インターネットで日頃様々な文化に言及をしていると、音楽の趣味についても尋ねられることがある。しかしその度に、何と答えるべきか、私は返答に窮することになる。
これまでYouTubeで100本以上の動画の制作し、「文化の経糸を己の感性という緯糸で横断する」を
理由はいたって
文化の水脈を読み解くに、音楽の存在が欠かせないことは承知している。特に「身分ではなく趣味の良さが人の上下を決める」ようになった戦後サブカルチャーにおいて、その傾向は尚強くなるように思われる。
ウィリアム・S・バロウズやジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグなどに象徴されるビート文学のスタイルには、即興性の強い音楽・ジャズの影響がある。そもそもジャズ自体がニューオリンズの黒人コミュニティの中から生まれたという、白人社会における一種の
黒人としてロックンロールという新興音楽を切り開いたチャック・ベリーやリトル・リチャード、そして幼少期から黒人音楽に親しみのちに「
第13書簡にも書いたテディ・ボーイズらは、ラジオで流れるアメリカの8ビートに熱狂し、エルヴィスのリーゼントヘア(正確にはクイッフやポンパドゥールと呼ばれた前髪及びダックテイルと呼ばれた襟足)を真似た。そうしたアメリカの新興音楽に強く影響を受けたイギリス少年の中には、のちにビートルズとして名を馳せることになるかの5人もいたらしい。ロッカーよろしく革ジャンにリーゼントヘアというスタイルで活動をしていた彼らが、マネージャーの指示で、上襟に
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ビートルズを筆頭としたUKロックが、今度は「
1969年のフォークとロックの祭典「ウッドストックフェスティバル」に集まったのは、「武器ではなく、花を」「
”I saw the best minds of my generation destroyed by madness, starving hysterical naked,
dragging themselves through the negro streets at dawn looking for an angry fix,
angelheaded hipsters burning for the ancient heavenly connection to the starry dynamo in the machinery of night, ……”「俺は見た、狂気に破壊され、裸で病的に震える、僕の世代の最良の精神を、
怒りを鎮めるドラッグの一発を求め、夜明けの黒人街を彷徨っているのを、
夜という装置の内に星のように輝くダイナモとの、古くからの神聖な繋がりに焦がれる、
天使の頭をしたヒップスターたちを……」
(※拙訳)
偏愛する60年代に言及できたこの辺りで一旦具体例は止めておくが、改めて文学からファッション、
好きな音楽なら、一応あることにはある。人に尋ねられる度に粗末な頭の
聴き心地が良いのは、暗く無機質で、時に攻撃的なテクノやインダストリアル、EBM、電子音楽。
次点にポジティブパンクやゴシックロック、ダークウェーブ。
この辺りに親しみを覚える背景には、それらの異形の末裔であるビジュアル系に思春期の頃夢中だった影響がある。アニメソングや、ブーム創成期を迎えていたボーカロイドの曲も、御多分に漏れず聞いていた。
その後、格調高い日本語や哀愁漂う戦慄に惹かれて軍歌や寮歌、戦前の昭和歌謡に熱中するようにもなるが、通学中によく聴いていたのは霧島昇や藤山一郎、東海林太郎や並木路子といった有名歌手あたりだったか。古い呑み屋を梯子するようになってからは戦後の歌謡にも随分と親しみ、十八番はもっぱら浅川マキ『かもめ』と渡辺真知子『かもめが翔んだ日』、大瀧詠一『さらばシベリア鉄道』である。
ロックも聴くことには聴くが、エディ・コクランやバディ・ホリー、ジーン・ヴィンセント等ロカビリー色の強い初期のロックンロールの方が愉快だ。かすかな
幼少期から習い事を通してクラシックにも親しんで来たはずではあるが、エリック・サティやラヴェル、ドビュッシー以降の近代音楽でないとイマイチピンと来ない。その中でもギデオン・クラインやパヴェル・ハース、エルヴィン・シュルホフらの、独創的で不協和音美しい実験的な小品には、暗く激しい感傷を覚えてならない。ユダヤ系であった彼らが皆、二次大戦の
以上思い付くままに具体例を挙げてみたが、私が普段このような開陳を嫌って避けようとするのは、自身の節操のなさを自覚しているからである。
美食家ジャン=サヴァランの「君が普段食べているものを教えてみたまえ。君がどんな人であるか、当ててみせよう」という至言と等しく(参照:第21書簡「ジュネ・サヴァランの珍食礼賛」)、鑑賞した作品の傾向を聞けばその人となりというのは何となく分かるものである。そして私も、文学や視覚芸術においてはもう少し「我が美意識
こう言うと、音楽とは頭で理性的に解そうとするものではなくもっと感覚的に聴くものだ、という提言が寄せられそうだ。しかし、音に揺蕩うという浪漫ちっくな行為の実態は往々にして、自らの情動操作のために音楽を一時的な道具として流用しているだけにすぎないのではないか、という疑念がいつも胸の何処かしらにある。三島由紀夫はその状態を「官能的な豚」と呼んでいる。
「音楽というものは、人間精神の暗黒な深淵のふちのところで、戯れているもののように私には思われる。(中略)
ところで私は、いつも制作に疲れているから、こういう深淵と相渉るようなたのしみを求めない。音楽に対する私の要請は、官能的な豚に私をしてくれ、ということに尽きる。だから私は食事の喧噪のあいだを流れる浅はかな音楽や、尻振り踊りを伴奏する中南米の音楽をしか愛さないのである。」
────三島由紀夫『戦後日記』中央文庫(2019)p.34-35
三島自身はその「官能的な豚」であることを自身に容認しているが、私は酒でも呑んでいない限り耐えられない。音と気ままに戯れる一方で、その意図と
例えるなれば絵画の美しい女性像に驚嘆しつつ、「青い衣を着ているからこの女性はマリアを描いているのだ」と理解するようなもので、矜持ある者は間違っても「青い衣は女性の哀しみを表しているのだ」というような独善的なトンチキ解釈は犯したくない。しかし音楽に関しては、教養がない私はそのトンチキ解釈を無意識にも犯しかねないのである。それ故、「聴く」行為にますます臆病になる。
ドイツの劇作家かつ思想家であったレッシングは、18世紀にかの有名なローマ彫刻、ラオコーン像を如何に評価するかという議論「ラオコーン論争」の中で「時間芸術」「空間芸術」という概念を提唱した。その定義に従えば、様々な芸術は凡そこうした区別をすることができる。
「時間芸術」とは、時間のある一定期間を占有する、出来事の前後関係によって成立する芸術のことだ。例えば映画なら、その鑑賞に2時間ないし3時間の時間を占有される。そして時間と共に刻々と移り変わるスクリーンの内容が、映画という作品全体を成立させている。
「空間芸術」とは、2次元や3次元といった空間を占有する芸術のことだ。空間を占有するためには物体として存在している必要があるが、時間芸術のように前後関係は必ずしも問われない。レッシングは、ラオコーン像は前後の見苦しい抵抗の様子ではなく、最も決定的な一瞬を形にしたからこそ斯くも優れた印象を与えるのだ、と賛美した。
時間芸術の内容は動的で、空間芸術の内容は静的だと形容することもできるかもしれない。
私はもっぱら空間芸術のそれらを愛してやまない。それは佇む城である。半永久的に所有できる質量であり、凍り付いた記憶である。流転する刹那的な美にも妙はあることにはあるけれど、完成物として時の止まった人工物の方が好ましいという本音は、第四書簡の冒頭でも綴った通り。
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それでは「時間芸術」に該当するはずの映画や演劇、詩・小説も何故「空間芸術」と一緒くたに愛好しているのかという話になってくるのだが、結局「聴覚芸術か視覚芸術か」という点に集約されていくように思われる。
五感のどの感覚が優勢であるかは人によって異なるだろうが、魂と連結した感受性の
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古代ギリシアの詩人・シモーニデースは「絵はもの言わぬ詩、詩は語る絵」と歌ったし、古代ローマの詩人ホラティウスが『詩論』の中で説いた「詩は絵画のように ut pictura poesis」という文言は、長らく西洋美術の価値観として君臨していた(それにメスを入れたのがレッシングなんだけど)。
中国でも「詩書画一致」「書画同源」「詩画一如」なぞと言って、詩と絵画は切り離せず、絵画と書道は根源は同じであるという考えがあったし、つまり詩は「時間芸術」的ではありながらも、「空間芸術」と密接に連携し、時に「視覚芸術」でもあると言える。私にとっては文学も同様だ。つまり────
────個人的にはこういう分別を付けてしまうのだ。映画も演劇も、聴覚を伴う芸術でもあるが、それら要素は私にとっては二の次である。音楽だってレコードジャケットやライブパフォーマンスも含めれば視覚芸術の側面もあることにはあるが、長い音楽史の中でここ100年ほどの最近の話をしても仕方がない。
もっとも、詩と音楽もまた切り離せないものであると思われる。「音楽」を意味する西洋の各単語 Music(英語)、Musica(伊語)、Musique(仏語)、Musik(独語)等はすべて芸術や学術を司るギリシアの女神「ムーサ Musa」が語源となっているが、古代ギリシャではこの言葉は特に音楽と抒情詩を指していたし、現代でも歌謡は歌詞────詩ありきで成立している。
しかし詩だけですでに十二分に美しいのに、そこに音が付随すると何だか鬱陶しく煩わしく思われはしまいか。むしろ音に乗せなければならないという制約が、詩の可能性を狭めてしまっているかのように錯覚される時もある。
彩り鮮やかな詩が絵画とは決して切り離せない存在ではあっても、音楽とは切り離してもそこまで問題にはならないはずだ。音なくしても耽美なる詩はどこまでも甘やかだ。詩なくして成立しない音楽は、もともと脆弱な骨格しか持ち得ていなかっただけにすぎない。
音楽とは、髪を掻き撫でたり頬を切り裂いたりしてはいつも私を置いて去ってゆく、烈風のようなものだ。それは決して掴むことのできない不定形の不安と寂寥である。突如我が身を襲う、体温以外の不慮の温度である。
「他の芸術では、私は作品へのめり込もうとする。芝居でもそうである。小説、絵画、彫刻、みなそうである。音楽に限って、音はむこうからやって来て、私を包み込もうとする。それが不安で、抵抗せずにはいられらくなるのだ。すぐれた音楽愛好家には、音楽の建築形態がはっきり見えるのだろうから、その不安はあるまい。しかし私には、
音がどうしても見えて来ないのだ。 (中略)明晰な美しい形態が、まるで私を拒否するかのように私の前に現れると、私は安心してそれに融け込み、それを合一することができる。しかし音のような無形態なものがせまってくると、私は身を退くのだ。」
──── 同上 p.38
確固とそびえる美しい建築には誰しも安心して駆け込むことができるだろう。しかし向こうからその建築物さえ巻き上げ迫り来る竜巻に自ら飛び込むことは、至難の業ではないか。小説や絵画、彫刻といった類は明朗に佇む建築物であり、音楽とは嵐の中に隠れた建築物だ。しかし三島が言う「音楽の建築的形態」が私にも一向に見えて来ないために、嵐の中に建築物が隠れていることをいつも見抜けずに、竜巻の接近に慄くばかりである。
音楽という未だ近づけない不可解。それが