ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第17書簡「幾度目かの最初」

 乙訓の久子へ。

 君に うして手翰てがみ を書くのは初めてだ。いや、書く事自体は実のところ 初めてでない、 まで 何度も浅猿あさま しい情念パッシオン に駆られ便箋を乱筆で汚しては、否、僕の心情此様こん な易しいものではない、本当の最後の仕事を一段もっと 真剣になって綴らねばならぬと臆して送れず、幾月も過ぎてしまった。

 だが今囘こんど こそは確信する、此の便りは必然きっと 君の手元もと に届くだろう。明日一日の朝零時に、友人の河野と八坂に初詣に行く口約束をしている。どうせ晦日を口実に四股しこたま 酒を呑んで ているであろう僕の為に、下宿の玄関口まで迎えに来て れるという手筈になっている。叱言こごと は云われたが、點頭うなずいて呉れた彼は い奴だ。

 半纏はんてんを羽織って玄関先の河野を睥睨へいげいしたお主婦かみ さんは、階下から僕の名を呼ぶだろう。そして返辞がない事に、 の皺の刻まれた眉間に更に皺を寄せ、檜木の階段をみしゝゝ云わせながら僕の部屋へと上がってくるだろう。腰高障子を開けた目先さき に在るのは最後まで放棄うッちゃ れなかった書匣ほんばこ 赤毛あかげっと に、少しの調度など 、そして悉皆すっかり 片付けた文机の上に置かれた此の書状だ。封筒の表に、此れを河野に渡す様明確はっきり 記しておく。 うでなければお主婦かみ さんが読み兼ねない。後は河野が如何どうべきか解っているから、随分迷惑を掛けて仕舞う事を申し訳無く思うが、総て任せたい。

 う云う訳で、河野という名前から届いた君宛への書翰しょかん に此れが同封されて居た事を、何卒どうかいぶからないで欲しい。彼は い奴だ。

 

 

 

 今、夜の九時二十分だ。此処ここしばらく裏の竹林を強く揺さぶって居た空風も、今日は寂然しんとして凪いでいる。此の四帖一間に聞える物────火鉢の楢炭の小さく爆ぜる音、咥えているPeaceの火先ほさき くすぶる音、うして用箋にPILOTの万年筆を滑らせる音────其れが総て。十一時迄には書き上げたい。眠剤ねむりぐすり は充分にある。此れを片手に、河野が来る前に、終電で保津の峡谷に向かう心算こころづもりで居る。

 君は今、急度きっと嘲笑わらっただろう。過日いつか僕が其の様な決行を批判したから。彼時あれは確か三月、僕たちは瓦斯ガスストーヴを挟んで対坐むかいあい煙草を吸っていた。君は先日こないだ三原山で女学生が心中騒動を起こして以来、追随者が跡を絶たない事にいて、

「私も女学生がくせいの内に三原山のような処で心中したいわ」

 と云ったのだった。「三原山の灰色に立ち上る噴煙が位牌だなんて、恨みがましくって不貞ゝゝふてぶてしくて素敵ね」と。

 僕は其れに大人気おとなげもなく勃然むッとなって、「自殺と云うのは人間のもっとも意識的な自由選択で在るのに、幼稚な憧憬インスパイア他人ひとの猿真似に終るなんて世話が無いぢゃないか。華厳滝で藤村の後を追う奴輩と同等おなじ位軽蔑する」と云う様な事を口走った。すると君は莞爾にっこりとして斯う云ったね。

 自殺とは生涯最後の仕事だが、其の大仕事を、今迄奴何どれ程の人間が成し遂げて来たと思うか。自殺であろうとうで無かろうと、肉体存在が消滅すると云う結果が同等おなじである事を考えれば、此の世に死んだ事が無い人なぞ独りも居ないのだから、死という仕事を成し遂げられ無かった人も又独りも居ない。つまり貴方があたかも未だ開拓されていない自由選択の最前線フロンティアだと錯覚しおもっている其れは、既に創意工夫され、あらゆる人間がとうに語り尽くして居り、何処に着地しようと決して普遍を超越しえ得ないのだ。と。

 君は三、四年前に死んだという或る仏蘭西フランス人の話を持ち出した。弾丸が確実に心臓を貫通する様に定規で念入りに計測し、三十歳で拳銃自殺をした醒めたヒル伊達男ダンディ。彼が特別なのは、命を絶つ道具に拳銃を選んだ事でも、燃える銃口から熱い臓器までの距離を計った事でもない。決行に至るまでに為された十年分の周到な準備よういに就いて、興奮と反する葛藤とを大いに綴った筆跡エクリチュールを遺したからだ。此の身体をくびる手段の選択などほんの些末な事象に過ぎない。其処そこに至る迄の軌跡が重要だいじなのだと。

 其時そのとき僕は首肯せず、嚴乎きツとなって彼是あれこれ云い返したが、其れに就いての弁明いいわけは最早此処ここでは致すまい。只、今晩の決行を君に納得して貰う為には、君の云う軌跡の控書メモが必要だと思ったのが、今斯うして早急に筆を走らせている理由わけなのだ。君は、三原山の投身に追従オベイするのは先人の仕事に敬意リスペクトしめす事だと云った。先学に倣う大切さは、く勉強している貴方なら熟く解るでしょうと、皮肉もえられて居たけれど。

 然々ああ、熟く解るとも。だから、此の手記が僕の巖頭之感である。

 

 

 

 君のカーラーで膨らませた耳横の黒髪の色沢つやが、まぶたの裏に揺れている。年末も年始も君は凝然ぢッとして過ごすと云うから、て独りでインキを散らしている。階下の柱時計が鐘を打っている。十時だ。風が出て来た。隙間風が薄ら寒い。世てを決意しても寒い物は寒い。西行が其様な歌を詠んでいた。すてはてて身はなきものと思へども。

 寒い事は不幸だ。不幸者と呼ばれる事には、何処か変った安心が、幸福が在る。幸福者とされる事は不幸だ。貴方の優越は其様そんな処にしか無いのかと云われれば、然うだと応える。幸福の為に行われる挙動しぐさは愚かだ。否、幸福で在る事を目的パーパスにしている内は何も彼も駄目だ。

 斯うも書いてみよう。誰何だれかにとって何者かで在りたいという願望デザイアが人を人たらしめるので在るが、其様な低処ひくみに囚われている限り、僕は僕に成れない、と。君にとって僕は一体何だったか。爾う考えれば考える程、とても苦しい。自責の念にられる。

 自罰は自傷ってしか満たされないで在ろうし、自傷は陶酔にってしか成功しないだろう。して成功は信念を持ってこそ成し得るに相違ちがいない。信念とは人生を賭すると決意した、殉死を宿命付けられた、万有への心意気だと思う。其れで、手段はたとえ如何様であろうと、僕は前述の決意に到った訳だが、此の強烈な自意識エゴがもうちッたァばかり僕の精神こゝろ火室ボイラーを燃やす石炭コークに成ればかった。神経があまりに悲痛に痙攣し、幾ら甘美な死を渇望ほっしても、遂に其れ等が真なる道理ことわりを見出す糧と成り得なかった事を、僕は容認みとめられなかった。しか)しし、正しく苦しみもしなかった。惨憺みじめだ。自分で自分を惨憺みじめにしている。

 昨晩は好くねむれなかった。僕は血走った眼で、此のペン先が最早望ましい言葉を綴って呉れなく成った様子を眺めている。手がかじかんでいる。とうの昔に十一時の鐘は鳴り終わっている。拒んでも明日は来る。耐え難い。結局此れも又、凡庸な嘆きに満足している白痴たわけを晒すための診療録カルテ終始しおわってしまった気がする。今囘こんど こそ気持は静寂しずかになる物だと思っていたが、書けば書くほど何ひとつ書き切れていない気持になってくる。何という業の深いやつ。僕は未だ地獄に行けない。河野が来る。お主婦かみ さんが玄関の引戸を開ける音がする。もう幾度目だろう、又手翰てがみ を出せなかった。

 君の、花を活けた部屋を思い出す。懐古なつかしい部屋。後日あとで新年の挨拶に行く。

 

十二月三十一日

午後十一時五十分

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