪奢なフレンチや風雅なイタリアンを口にしている者は上品で好ましく、四畳一間で日々インスタントラーメンを啜り糊口を凌いでいる者は低俗で卑しい、というような判断ジャッジングをするのは全くナンセンスである。

 上記のような2人を挙げた場合、前者は富む者で、後者は貧する者であるということは確かに分かるだろう。それも勿論「どんな人であるか」の要素のひとつではあるが、その人の本質とはまるで関係のない、あくまでその時点での金銭事情にすぎない。

 私ジュネ・・・・サヴァランがジャン・サヴァランの言葉に少し注釈をさせていただくとすれば、「普段食べているもの」以上に「普段どのように食事の選択をしているか」が、その人の性質を最も分かりやすく暗示している。

ブリア=サヴァラン(1755~1826)

 

 「実際に普段食べる物」は諸般事情に左右される。しかし「今、そして普段食べたいものの選択」は、例え実現しなくとも、その人なりの欲求と思想に貫かれたものであるはずだ。そしてその選択には、美学がなければならない。美学とはこれまでに培った見聞、経験に裏打ちされた、その人独自の精神論のことである。間違っても「夜景のキレーなレストランで、ドレスを着て、赤いバラが飾られてて、白い布が掛けられたテーブルで、なんか美味しいおニクと、高いワインを飲んでたい」という痴呆のブルジョアぶりままごとのことではない。

 かの森茉莉も「金を使ってやる贅沢には創造の歓びがない*1と看破している。これが生まれながらの貧乏人の卑屈ではないところが心強い。これに共感している私は貧乏人の卑屈である。

 念のため補足しておくと、森茉莉はかの文豪・森鴎外の娘で、蝶よ花よと溺愛されて育ったお嬢様であったのだが、戦後一人暮らしを始めてからは生活の貧苦も随分と経験した人である。そのような中、高価なものを買える贅沢よりも、精神が贅沢であることの方がよっぽど重要であるという信念に至り、その独自のユニークな審美眼や美的センスは彼女の『贅沢貧乏』といったエッセイ群から窺い知ることができる。

 彼女の「貧乏サヴァラン(全集ほか、本エッセイを表題に様々な食事にまつわるエッセイを纏めた『貧乏サヴァラン』で読むことができる)では、「マリア森茉莉のこと)は貧乏な、ブリア・サヴァランである」と、赤貧の中でも、自分の味覚に絶対に妥協できない日々の七転八倒が綴られている。

 夜用の即製冷紅茶のためには、大きな角砂糖くらいに切った、昔ながらの氷の味がするダイヤ氷がなければならない。

 朝は必ず手製のサンドウィッチを食べるが、具材は鎌倉ハム牛酪バタ、固茹で卵、トマトはこしまきの如き赤いのではなく、玲瓏玉の如き薔薇色がかった朱色のもの、玉ねぎの涙の出るような薄切り、マヨネエズと辛子に塩胡椒。

 刺身は鯛より平目。

 ビスケットは上等の粉の味の中に牛乳ミルク牛酪バタの香いが仄かに漂い、彫刻のように彫られている羅馬字やポツポツの穴が規則正しく並んでいて、カッチリ固いくせ、噛むと細かな雲母状の粉が散って、胸や膝にこぼれるようでなければならない。云々。

 高価な食材を選択することが本質ではない。その選択が如何なる美学に基づいており、それがどれほどの強度で、または柔軟性を持って貫かれているのか、いないのかが「その人がどんな人であるか」の本質なのである。

 

 

 

 私の選択の規則ルールはこうだ。食べたことのあるものより、食べたことのないものを選ぶ。食べたことのないものの中では、ある程度味の想像が付く国内の料理よりは、まるで想像の付かない海外の料理を選ぶ。それが例えゲテモノだろうと躊躇は許されない。

 素朴な素材に、思う存分香辛料スパイスを効かせたものが好みだ、香辛料スパイスの調味の数だけその後ろに豊かな文化がある。

 牛肉は旨味すべて平らげられるよう、骨付きで煮込んでいる方が好ましい。ターリーとシャシリクは傷だらけのスレンレス皿で食したい。アブサンは甘ったるすぎてはいけないし、大きすぎる高杯ではなく、人差指と親指で摘めるくらいのリキュールグラスで呑むのが好ましい。ウゾやアラックはアブサンより旨い。それらに関しては、粗雑で荒々しい味わいである方が良い、羊肉ラムと良く合うからだ。

 牛乳ミルク牛酪バタの効いた洋菓子よりは、山羊の乳と開心果ピスタチオをふんだんに使った中東の菓子を愛している。インジェラとダボが、世界で最も美味しいパンだという信念は未だ揺らがない。

 刀削麺は包丁を奪われた庶民が刀で麺を切ったという伝承通り、削ぎ落したような不揃いな切り方でなくてはならない。茘枝ライチ楊貴妃のために血を吐いて死んだ馬に微笑みながら、自ら皮を剥き指先を濡らして官能的に食さねばならない。

 紅茶はMARIAGE FRERESマリアージュ・フレール。定番のマルコ・ポーロと、香辛料スパイス薫るアレクサンドラ・ダヴィッド・ネールは台所から切らしてはならない。しかし目が覚めている間じゅう紅茶を飲んでいる私の生活では茶葉の消費量が馬鹿にならないので、普段使いはTWININGSトワイニングで我慢。ただしTWININGSトワイニングアールグレイだけは飲めたものではないので、それだけFAUCHONフォションHARNEY & SONSハーニーアンドサンズなどで代用してもヨシとする。珈琲はあまり飲めないが、気まぐれで老舗喫茶で注文した際に、景徳鎮など中華趣味の陶磁器で出されると大変喜ばしい。間違っても無骨なマグカップで飲むことはしない。云々。

 

 

 

 ……食べることは確かに好きだけれど、こうして書いてみると、私はやはり味覚の記憶を増やしたいだけなのだという気がして来る。驚異の部屋ヴンダーカンマーに世界中の珍品を蒐集するように、古今東西の珍しく美しい味を、舌の記憶箱に目一杯に詰め込んでいくこと。その望みのためだけに、食欲は濛々と湯気を立て温泉の如く無限に湧き出てくる。これは多分、美食家でも健啖家でもあるまい。結局、「好事家」なのである。

 嘉肴かこうありといえども食らわずんばその旨きを知らずという『礼記らいき』の教えがある。

 聖人君子の道も学ばなければその難しさと素晴らしさを解すことはできないし、大人物も実際に用いてみなけければその器量を計ることはできない。だから何事もまずは実践してみるべし、という教訓なのだが、私はこれを日々文字通り、「御馳走があっても食べてみなければその美味しさは分からない」という意味で乱用している。

 健康法だか痩身法ダイエットだか知らないが、食べ控えるなどもっての他である。羅馬ローマの貴族の如く吐くまで、否、精神の貴族として死ぬまでは、食べうる限り食べねばならぬ。人として生きることとは、死骸を切り刻み貪り喰らうことであるが、同時に「知ること」の悦びを知ることでもあるはずだ。

 食べることとは「知る」ことだ。だから我々は、胃袋ではない────脳髄の空腹を満たすたびに、食べなければならない。

 

*1:森茉莉 作、早川暢子 編『貧乏サヴァラン』ちくま文庫(1998)p.39