ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第32書簡「思考起爆剤としての病」

 ここしばらく、酷い風邪にかかっていた。

 いくら薬を飲んでも咳が止まらず、気怠さと熱っぽさに耐えかねウンウンと唸っていた。元来はそれほど風邪を引いたり拗らせる方ではなかったはずだが、ここ最近は季節が変わるたびに風邪を引くし、一度症状が出るとイヤに長引く。理由は分かっている。日頃の不摂生のせいである。要は自業自得というワケである。

 ウイルスなどという生物なのだかそうでないのだかよく分からないふざけたやっこに敗北を喫するのが腹立たしく、日夜つまらぬ考え事をするためだけに酷使したい脳味噌の重要なリソースを体調の快復などという雑事に割かれるのがまこと癪に障るので、こういう時は決まって書き物をすることにしている。生産的であることで気を紛らわせようという寸法だ。

 さながらベッドで朝食をとるハリウッド女優よろしく、ヘッドボードにもたれかかり足には毛布を引っかけて、膝上にキャンパスノートを開いてペンを走らせる。体調不良の鬱憤を書き殴っている内に、そうなった原因に思いを巡らせるようになり、もしそうなっていなかったら今頃は……という空想をするようになる。すると自身の不出来と至らなさが何となく身に染みてきて、私のような傲岸不遜な人間でも否応なしに反省する気になってくる。

 元気だったらば取り組んでいたであろう様々なことを頭に浮かべる内に、日頃やりたいこともロクにせず、如何に無下に時間を浪費していたかということも実感したりする。余命を宣告されたふたりの初老の男性が「棺桶リスト」という死ぬまでにやりたいことを記したリストを実行してくという『最高の人生の見つけ方』という映画があるが、何となくああした心地になるのである。

それにしてもベッドで朝食をとるって何て憧れるんでしょう。『イヴの総て』より、ベティ・デイヴィス

 

 

 

 病状記録によって促される内省は、健康的な生活を心掛けるためにはない。むしろ、如何に健康的に不健康ができるか・・・・・・・・・・・・・・・という工夫のためにそれはある。

 例えば安酒を朝まで呑み明かすような日が続いて、体調を崩したとする。それをノートに記録することによって導かれるのは、酒を摂生するということではなく、何故その時連日呑み明かさずにはいられなかったのかという気付きである。そこには埋まらない寂寥が、語るべくもないやるせなさが、人生の痛みがあったりなかったりする。飲酒する悲哀については、立派なアルコール中毒者だった中島らもの言葉がよく沁みる。

「酒をやめるためには、飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何かを、『飲まない』ことによって与えられなければならない。 それはたぶん、生存への希望、他者への愛、幸福などだろうと思う」

「内臓は頑丈でも、おれの心には穴がいくつもあいていた。夜ごと飲みくだすウイスキーは、心にあいたその穴からことごとく漏れてこぼれ落ちてしまうのだった」

────中島らも『今夜、すべてのバーで』

 酒を呑まないことが本当の「健康」ではない。酒を呑まねばやりきれないという不健康な自身の、未だ言語化されていない複雑な精神の機微に自覚的であろうとすることが人としての「健康」なんじゃないかと思う。

 ただ体調が良くてピンピンしているだけでは、生まれて間もない犬畜生と変わらない。

 

 

 

 体調が優れないとどうも気弱になる。気弱な日々が続くと憂鬱メランコリックにもなってくる。その憂鬱が、人に良いものを書かせる。

 私の手元には、風邪を拗らせた時、熱病にうなされた時、急病で入院した時なぞに書き散らした手記がいくつも残っている。折に触れてそれらを読み返すが、よくこんな文章が書けたものだと、我ながら関心することがある。別段文学的に優れているだとか、表現として卓越しているということではない。普段の自分なら絶対に書けないような言葉がそこには滔々とうとうと記されていて、まるで別人が書いた文章を読んでいるような錯覚に陥るのである。

 数年前に急性虫垂炎になって入院を余儀なくされた際も、術後の痛みを紛らわせようとして病室でずっと書き物をしていたが、今読み返せばそこには延々と食べたいものが並べ立てられていて、さながら円谷幸吉の遺書のようだ。その時は食事はおろか、水を飲むことさえ禁じられていたので、味覚の飢えが無限に筆を走らせていたのだろう、文体にとにかく速度がある。

当時の病状記録の一部。早く健康になりたいくせに情けない恰好付けをしている。

 それが快復するにつれて、文量も文体のキレもみるみる落ちていくのだから面白い。当時もその自覚はあったようで、ノートにはこう走り書きされてある。

 「食べられないことによって、思うように動けないことによって予想以上に萎んでしまっていたあらゆる気力が、徐々に食べられるように、自由に動けるようになったことで見る間に回復の兆しを見せ、人の根幹の如何いかんを思う。同時に、些細な感傷は失われ、内向的なセンチメンタリズムは外向的なコミュニケーション欲求に取って代わられ、人が細やかないとしみを忘れないためには、哀しいかな、痛みと苦しみが、病が必要らしい」

 2年前には当時猖獗しょうけつを極めていたコロナウイルスに罹患し、予定していたイベントも延期する羽目になって情けないやら申し訳ないやら、これまた怒りに任せて延々と書き物をしていたのだが、40度近い高熱を出していた時の筆致はなかなか凄まじいものがある。熱と関節の痛みでまんじりともせず意識朦朧とする中、どうも日頃の恨み辛みを吐き出すまでは死ねぬという思いに憑りつかれたらしく、相当な量の呪詛が書き殴ってある。多分あのまま死んでいたら、日本国の大魔縁となることを誓った崇徳天皇の如く、そこそこの怨霊になっていたかもしれない。

 それが平熱に近付くにつれて、すっかり書き口は穏やかになり、ただの体温とその日口にしたもののメモ書きしか残されていない。記録としては大切かもしれないが、読み物としては、まあつまらない。

 病が人を文学者とまでは言わないまでも、そこそこの書き手にするらしいことは、SNSを見ていても日々感じたりする。

 現在のX────かつてのTwitterでは所謂「メンヘラ芸」が盛隆していたことがあって、その思い出については第18書簡「メンヘラ表現変幻考」で記した通りだが、「メンヘラ芸人」と呼ばれるアルファツイッタラーたちのツイートには明らかに光るものがあった。彼らの自堕落で破天荒で、時に人騒がせな軽挙妄動は決して褒められたものではなかったが、それを自虐的にあっけらかんとひけらかす文章には、自身を徹底して他者化し客観視することで皮肉の効いたアイロニックな笑いに変換する、卓越したセンスがあった。

 彼らの一部は亡くなり、一部は今もSNSを続けているが、病状も穏やかになった後者のポストは既に一般的な生活者のそれになっている。

dilettantegenet.hatenablog.com

 病は人を内省的にし、ちょっとした表現者に仕立て上げてくれるらしい。

 

 

 

 実際、ネガティブな心境が人を創造的にするという指摘がある。

 コロンビア大学の2008年の研究では、他人に否定的な反応を示された人ほど創造性のあるコラージュ作品を作ったという旨が報告されている。ニューサウスウェールズ大学のジョー・フォーガス Joe Forgas 教授によれば、陰鬱な気持ちにある人は陽気な状態である人に比べて記憶力と集中力が向上しているという。

 どちらもやや古い研究であるから鵜呑みにするのもナンセンスだろうが、作家や芸術家に憂鬱気質な人が多いワケは案外ここにあるような気もしている。作家や芸術家だから抑鬱的になるのではない。彼らは繊細ナイーブだから、作家や芸術家たりえるのだ。

wired.jp

 「ぼんやりとした不安」という言葉を遺して服毒死した芥川龍之介。「恥の多い人生」を入水によって終わらせた太宰治梶井基次郎の『檸檬』に胸に迫る切実さがあるのは「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた」からだし、宮沢賢治も友人宛ての手紙に「わがこの虚空のごとき、かなしみを見よ。私は何もしない。何もしていない」と吐き捨てている。「世界の外ならばどこへでも」なんて現実からの逃避を叫ぶのはボードレール。「また自分の頭がおかしくなっていくのが分かります」と遺して死んだヴァージニア・ウルフも、長年神経衰弱に苛まれていたし、自らに散弾銃を撃ち込んだヘミングウェイも晩年は躁鬱病に悩まされていた────挙げればきりがない、偉大な作家の偉大な憂鬱。

 心臓に毛が生えた凡夫たる我々は、なかなか高尚に憂鬱を拗らせることはできない。しかし例え白痴であろうと、どんな人でも抑鬱状態を経験することができる機会チャンスが、不健康に、病気になることの中には眠っている。

 

 

 

 健康に代わる幸福はないだろう。如何なる幸福があったとしても、不健康な状況で噛み締めるそれは、今現在の苦しみを紛らわせ、束の間忘れさせる一助としての性格を免れない。

 それは裏を返せば、不健康であるならば、必ずそこには陰鬱のにおいが漂ってくるということだ。そしてその暗がりが、我々を透徹した何者かにする。ちょうど秋が────暗く冷たい季節の訪れを予感させる瞬間こそが人を詩人にするように。だから病に侵されている人は幸運に思ってほしい。賢者への道が、今まさに目の前に開かれているはずだからだ。病が憂鬱を呼び、憂鬱が人を思慮深くする。心身の病とは、思考の有用なる起爆剤である。

 ……なんて人の苦しみも知らないで。本当に面白くないことを書く奴だ、ですって?

 だって私の風邪は、もう治りかけていますから。

エドヴァルド・ムンク《病める子》(1896)