平安時代の末期に成立したという、『今昔物語集』という説話集がある。
日本から中国、
この『今昔物語』の書き口には
先日このようなポストをした。
「生まれてないから知らなかったです!」って私が普段YouTubeで取り上げてる内容の9.9割方、私が生まれる前の話やがな!
— 好事家ジュネ (@DilettanteGenet) 2024年2月21日
普段私が自身のチャンネルで取り上げている
この「私が生まれていないから知らなかった」という説明には、ふたつの潜在意識が働いている。
- 自分が生まれてからが「今現在」で、自分が生まれる前はすべて「昔という過去」に集約されるという自己存在の有無を中心とする歴史観
- 自分が生まれる前のことは知らなくて当前だが、生まれた後のことなら何でも知っているという経験に多大な重きを置いた学習観
私自身としては、今と昔の区別を自分存在の有無では定義しておらず、また世間知らずの程度が過ぎるが故に日夜恥ばかり搔いているものだから、生まれた後のことなら大抵知っているとはとても豪語できない。
そんな自身の感覚は、もしかすると世間で一般とされている感覚と大きな隔たりがあるのではないかと急に気になって、次いで以下のようなポストをした。
自分と世間一般の「この時代から昔感覚」にかなり解離がある気がしてきたので皆さんの年代とどの時代から昔と感じるかとその理由をリプで教えて頂きたいかもしれない。私は20代だけど過去の文化風俗に親しんでると近代化した19世紀以降はもう現代社会としか思えなくて150年程前までは「最近」の感覚。 https://t.co/6ybAtwYbwJ
— 好事家ジュネ (@DilettanteGenet) 2024年2月21日
年齢まで聞いてしまったが故かあまりリプライをいただけず、充分なサンプル数は手に入れられなかったんですけども……。頂戴した回答を見る限り、そもそも歴史に強い関心があったり、演劇といった親しんでいる文化芸術があると、今昔の判断基準がその動向に依拠していくようになるが、そうでない限りはやはり自分存在や、普段自身が親しんでいるモノ(例えばスマートフォン等)の有無で今昔が区別されているように思われた。
実際、私の上記のような「150年程前までは最近」という感覚も、歴史と文化芸術を俯瞰した時にそう思われてならないという側面が強い。Xでは書き切れないため、その理由をここに少々詳しく記しておきたいが興味がない御仁は読み飛ばされたし。
産業革命を経て、
手仕事は工場生産に取って代わり、人々は各地に点在していた農村を捨てて、工場労働者として都市に
それまでの仕事────農耕であったり畜産であったり────は好きな時間、適切な時間に勤しむものであったのが、19世紀以降は時間を厳守して取り組むものとなる。家でいくら赤ん坊が泣き喚いていようが、今晩居間を暖める
……そうしてこの時代に、「サービス」が初めて商品として成立するようになった。それまでは赤ん坊なんて
苦しい労働を終えた後には、娯楽の時間が待っている。労働者は工場を退勤すると、
今現在、苛酷な5連勤を終えたサラリーマンが花金に飲酒を楽しみ、土曜と日曜の休日はプライベートな趣味に勤しむ……という光景は誰しも想像に難くないだろう。このONの時間(労働時間)とOFFの時間(プライベートの時間)という概念が誕生したのも、労働形態が急速に変化した19世紀だ。
都市にひしめく人々の需要に応え多様な
識字率が向上し、庶民の娯楽として「雑誌」が人気を博し始めたのもこの頃なのだけれど、その一角に洋服や食品を宣伝する小さな枠が現れるようになり、街頭には芝居やレヴューの公演を告げるポスターが貼られるようになる。
19世紀末に活躍していたオーブリー・ビアズリーという
街中に広告が溢れていて、モノには差別化を図るためのデザインが施されている────そんな今では当たり前の光景が初めて現れたのも、19世紀半ば以降というワケだ。
……以上長くなったが、要は「社会」と聞いた時に頭に浮かぶ都市のイメージや人々のライフスタイルが現在の形態とほぼ同様になったのが、19世紀半ばという話(この言い方にはやや語弊があるかもしれない。150年前の人々が我々と同じ生活を発見したのではない。現在の我々が150年経っても未だにこのような社会システムから抜け出せていないだけだ)。
故に150年前までの大衆文化は体感的に理解がしやすく、現在巷に溢れている様々な表現、デザインへの影響も未だに顕著で、それらを私は自身と切り離された「昔」ではなく、地続きの「最近」と捉えている。
この100年以上前の時代に覚える親近感のワケには、あとは確実に「慣れ」の問題もあるだろう。
先程まるで歴史
騎士道物語や
今でも思い出すのは、両親の古いアルバムを目にした時の、言いようもない不快感だ。
つまり当時の私は、自身が生まれる前、両親の世代以降はすべて自身と切り離された「昔」と認識していたと思われる。そう、冒頭で提示した「自己存在の有無を中心とする歴史観」を、私も確かに持っていたのだ。
そしてその昔の光景に嘲笑と羞恥を覚えていたという事実は、「昔」の文化は知らない、つまらない、ダサいものであり、「今」巷に流布している文化こそ私が知っている、面白い、イカすものだという思い違いを露呈させる。それは自身が経験したものだけが正しく至高であるという、「経験に多大な重きを置いた学習観」であり、無知故の傲慢であった。
今では日々嬉々として昭和の
それは熾天使の
dilettantegenet.hatenablog.com
自閉していた価値観を完膚なきまでに叩きのめされて、瓦礫と化した卵殻の下からおずおずと周囲に伸ばし始めた食指で少しずつ「昔」の文化をつまみ食いしている内に、咀嚼の方法が何となく分かって来て、「今」の文化とはまた違ったその舌触りや風味に余計に好奇心を刺激され、段々と食わず嫌いをしなくなったような気はしている。
その内どんどん枝葉が伸びて、日夜インターネットで19世紀の書物をも漁るようになり、当時の表現もすっかり見慣れてしまったので、今では150年前程度なら全く最近の感覚になったというワケである。
しょっちゅうお世話になっているNY公共図書館のデジタルコレクション。検索が使いやすいのがオススメポイント。
昔の作品について会話をすると、稀に「なかなか手を出す勇気が湧かないんですよね」という返答を貰うことがある。「面白そうだから見る/つまらなさそうだから見ない」ではなく、「新しい作品だから見る/古い作品だから見ない」という判断基準が存在することに気が付かされる。
その人はきっと自分のそれまでの平穏な世界が揺るがされるかもしれない
だから私は動画で、その
「昔」をこそ尊ぶべきと豪語するつもりは微塵もない。「昔」ばかりが面白いワケでもない。だが、今現在とある表現がなされており、とある価値観が形成されているその背景には、「昔」を模倣していたり、「昔」を否定したり反省したからそうなっている……というような文脈が必ず存在する。例外は100%ない。
だから今見えている表層のみに
私の動画は『今昔物語集』ではない。「今は昔……」等という文句を、今こそ我々の心の中から消し去ってみたい。すべての時代と表現が
「今」と「昔」の合間に横たわる黒い俊峰を爆破せよ。その分水嶺の地底には、文化の輝く水脈が、煌めく鉱脈が、網目のように無数に繋がっている。
「知る勇気を持て Sapere Aude」
────カント『啓蒙とは何か』