ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

2022-01-01から1年間の記事一覧

第17書簡「幾度目かの最初」

乙訓の久子へ。 君に斯(こ )うして手翰(てがみ )を書くのは初めてだ。否(いや)、書く事自体は実の処(ところ )初めてでない、此(こ )れ迄(まで )何度も浅猿(あさま )しい情念(パッシオン )に駆られ便箋を乱筆で汚しては、否、僕の心情( は此…

第16書簡「母殺しのドグマ」

先日このようなツイートをした。 すべての女性の人生は母殺しの物語であると思ってきたし、少なくとも私の人生はそういうたぐいのものでした。しかして最近の親しい友人同士のような母娘の関係を眺める時、未来の少女たちはこれから一体誰を心の中で殺してゆ…

第15書簡「呪われたハロウィン」

本日10月31日は、ハロウィン祭 Halloween である。 もとは古代アイルランドのケルト人の祝祭であったハロウィンは、アメリカでは19世紀にアイルランド人やスコットランド人が移住して以来民間行事として定着したが、すでに現代においては宗教的意味合いを失…

第14書簡「トリップ・オン・ミー」

自己理解を提唱するノウハウ本、性格診断や適性分析、SNSに投稿されるあけすけな内心吐露への共感、自分探しの旅……。 「自分」という暗部をどうにか言語によって定義し、さもしい類型(パターン ) の何れかへ分類し、それが確かに形を持って存在するものだ…

第13書簡「不良の美学」

高校生の頃、同級生らとコピーバンドを組んでいた。目の周りを真っ黒に塗り潰して、髪を逆立てて、マイクに噛みついて狂犬病患者のように喚いていた。 反抗的(パンク ) であることに憧れていた。窓硝子を割ったこともない、バイクを盗んだこともない、家出…

第12書簡「貧しさと洗練」

日本は貧しくなったという。 フムなるほど、と俗な価値観で卑近な駄菓子を思い浮かべてみる。永らくずっとお札型のイメージだったキットカットは、そういやハンケチのような正方形型に似てきた気がするし、雪見だいふくは気が付けば昔の半分ほどのサイズにな…

第11書簡「老舗喫茶ランデヴー」

初めて「老舗喫茶」という空間に足を運んだのは、高校生の頃だったと思う。 当時の私は低俗凡庸な日常風景を嫌悪し、梶井基次郎の『檸檬』の主人公の如く、連日街をそぞろ歩きしていた。その精神的苦痛に満ちた逃避行の顛末は前回の記事で書いた通りだが、そ…

第十書簡「我が師匠──或る耽美主義者の面影」

これは今から約10年ほど前の話だ。 まだ10代だった私は、無味乾燥な日常にうんざりして、心安らぐ箱庭欲しさに夢遊病者のように街を徘徊する日々を送っていた。どこを歩いても、ルートヴィヒ2世の狂気のノイシュヴァンシュタイン城は現れないし、デ・ゼッサ…

第九書簡「無個性の欺瞞」

先日、渋谷で開催されていた「半・分解展」に足を運んだ。 フランス革命から一次大戦頃までの西洋の衣服を、外見のみならず構造からも見ることをテーマに、本物のアンティーク服を実際に触れたり嗅いだり着用して楽しめるという、非常に画期的な展示であった…

第八書簡「遥かなるかな、故郷」

私が生まれ育ったのは、いつも湿った大気に覆われた盆地だった。 夏は蒸し暑く、汗は粘りついて素肌に纏わりつき、冬はいくら着こんでも衣服の下から冷気が入り込んで、底冷えして仕方がなかった。その寒気は、発熱前の悪寒によく似ていた。 どこを向いても…

第七書簡「虚無という悦楽」

ごく幼い頃、どんぐりの蒐集に凝っていたことがある。原始的な所有欲を満たすに、あのアンバー色に光沢するすべらかな長楕円の果実は充分な魅力に満ちていた。特に価値が高いのは種子がみっしりと詰まった肥えたどんぐりで、飢えた栗鼠のように、落穂を拾う…

第六書簡「ファッショナブル・アングラ」

学ランとセーラー服。着物と軍服。遺影と柱時計を抱え、背後にはためくのは日章旗。般若面や狐面、数珠や呪符といった呪術的なアイテム。見世物や同性愛といったマイノリティ要素。背徳的な娯楽としての殺傷、自傷、折檻 ────サディズムとマゾヒズムの合間を…

第五書簡「好事家の矜持」

私たちは不思議な時代を生きている。言葉がかくも無力になりながら、しかし何より言葉を恐れている、矛盾した時代をだ。 今日も電子の海 ( インターネット ) に無数のあぶくのごとく生まれる言葉は、無関心にスワイプされ、情報の濁流として意味もなく流れ…