ケー・ドルセー41番地

ケー・ドルセー41番地

毎月月末、館より届く鈍色の便り

2023-01-01から1年間の記事一覧

第29書簡「巡り来る最後」

dilettantegenet.hatenablog.com 東山の峻太郎さんへ。 彼(あ)の御正月から、猶(も)う1年も経つのね。去年の冬は随分と寒かったけれど、今年は然(そ)うでも無くって、外套(オーバーコート)の襟元( )を緊(きつ)く締めて天神さんの長い石段を貴方…

第28書簡「変わり者の友情哲学」

「好事家たるもの、孤高であれ」というようなことを、動画でよく口にする。変わり者であるせいで周囲から孤立しているだけであるのを、まるで自ら選び取った独立であるかの如く傲岸不遜に誇れと、以前第五書簡「好事家の矜持」でも書いたことではあるが、私…

第27書簡「怠惰なる眼」

先月の生放送でも話題に出したが、ここしばらく『伝説巨神イデオン』を少しずつ見ている。 1980~1981年にかけて放映されたサンライズのロボットTVアニメで、1979年に放映された『機動戦士ガンダム』の後続番組として、富野由悠季氏が引き続き総監督を務めた…

第26書簡「音楽という不可解」

インターネットで日頃様々な文化に言及をしていると、音楽の趣味についても尋ねられることがある。しかしその度に、何と答えるべきか、私は返答に窮することになる。 これまでYouTubeで100本以上の動画の制作し、「文化の経糸を己の感性という緯糸で横断する…

第25書簡「落伍者の夜間学校」

二十歳も少し過ぎた頃、私は遅まきながら家出同然で実家を出たのであるが、煙草と数着の衣服だけが入ったトランクケース片手の栄誉ある独立は、当然のごとくその後しばらくの貧乏生活を私に強要した。 空の冷蔵庫を開けては途方に暮れたり、ようやく部屋を借…

第24書簡「不在と絶望の表象としての少女」

10代後半の頃、70年代に発表された少女漫画を熱心に読んでいたことがある。 萩尾望都『ポーの一族』や竹宮恵子『風と木の詩』、池田理代子『ベルサイユのばら』、大島弓子『綿の国星』、木原敏江『摩利と新吾』、山岸涼子『日出処の天子』、三原順『はみだし…

第23書簡「滅びに生まれる物語」

昨日、祖母が死んだ。 馴染みの呑み屋で安酒を舐めている最中だった。カウンターの隅に打ち遣(や)っていた携帯電話(スマートフォン)の罅(ひび)割れた液晶画面が光って、片手に濡れたグラスを離さないままもう片方の手で画面を開けば、親族からの、祖母…

第22書簡「狂犬に学ぶ死生学」

犬が好きか、猫が好きか、と聞かれたら、犬だと答える。 別段、深い理由はない。幼少期に住んでいた家に、ほんの通路程の幅ではあるが、遊蝶花(パンジー)だの鬱金香(チューリップ)だの君影草(スズラン)などが季節毎におずおずと花開いてみせる、凡(お…

第21書簡「ジュネ・サヴァランの珍食礼賛」

食べることが好きだ。もしこの胃袋が一杯になることを知らなかったなら、この身体が愛する洋服たちのための人形(マヌカン)でなかったなら、私は止むことなく口に物を運び続けているだろう。 何処で読んだか記憶が曖昧だが、他人の胃袋を借りて食事をする創…

第20書簡「悪魔の人生論」

昨日3月30日は、90年代の終わりに「ネットアイドル」として注目を浴びた南条あやの命日だった。 彼女は「精神を病んだ私」の徒然(つれづれ)をインターネット上にあけすけに綴り、そのポップで巧みな文章力と屈託のないキャラクターで一部のネットユーザー…

第19書簡「さらば、90年代」

先日2月16日、新宿のロフトプラスワンで開催されたトークセッション「90年代サブカルチャー大総括〜鬼畜系とは何だったのか〜」にゲストの一人として出演させていただいた。90年代の露悪的で非道徳な「悪趣味ブーム」の振り返りや、そしてそのサブジャンルと…

第18書簡「メンヘラ表現変幻考」

「病み」がポップなアイコンとなって、随分と経った。「メンヘラ」というネットスラングが現実世界でも通じるようになって、久しくなった。 この「病み」とは勿論、身体を犯すそれではない。心に巣食い精神を蝕む、見えない病魔のことである。 私は2010年代…