ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第20書簡「悪魔の人生論」

 昨日3月30日は、90年代の終わりに「ネットアイドル」として注目を浴びた南条あやの命日だった。

 彼女は「精神を病んだ私」の徒然つれづれをインターネット上にあけすけに綴り、そのポップで巧みな文章力と屈託のないキャラクターで一部のネットユーザーから絶大な支持を得ていたが、1999年に向精神薬の過剰摂取によって、18歳でこの世を去った。

 南条あやの名を今尚取り上げることについては、賛否両論がある。肯定的な意見は主にこうしたものだ。彼女の文章テクストの秀逸さや特異さは語り継ぐべきものである、インターネット黎明期に登場した「ネットアイドル」という奇妙な存在はインターネット史を省みる上でも触れられてしかるべきだ、云々。一方否定的な意見は、彼女の遺稿の中にある以下の詩を引用して主に展開される。

『名前なんかいらない』

起きなくてはいけない時間に起きて
しなくてもいい仕事をして
名前を呼ばれるなら
誰にも名前を呼ばれたくない
何もかもを放棄したい
そして私は永遠に眠るために今
沢山の薬を飲んで
サヨウナラをするのです
誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが
私の最後の望み

 南条あやの遺稿をまとめた書籍『卒業式まで死にません』にも収録されているこの詩を引用して、彼女は亡くなった後は決して誰にもその名を口にしてほしくはなかったはずだとする意見がある。しかし私は、この言説には懐疑的な立場だ。

 南条あやという少女は、通院の過程で医師より「境界性人格障害」の診断を下されている。これは適切な自己愛や自己イメージを育めなかった結果、情操や対人関係に問題を生じ、 自傷行為や自殺企図といった過激で衝動的な行動に走る病で、実際に南条あやも日常的にリストカット瀉血を繰り返していたことが、彼女の日記から伺える。

 そこには現実存在である「鈴木純(「南条あや」はネットで活動する上でのPNペンネームである)の混乱した自己イメージや低い自己肯定感が見て取れるが、それとは鏡合わせのようにして、彼女はネット上で「南条あや」として積極的に自己発信をしていた。彼女が本当に誰にも関心を持たれず、省みられることも望んでいなかったのなら、これほどにまで熱心に、しかも仔細まで「自分」が如何なる存在であるかを公に綴らなかったはずだ。

 確かに彼女は「誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが 私の最後の望み」と書いた。しかしそれは彼女自身というより、彼女の自己肯定感の低さが書かせたものであり、反対にその胸中で高じていた狂おしいまでの承認への欲求を見逃してはならない。彼女の「他者の眼差し」への渇望は、看護師や患者が常に「構って」くれていた閉鎖病棟を彼女が「天国のような場所でした」と表現していることからも明らかだ。「鈴木純」という少女の名は静かに看取るべきでも、死の数日前までネットの片隅で存在を叫び続けた「南条あや」の名は、忘れられるべきではない。それが、批判を覚悟の上で、私が彼女を動画で取り上げた理由でもある。

「人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち 友人に忘れ去られることの死」

 

 

 今月中旬、大阪のロフトプラスワンで「好事家ジュネのサブカル病理学」と題してトークショーを開催した。去年9月のトークショーの倍近い方々にお越しいただき、その分多くの視聴者と言葉を交わしたことで、私自身様々な気付きや学びを得た。現地にお運びくださった皆様へ、配信でお聞きくださった皆様へ、この場で改めてお礼申し上げたい。

www.loft-prj.co.jp 「病理学」とタイトルした通り、当日は、我々の心の「病み=闇」が生じる原因、そしてその処方箋としての文化の有用性を主軸とした話をした。「病み」の実態は多種多様ではあるが、何らかの背景原因によって「自分を肯定できない」ことに苦しんでいる状況は分かりやすい例だろう。実際私のトークショーの現場でも、今現在の自分を肯定できないことに悩んでいるという観客が何人か見られた。

 こうした懊悩を目にするたび、また自分自身もそのような心境に陥った時、私の脳裏にはいつも、二階堂奥歯の鋭い一文がよぎる。

「私は生きていることに絶望などしない。なぜなら希望を持っていないから。それは生を悪いものとして低く評価しているということではなくて、評価をしていないということである。生を呪うのは裏切られた者だけで、そして裏切られるのは信じていた者だけなのだ。」

────二階堂奥歯『八本脚の蝶』

 肯定できない自分に絶望するのは、肯定できる自分がどこかにいるはずだ、あるいは肯定できる自分になりたいという、希望と期待があるからだ。その夢は勿論、若かりし頃の私にもあった。しかし今、南条あやのみならず、二階堂奥歯の年さえ追い越してしまった私が感じるのは、そうした脆く生暖かい幻想こそ、苦しみの最たる元凶なのではないかということだ。

 我々は皆、両親の選択の下にこの世に存在することを押し付けられた、意識を持つ肉塊である。我々の両親もまた、その両親もまた、然りである。

「きみの父親はきみの母親を抱いたとき、きみの意思を訊ねただろうか。彼はきみにこの今の時代を見たいか、あるいは別の時代まで待つかときみに訊ねただろうか。またきみが愚か者の子に生まれても我慢するか、あるいは立派な人物の子に生まれたいという野心があるのかと。なんたることだ。きみこそが、このことに関わりのある唯一の人間関係だのに、きみだけが意見を聞いてもらえなかった唯一の人間なのだ。」

────シラノ・ド・ベルジュラック『日月両世界旅行記』赤木昭三訳

 

 その「気付いたら存在していた」だけの細胞の集合体に、果たしてどれほどの価値が生じるだろうか。「存在し続ける」ことに付加価値が生じることは仮にあっても、今この瞬間に「存在すること」に一切の自由意志も意志決定も許されなかったという事実そのものに、楽観的ポジティブな意味合いを見出すことは可能だろうか。それは悪魔の証明だ。ないことは証明できないが、あることの証明もまた、主観的な人生観を語る他ない。

存在しないよりは存在するほうがましだ、ということを証明するいかなる方法もない。

────シオラン『悪しき造物主 』金井裕訳

 

 ただ遺伝子が乗り捨ててゆく舟として創造されただけの個体に、もし「人間的な」意味や価値を発見したいと願うなら、それはその個体が「どうあるか」ではなく「何をしたか」という点に求めるべきだろう。地位も性自認も職種も病名も、自己紹介の際に多少便利な名札にすぎない。重要なのは我々が何者であるかではない、我々が成した仕事の如何なるかだ。この「仕事」とは、職業や金銭を稼ぐことを意味しない。大なり小なりの影響を現実世界に及ぼす動作全てを指す。

 それは英雄の偉勲であり、赤ん坊の束の間の微笑みである。

 賢者の書であり、為政者による民衆の虐殺であり、毎日花に水をやることであり、食前で手を合わせることである。

 貴方が今この画面をスクロールしている、その他愛もない仕事さえ1秒先を無数に分岐させ、仕事の無数の積み重ねはのちに歴史や文化と呼ばれるようになる。それは生涯をかけた作品作りに似ている。仕事="work"の語源は「動作する」ことを意味する古英語”weorc”だが、もうひとつ、何かを作ることを意味する古英語"wyrcan"も元にあるという。だから”work”という単語は「仕事」のみならず「作品」をも意味する。

 なれば、存在する意味や価値を渇望する者は、「どうあるか」────自身が価値ある作品になろうと足掻くのではなく、「何をしたか」────個人の歴史や文化慣習といった名もない無形の作品・・・・・・・・・を遺す仕事に注力すべきだろう。ビジネスで成果を残せということでも、作家や芸術家になれということでもない。自身の「仕事」────つまりあらゆる動作に、常に意識的でいるべきだということだ。

 そうして意識的になって、人は気付くだろう。自身の言動に価値を求め続けることの虚しさに。

 

 

 

 そもそも、自分存在が無意味で無価値であったところで、一体それの何が問題なのか。本当に病んでいるのは、人間は無価値だと断定することではない。人間には価値が付与されねばならないとする教育と思想の方だ

 そんなものが天から与えられなくとも、「私」の造物主たる両親に有難く説いていただかなくとも、我々は今日も豚のように餌を貪り糞をして、痴呆のように眠るだろう。この心臓は早馬のように脈打ち、血潮は四肢を懸河けんがの如く駆け巡り、肺からはしきりに汽罐ボイラーの如く灼熱の蒸気が吐き出されている。価値などという御大層なものを頂戴しなくとも、イヤになるほどに我々は生きていられるのだ。

 ここで「すなわち存在すること、生きることは無価値である」という極論で終始するのはナンセンスだろう。私は前回の記事で、既成概念を疑った結果、非生産的な虚無主義ニヒリズム冷笑主義シニシズムに陥って自己批判性を失った前時代の幼稚さを批判している。

dilettantegenet.hatenablog.com

 

 すべては無価値、ではない。価値あるものはこの世に確かに存在する。それは己が「自らの意志と選択で」価値を付与したものの先に見える

 世間で有難いとされているから有難がるのではない。ネットで面白いとされているから面白がるのではない。私が素晴らしいと豪語しているから賞賛するのではない。またその価値付けは、ただの細胞分裂の結果にすぎない「私」という肉塊に与えられるものでもない。

 卑しい自身の獣の嗅覚と魂の感性で選び取ったもの、そしてそれを通して見えて来る、非物体の、しかし揺るがぬ究極の「永遠の実在イデア」……これこそが絶対的な価値である。我々はそれに、文化や芸術という媒介物を通して時折触れることが叶う。

ラファエロ・サンティ《アテナイの学堂》
中央左がイデア論を説いたプラトン

 例えるならば、私にとっての「永遠の実在イデア」とは、「暗く悪しく美しい」と形容するほかない絶対美である。私はそれを、様々な書籍を通して、映像を通して、絵画を通して束の間垣間見る。この遠くの真なるものを覗き見る望遠鏡テレスコープとして、全き別次元に移行ワープする幻覚剤エンセオジェンとして作用する書籍や映像や絵画といった「作品」を、私は低俗ではあるが完全な自由意思によって選択する。もし意味や価値というものが生じることがあるとすればそうした「自らの意志による選択」というはたらき────すなわち「仕事」にこそそれは生まれるだろう。私「好事家ジュネ」が今貴方の見ている画面の向こうに存在していることや、私が「好事家ジュネ」であることには、何の意味も価値もない。

 

 

 

 以前、私はこのようなツイートをした。

 これに対して、「カルチャーを楽しむこともまた人生ではないか」という反応を受けた。私はこの、人生という陳腐な尺度の中に何もかも包括してしまう考え方を否定する。

 「人生」という概念は、ものの見方を独我論エゴイスティックに歪める視野狭窄の罠だ。一度その概念に囚われると、自在であるはずの生は辿るべき直線的な道として捉えられ、美しい死は悲劇的な最終地点にすぎなくなる。日々起こる様々な興味深い事象は、計画されたものであったかそうでなかったかのどちらかでしかなくなり、何が早すぎて遅すぎたか、何が今相応しく相応しくないかという、対立した二項でしかものが考えられなくなる。仕舞には、自身の人生という履歴に価値があるのか、辿ってきた道程に意味はあるのかという、不要な懊悩が際限なく生まれてくる。

 「人生」という物差しで物事を考えている限り、社会の荒波の中で生命維持を続けることはできても、想像力で時も場所も無限に飛来することができる「としてきる」ことからは永遠に不自由になる。

 我々は気が付くとここに存在して、今この瞬間にもたまたま存在しているだけの一物体にすぎない。大いなる森羅万象の前に、刹那よぎったかもしれない小さな影法師にすぎない。そんな矮小な尺度────つまり人生という狭い視野から全てのものを推し量っても、浅ましく不毛なだけである。

「私たちはたえず遇有を実体ととりちがえ、結果を原因と、手段を目的と、私たちの船を永住の家と、私たちの体や知性を私たち自身と、私たち自身をなにか永遠のものととりちがえてしまうのです」

────ルネ・ドマール『類推の山』巌谷國士

エティエンヌ・クルノー Étienne Cournault によるドーマルの肖像画

 

 

 

 自分を肯定できないのは、肯定する必要もないもの(「肯定できないもの」ではないことに注意)に無意味に延々と向き合っているからだ。もし「自己肯定」という行為が可能ならば、それは「そうせざるを/ならざるをえなかった」結果としての現状を客観的に認識し、諦め、受け入れることだろう。「肯定できる新しい自分」になれる未来など存在しない。何故ならその「肯定できる新しい自分」は、今の自分とは違う「他者」だからだ。新しい自分を肯定しても、今思い悩んでいる自分自身を肯定したことにはならない。

 私は冒頭で南条あやに触れたが、彼女の悲劇性もここにあろうと思われる。彼女は「南条あや」としてネット上に多数のファンを獲得したが、その活躍は鈴木純という現実の少女を肯定したことにはならなかった。もし彼女が自身を肯定できた未来があったとすれば、それはネットアイドルとしての栄光とは切り離されたところで、彼女が現実の自分と、自分を育んできた環境を赦せる未来だ。しかし赦すことは、とても辛く苦しい。その行為も一種の自己否定だからだ。だから斯くも辛く苦しいのなら、自己肯定なぞ無理にする必要もない。

 これは虚無主義ニヒリズムではない。人間や人生などという卑小なものではなく、それらとはまるで関係ないところで永久とわに存在し続ける無限の知と美にこそ価値を見出すべきという、生きる基軸の置き所の話である。希望も期待を諦めた者のみが、この地獄を────現象界を生き抜けるだろう。同時に我々は地獄にいるからこそ、天国の────自身が「永遠の実在イデア」とするものの美しさを解することができるだろうし、その絶対的価値もまた強く信じることができるだろう。

 

 『神曲』の中で、ダンテが詩人ウェルギリウスに導かれくぐった地獄の門には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.」と記されていた。

 それは、かつて我々が通った産道であった。

ウィリアム・ブグロー《地獄のダンテとウェルギリウス