ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第16書簡「母殺しのドグマ」

 先日このようなツイートをした。


 母親と適切な関係性を築くことに失敗した私が、近年のフレンドリーな母子関係を見て感じたことを何気なく綴っただけのツイートではあったが、「分かる」という共感のレスポンスが予想以上に多く、経験者は決して少なくないのだな、ということを実感した。一方で勿論、母親を殺さなければならない理由が分からないという反応もあった。
 興味深かったのは、前者の反応を示した多くは女性の(と思われる)Twitterアカウントであり、後者の反応を示した多くは男性の(と思われる)アカウントであったことだ。母子関係は子供の性別によって大きく実体が異なることを、Twitterの反応を見ても否応なしに感じさせられた。

 

 

 文字数の関係で言葉足らずなところがあったので、先に上記のツイート及びそれに連なるツリーの中で私が何を言いたかったのか、もう少し明確にしておこう。

 「母殺し」とは勿論、現実に母親を殺害することを意味してはいない。そんなことを容易くできたなら、世の中の大半の人間はもっと心穏やかに生きている。ここにおける「母殺し」とは、とうの昔に母子分離を経てなお自我同一性を脅かしてくる怨霊と決別することだ。寄生虫のように心に巣食う支配者の影を抹殺することだ。

 ユング心理学では「母殺し」という用語は、「母離れ」というニュアンスで用いられている。人間は誰しも初めは母親と一体であり、出生してからもしばらくは母親の絶対的な庇護に依存している。が、いつかはそこから心理的な離乳を果たさねばならない。何故なら母親は子供を包み込み、守り育てる一方で、抱え込みすぎたあまり子供を縛り殺してしまう側面も持っているからだ。このような二面性を持ったイメージ像をユング太母グレートマザー と称したが、子は母親の引力に呑み込まれまいと、反抗してみせたり、自由意志に突き動かされた冒険を繰り返し試みる。そうして支配者⇔従者としての母子関係が瓦解し対等なものへと変化してゆくことで、子は主体性や社会性を獲得してゆく────この母親からの精神的な自立を、ユング心理学では「母殺し」と呼んでいる。 

 しかしそうして太母グレートマザー との殺し合いによって主体的な「わたし」を一度獲得したとしても、母親と関わり続ける限り、それは何度も脅かされることになる────特に、その「わたし」が女性であった場合に。

 母と娘の関係は拗れやすい。娘は常に現在の母の鏡像であり、また時に、母親がかつて理想とした女性像の仮託先であるからだ。

 

 ちょっぴり話が逸れるのだが、この文章をJ.A.シーザーを聞きながら書いていたところ、『越後つついし親知らず』の「女の悲劇は渓谷へ……」というフレーズを耳にして思わず手を止めてしまった。太母グレートマザー のイメージは、物語の中で様々な象徴物として立ち現れることがある。それは例えば『白雪姫』やヘンゼルとグレーテル』における魔女だったり、日本神話における八岐大蛇ヤマタノオロチ だったりするのだが、大地の割れ目や暗い洞窟として描かれることもあるらしい。これまで何とはなしに聞き流していた「女の悲劇は渓谷へ……」というフレーズは、渓谷────つまり子供を殺しかねない母親のネガティブな側面が、女の悲劇────ここでは子によって母親が姨捨山に捨てられるという情景が歌われている────母殺しによって克服されるという暗喩になっているのだ。シーザー氏がそこまで考えて作詞したかは不明だが、偶然の産物だとすればあまりに邪悪で美しい。
 

 

 母親は娘に熾烈である。口調は熾烈でなくても、そこに悪意が微塵もなくても、娘には熾烈に聞こえてしまう。

 例えば母親が娘と息子に対して、その身嗜みや言動についてこういう叱り方をしたとしよう。
「きちんとしなさい」
 これを「行為に対する注意」と受け取れる人は、男性であるか、人間が社会的動物として機能するために必要な「他者の内在化」という心理プロセスを何らかの理由によって踏めない(踏もうとしない)人である。

 娘にとってこの「きちんとしなさい」という言葉は、確かに行為に対する注意でもありながら、往々にしてそれを超えた、人格にジワジワと侵食してくる蟲毒になりうる。何故ならそこには、「そうでなければ嫁に行けないぞ」というような脅迫や(これは現代では希薄だろうが)、「そうしてくれなければ私という女性の格が下がる」という、無言の強制が含まれるからだ。仮に母親が如何に優しく、諭すように娘を叱ったとしても、その言葉はいつでも娘────生物学上の天敵である同性に対する牽制と娘に捉えられかねない危うさを孕んでいる。そして同時に、生物学上の同一種だからこそ、母親は息子以上に娘に自己投影をし、その傀儡を無意識にジャッジし思い通りにコントロールしようとする。

ラファエロ・サンティ《小椅子の聖母》(1513~1514年頃)
この絵を見ると、マリアに抱きしめられたキリストこそ息子の偶像であり、右端の暗がりでマリアを見上げるヨハネの不安げな、しかし決して逸らされない視線、こわばった口元こそ娘のそれであると感じることがある。

 

 母親の鏡像とされることは、娘にとっては不快で、また寂寥を誘うものだ。その不快感はよく「母親によって娘の自己が否定されているから」と説明されるが、間違ってはいないものの、まだ解像度が低いと感じる。

 母親の娘への接触は、娘という鏡に向かって、母親が化粧をめかし込んでいるような光景に近い。母親の視線は娘を通過する。母親が見ているのは鏡そのものではなく、鏡に映っている自分だからだ。娘はこの母親が鏡に対して行っている自己投影に自己が否定されるような虚しさを覚え、一方で凄まじい嫌悪感を催す。何故なら透明な自分は、物も言えぬまま、延々と母親という他人の化粧の様子を見せ付けられ、「こう着飾るのよ」とでも言うような無言の威圧に晒され続けるからである。基本的に人は他者が化粧している様子を見たくないものだ。化粧とは煽情の仕掛けギミック であり、仕掛けギミック は本来内密にしておくべきものだからだ。顔を引き伸ばしたりしか めたり、滑稽な表情を作りながら身繕いに余念のない母親を見て、娘は女の卑しさを知り、同時に自身もいつかそうして繕って生きていかねばならないことに絶望する。

 そうして「女」は、娘と言う鏡台の前で「母親」に変身した。娘は期待する。「女」としての自意識を化粧の下におおい隠したこの「母親」が、ようやく私を鏡ではなく意思のある他者として扱うのではないかと。しかし母親は満足したかのように、鏡台の前から立ち去ってさっさと出かけてしまう。化粧の見せ甲斐があるのは、家の外にいる男に他ならないのだから────そうして息子は、いつも化粧の下にある「女」ではなく、化粧したことで顕現した「母親」を目にすることになる。それは私欲を知らない、いつも僕を受け入れてくれる、厳しくも優しい聖母である。

 多くの(これまでの)男性は、物心付いた時から見ている「母親」を、まさか化粧した姿だとは考えていない。母はどこまでも母であると思っている。しかし女性にとって、「女」の顔と「母親」の顔は同一のものではない、どこかでスイッチングする仮面ペルソナ だ。そのグロテスクさを、同性である娘は否応がなしに見せつけられ、自身もまた同類の生物であることに恐怖する。

エゴン・シーレ《死せる母Ⅰ》(1910)
太母グレートマザー の両義的な側面がよく描き出されている一枚だと思う。

 毎日毎日鏡として自省と忍耐を強いられる娘にとって、「母殺し」とは成長の一過程においてたった一度のみ経験するイベントではありえない。いくら精神的な自立を計っても際限なく自我同一性を脅かしてくる影を、日々追い返し殺し続けることなのだ。ツイートに「女性の人生は母殺しの物語・・ である」と書いたのは、そういうワケにある。「母殺し」は、通過儀礼と呼ぶにはあまりに長い歳月を要する。それはもっと激しく殺伐としていて、なかなか乾こうとしない生傷から「わたし」が流血し失われ続けることを恐れて、心の刃を振り回し続ける苦行だ。

♪ 我は不幸の子なりけり

 死んでくださいお母さん 死んでくださいお母さん!

────J.A.シーザー『桜暗黒方丈記

 

 

 「エディプス・コンプレックス」や「エーレクトラー・コンプレックス」と称されたフロイトの指摘があるように、同性の親子関係が憎悪とコンプレックスの温床になりやすいことはとうの昔に明らかにされていることだ。すべての女性の人生は母殺しの物語であるのだから、同時にすべての男性の人生は父殺しの物語でもあるだろう。古今東西あらゆる父子、母子の合間に潜在する普遍的な宿命カルマ だ。仕方ない。

 とまァ特にその中でも母と娘の関係について、ここまで個人的な所感を綴ってみたが、以上はあくまで現在20代後半に差し掛かっている私くらいの世代まで(Z世代の手前、Y世代まで)の体感であって、現在はその限りではないともまた思っている。母親が娘を自らの鏡像としてジャッジングする惨劇が全く起こらなくなったワケではないが、しかしそのジャッジングの中に、幸福な家庭、模範的な母親像を獲得すべきだという項目は現代では重要視されないようになりつつあるだろう。かの萩尾望都先生は、デビュー50周年を記念した日本経済新聞によるインタビューの中で、この母親と娘の関係性の変化をこう表現している。

 デビューから半世紀、少年たちの夢を具現化した少年漫画は変わらないのに、少女漫画は変わったと考えている。「かつて少女たちは『行方不明のお母さん』を探していた。でも今は、自分を探している」。

www.nikkei.com

 

 「行方不明のお母さん」とは、娘のの自己同一性アイデンティティ を混乱させる旧来の母親ではなく、当時はまだ稀有だった、娘を息子と同等に扱うような、そして家庭的であることを強制しない新しい母親像と看做すことができる。特に「花の24年組」世代の漫画家たちが描いた少女は、往々にして少年の姿で家出をし、性差の区別なく無条件に自己肯定をしてくれる母親────それは少女たちの新しい生き方を承認してくれる漠然とした母性────を探していたと、私も先述のツイートに連なるツリーの中で書いた

三原順はみだしっ子』より

 しかし、もはやそうして母を殺し家出をする必要は、今の娘たちには殆どない。核家族化が進んでいった中で、母の神聖を崇め、一方でその強大と理不尽を畏れるような母性信仰は消滅した。現代家庭においての母親は、一族を生み育て支える「家庭の守り人」ではなく、「家庭を運営する家族構成員のひとり」でしかない。故に今の娘たちは、家を支える「仲間同士」であるからこそ、母親とフラットで対等な関係を築いているように思われるのだ。

 そうして私は冒頭のツイートの中で、母親を殺さない未来の少女たちの、自立のための殺意の行く末に想像を巡らせたのだった。

 

 

 しかしこれまで人類の歴史の中で延々と繰り返されてきたであろう陰惨な「母殺し」の物語が、現代に至ってついに一件落着を迎えられるのかというと、多分そうでもない。母親はもうひとつ、娘に憎まれうる立派な原因を持っている。それは娘が上述したような母子関係の葛藤コンプレックス の中で、あるいは個人的な経験の中で抱えるようになった自己否定の念が、出生の恨みと呼応する時である

 「きみの父親はきみの母親を抱いたとき、きみの意思を訊ねただろうか。彼はきみにこの今の時代を見たいか、あるいは別の時代まで待つかときみに訊ねただろうか。またきみが愚か者の子に生まれても我慢するか、あるいは立派な人物の子に生まれたいという野心があるのかと。なんたることだ。きみこそが、このことに関わりのある唯一の人間関係だのに、きみだけが意見を聞いてもらえなかった唯一の人間なのだ。」

────シラノ・ド・ベルジュラック『日月両世界旅行記』赤木昭三訳

 

 出生というのは親のエゴイズムの結果であり、出生した当人(赤ん坊)の自由意志は介されない。故に何らかの理由によって自らの出生を呪うようになった子は、その苦しみが発生した諸悪の根源である母親を憎むことになる。「貴方が私を母胎で生成しなければ今この不幸も存在しなかったのだ」という言い分だ。ちなみにこれに対して「しかし生まれなければ幸福もまた存在しない」という反論が成り立たないことについては、デイヴィッド・ベネターが自著『生まれてこない方が良かった―存在してしまうことの害悪』の中で図式をもって説明しているので、ここでは割愛しておく。息子よりも娘の方が、元来母親と複雑な関係にあるからこそ、この憎悪は煮詰まりやすい傾向にあるように思う。

 家族の形が、世の中における女性の立ち位置がどう変化しようと、娘にとっての母親はいつかはくび らねばならない亡霊であることに変わりはないのではないか。「母殺し」とはその発端の内実はさておき、いつか必ず向き合い殉じることになる人類の教理ドグマ なのではないか。母親を憎まずして、一体何を憎むのだろうと、常々疑問に思う。何かを憎みきらずして、どうやって魂の呼吸をするというのだろう。

 母を殺せ。この愚かな「わたし」をこの愚かな世に生んだ罪深き人を。哀れな人を。

 さもなくば、そうでなくとも生きられる方法を後世の若い人たちにどうにかして教わりたいと、ここ最近思っている。

 

「生まれてきたことを肯定したら、わたしはもう一日も、生きてはいけないから」

────川上未映子『夏物語』