dilettantegenet.hatenablog.com
東山の峻太郎さんへ。
彼の御正月から、猶う1年も経つのね。去年の冬は随分と寒かったけれど、今年は然うでも無くって、外套の襟元を緊く締めて天神さんの長い石段を貴方と足早に上った朝を懐かしく思い出します。案外人気も疎らだった境内の凍り付く様な冷気の中で、梅が一輪綻び掛けて居るのを目にして、貴方は、
「梅は飛び 桜は散るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」
と道真公の歌を諳んじたわね。長寿の松を私の名前に準らえたのだろうけれど、大して面白くも無かった。けれど其の時悪戯に唇を歪めて私を一瞥した、朝陽で米国珈琲色に煌いた瞳も、猶う記憶の淡雪となって溶け消えようとしている────其れが我慢為らなくて、徐に斯うして筆を走らせて居ます。
今、夜の九時二十分です。外は慄然とする程に閑かです。此の六畳間に聞える物は────時計の秒針の足音、瓦斯ストーヴの小さな呻き、用箋にMONTBLANCの万年筆を滑らせる音、時折階下で母が咳き込む声────唯、其れ而已。
斯の手翰は何処にも出しません。切手も貼らずに抽斗に仕舞って、其の内、気が済んだら破り棄てる心算。住処も、記しません。宛先なんて猶う、何処にも無いもの。
今年の夏休み、東京の叔母さんの御家を訪ねる機会が在りました。
私、一日だけ銀座に遊びに往きますと嘘を付いて、三原山に行きました。独りだと怪しまれるから、従妹の由紀子さんも連れて。何故して三原山なんかに、と由紀子さんには随分と渋い顔をされたけど、彼女、大して趣味事も無い詰らない子だから、暇を持て余して居たのは知っていたのよ。結局叱言を云いながら同行してくれたわ。親切な子。
銀座に遊びに往く体だったから、釣鐘帽子と清涼服なんか着けて其れ也に粧し込んで、迚も此れから山登りをする成りじゃァ無かったのだけど、野暮ったい見物客達の中で場違いな華やいだ恰好をしているのも、其れは其れで愉快だったわ。兎も角、世を儚んで此の三原の火孔に飛び込んだ女学生と、其れに追従した弟子達の墓は如何なる代物か、有難く拝ませて貰いに行った訳。
遠目から既に白煙が濛々と上がっているのが見えたけれど、頂上に近付けば近付く程、地面が轟々と鳴動しているのを感じて、身震いしなかったと云えば強情りになるわね。覗き込んだ噴火孔は奈落の様だった。そこから立ち上る噴煙は地獄の業火の息衝きの様だった。此れを位牌にして呉れと、死んだ女学生は云っていたのね。
其の大袈裟な不貞々々しさは、私の好む処では在ります。けれど凝然と眺めている内、段々と莫迦々々しく為って来たの。此様な物、只の巨大な御線香じゃないのって。
途端に哀愁も抒情も悉皆褪せて仕舞った気がして、三原山の荒涼とした山頂で、私、黒々とした石塊一つ拾って帰宅りました。御線香の、彼の陰気な白煙、私は最早真っ平だから。
故に最近、私耶蘇教徒にでも為ろうかと思案ったりもして居たのよね。でも屹度駄目ね。私、礼拝の時間に起きられないもの。
何時か私がRigautという仏蘭西人の話をしたのを、貴方は覚えているかしら。
三十歳で拳銃自殺を遂げた彼は、引金を引く前に、弾丸が確実に貫通する様、銃口から心臓までの距離を念入りに計測した。けれど私にとって彼が特別なのは、道具に拳銃を選んだからでも、銃口から臓器までの距離を計ったからでもない。其の決行に至る迄の十年分の周到な準備を、綿密な筆跡として遺したからだ。
貴方はストーヴの明りで顔に深い陰影を作って、煙草も咥えず口を横一文字に引き結んで居た。其の左手の火絨から線香の様に煙が立ち上って居るのを横目に、私は努めて笑顔で呟いたわ。
己を断罪する手段の選択抔、些細な差異に過ぎない。其処に至る迄に、如何なる精妙な機微が在り、個人的な挫折が在り、緻密な懊悩と絶望が在り、而して其様に病めるわたくし自身を徹底的に否定し切る事への決意と誇りが在るか、其の軌跡こそが重要だ。而して自殺で在ろうと然うで無かろうと、何方も死という全く同じ、普遍的な、有体な事象に帰結する以上、其の軌跡を筆跡として遺すならば、自らの死は寸暇幾許ばかり特別な事物に成り得るだろう。
其れは、他より優秀れた成果として自身の結末を聖別する、という事では無い。丁度、私が三原山で無造作に一つの石塊を手に取った様な事と同義。取るに足ら無い石塊を、死を、自身が此の掌の中に握って確乎と知覚出来る物にする────而して他者から視た時に、其の石塊を「久子の石」と名の付いた唯一物にする、という事。
更に云えば、死への勇敢なる道筋を綴る事に関心を寄せれば、自と日々の生き様も、己の美意識に律された演戯へと変る。他人に嗤われ唾棄される様な自傳は、可能れば誰も書きたくないでしょう。又、万物を細かに言葉で捉えようと為る様にも成るでしょう。心境を器用に言葉に出来ない事程、癪に障る事は無いわ。
私が一等重要だと貴方に傳えたかったのは、然う云う事だった。生のみを定めて緩慢に死に向かうのでは無い。死に依って現在の生を毅然と定義し続けて居たい、と。其の為に我々は、言葉に誰よりも誠実で厳格で在りましょう、と。
結局其の後、貴方が筆跡と呼べる物を遺したのか否かは、不明ない儘だったわね。
先刻、時計が十一時の鐘を打ちました。去年と同じく、今年も家で凝然として過ごすわ。後もう一仕事、為べき責務が残っているから。
貴方は此れ以上、私達の間に交換す言葉が無くなったから、此の永続の距離を選び取ったのね。其の距離の遠き処へ、一抹の寂寥と懐しさを持って思慕を馳せる事は在っても、其の先へと投げ掛ける問や、叫喚ぶ声等最早無いから、と。
私は知ら無かったわ。私は貴方に、貴方の生の如何なるかを立証為て欲しい訳では無かった。温暖な、甘やかな、私達が束の間纏って居られた其れを、貴方の口から聴きたい訳では無かった。貴方の、煙草を持つ痩せた左手、時折思い出した様に吐く溜息、勃然と引き結ばれた唇、淡い、深い米国珈琲色の眼────其れこそ貴方の何よりもの言葉だった。雄弁なる、威厳ある、何よりもの。距離は私から、其れ等全てを奪ったわ。
零時を回る前に、花を活けなきゃ為らない。季節外れの竜胆。直に枯れて仕舞う様な代物だけど、貴方に見せる訳でも無いのだから構わないわね。一度、野菊の民子ちゃんの素振でも為て、貴方を竜胆の様な人ね、とでも云って見たかった。でも最早、全ては終った事。
屹度私は又、斯うして貴方に送りもしない手翰を、貴方に宛てて書くでしょう。而をして暖かい此の部屋の片隅に、花を、枯れ掛けた竜胆を活けるでしょう。
来年も。其の来年も。其の又来年も。屹度。
十二月三十一日
午後十一時五分
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