ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第29書簡「巡り来る最後」

dilettantegenet.hatenablog.com

 東山の峻太郎さんへ。

 の御正月から、う1年も経つのね。去年の冬は随分と寒かったけれど、今年はうでも無くって、外套オーバーコート襟元 きつく締めて天神さんの長い石段を貴方と足早に上った朝を懐かしく思い出します。案外人気ひとけまばらだった境内の凍り付く様な冷気の中で、梅が一輪ほころび掛けて居るのを目にして、貴方は、

「梅は飛び 桜は散るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」

 と道真みちざね公の歌をそらんじたわね。長寿の松を私の名前久子なぞらえたのだろうけれど、大して面白くも無かった。けれどの時悪戯いたずらに唇を歪めて私を一瞥いちべつした、朝陽で米国珈琲アメリカンコーヒー色に煌いたも、う記憶の淡雪となって溶け消えようとしている────れが我慢らなくて、おもむろうして筆を走らせて居ます。

 今、夜の九時二十分です。外は慄然ぞッとする程にしずかです。此の六畳間に聞える物は────時計の秒針の足音、瓦斯ガスストーヴの小さなうめき、用箋にMONTBLANCモンブランの万年筆を滑らせる音、時折階下で母が咳き込む声────ただ而已だけ

 手翰てがみ何処どこにも出しません。切手も貼らずに抽斗ひきだしに仕舞って、の内、気が済んだら破り棄てる心算つもり住処アドレスも、記しません。宛先なんてう、何処にも無いもの。

 

 

 

 今年の夏休み、東京の叔母さんの御家おうちを訪ねる機会がりました。

 私、一日だけ銀座に遊びにきますと嘘を付いて、三原山に行きました。独りだと怪しまれるから、従妹の由紀子さんも連れて。何故どうして三原山なんかに、と由紀子さんには随分と渋い顔をされたけど、彼女、大して趣味事も無いつまらない子だから、暇を持て余して居たのは知っていたのよ。結局叱言こごといながら同行してくれたわ。親切な子。

 銀座に遊びにていだったから、釣鐘帽子クローシェ清涼服アッパッパなんか着けてなりめかし込んで、とてれから山登りをするりじゃァ無かったのだけど、野暮ったい見物客達の中で場違いな華やいだ恰好をしているのも、れはれで愉快だったわ。兎も角、世を儚んでの三原の火孔に飛び込んだ女学生がくせいと、れに追従オベイした弟子達の墓は如何なる代物か、有難く拝ませて貰いに行った訳。

 遠目から既に白煙が濛々もうもうと上がっているのが見えたけれど、頂上に近付けば近付く程、地面が轟々と鳴動しているのを感じて、身震いしなかったとえば強情つよがりになるわね。覗き込んだ噴火孔は奈落の様だった。そこから立ち上る噴煙は地獄ゲヘナの業火の息衝きの様だった。れを位牌にして呉れと、死んだ女学生がくせいっていたのね。

 の大袈裟な不貞々々ふてぶてしさは、私の好むところでは在ります。けれど凝然じッと眺めている内、段々と莫迦ばか々々しくって来たの。此様こんな物、ただの巨大な御線香じゃないのって。

 途端に哀愁ペーソス抒情リリシズム悉皆すっかり褪せて仕舞った気がして、三原山の荒涼とした山頂で、私、黒々とした石塊いしくれ一つ拾って帰宅かえりました。御線香の、の陰気な白煙、私は最早もう真っ平だから。

 故に最近、私耶蘇キリスト教徒にでも為ろうかと思案おもったりもして居たのよね。でも屹度きっと駄目ね。私、礼拝ミサの時間に起きられないもの。

 

 

 

 何時いつか私がRigautリゴーという仏蘭西フランス人の話をしたのを、貴方は覚えているかしら。

 三十歳で拳銃ピストル自殺を遂げた彼は、引金トリガーを引く前に、弾丸が確実に貫通する様、銃口から心臓までの距離を念入りに計測した。けれど私にとって彼が特別なのは、道具に拳銃ピストルを選んだからでも、銃口から臓器までの距離を計ったからでもない。の決行に至る迄の十年分の周到な準備よういを、綿密な筆跡エクリチュールとして遺したからだ。

 貴方はストーヴの明りで顔に深い陰影かげを作って、煙草シガレットも咥えず口を横一文字に引き結んで居た。の左手のほぐちから線香の様に煙が立ち上って居るのを横目に、私は努めて笑顔で呟いたわ。

 己を断罪する手段の選択など、些細な差異に過ぎない。其処そこに至る迄に、如何なる精妙な機微が在り、個人的パーソナルな挫折が在り、緻密な懊悩と絶望が在り、して其様そのように病めるわたくし自身を徹底的に否定し切る事への決意と誇りプライドが在るか、の軌跡こそが重要だいじだ。して自殺で在ろうとうで無かろうと、何方どちらも死という全く同じ、普遍的な、有体ありていな事象に帰結する以上、の軌跡を筆跡エクリチュールとして遺すならば、自らの死は寸暇ほんの幾許すこしばかり特別な事物ものに成りるだろう。

 れは、他より優秀すぐれた成果として自身の結末を聖別サンクティファイする、という事では無い。丁度、私が三原山で無造作に一つの石塊いしくれを手に取った様な事と同義おなじ。取るに足ら無い石塊いしくれを、死を、自身がの掌の中に握って確乎しかと知覚出来る物にする────して他者から視た時に、石塊いしくれを「久子の石」と名の付いた唯一物にする、という事。

 更にえば、死への勇敢なる道筋を綴る事に関心を寄せれば、おのずと日々の生き様も、己の美意識に律された演戯パフォーマンスへと変る。他人に嗤われ唾棄される様な自傳じでんは、可能できれば誰も書きたくないでしょう。又、万物すべてを細かに言葉で捉えようとる様にも成るでしょう。心境きもちを器用に言葉に出来ない事程、しゃくに障る事は無いわ。

 私が一等重要だいじだと貴方につたえたかったのは、う事だった。生のみを定めて緩慢に死に向かうのでは無い。死に依って現在の生を毅然と定義し続けて居たい、と。の為に我々は、言葉に誰よりも誠実シンシア厳格ストリクトで在りましょう、と。

 結局の後、貴方が筆跡エクリチュールと呼べる物を遺したのか否かは、不明わからないままだったわね。

 

 

 

 先刻、時計が十一時の鐘を打ちました。去年と同じく、今年もうち凝然ぢッとして過ごすわ。後もう一仕事、べき責務ことが残っているから。

 貴方はれ以上、私達の間に交換かわす言葉が無くなったから、の永続の距離を選び取ったのね。の距離の遠き処へ、一抹の寂寥と懐しさを持って思慕おもいを馳せる事は在っても、の先へと投げ掛けるといや、叫喚さけぶ声など最早もう無いから、と。

 私は知ら無かったわ。私は貴方に、貴方の生の如何なるかを立証て欲しい訳では無かった。温暖 あたたかな、甘やかな、私達が束の間纏って居られたれを、貴方の口から聴きたい訳では無かった。貴方の、煙草シガレットを持つ痩せた左手、時折思い出した様にく溜息、勃然むッと引き結ばれた唇、淡い、深い米国珈琲アメリカンコーヒー色の眼────れこそ貴方の何よりもの言葉だった。雄弁なる、威厳ある、何よりもの。距離は私から、其れ等全てを奪ったわ。

 零時を回る前に、花を活けなきゃ為らない。季節外れの竜胆。すぐに枯れて仕舞う様な代物だけど、貴方に見せる訳でも無いのだから構わないわね。一度、野菊の民子ちゃんの素振ふりでもて、貴方を竜胆の様な人ね、とでもって見たかった。でも最早もう、全ては終った事。

 屹度きっと私は又、うして貴方に送りもしない手翰てがみを、貴方に宛てて書くでしょう。をして暖かいの部屋の片隅に、花を、枯れ掛けた竜胆を活けるでしょう。

 来年も。の来年も。の又来年も。屹度きっと

 

十二月三十一日

午後十一時五分

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