ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第27書簡「怠惰なる眼」

 先月の生放送でも話題に出したが、ここしばらく『伝説巨神イデオン』を少しずつ見ている。

 1980~1981年にかけて放映されたサンライズのロボットTVアニメで、1979年に放映された『機動戦士ガンダム』の後続番組として、富野由悠季氏が引き続き総監督を務めた作品だ。登場人物たちを敵のみならず味方まで容赦なく殺していくことから、富野監督は時に「皆殺しのトミノ」という恐ろしい異名で呼ばれているが、『伝説巨神イデオン』はその無慈悲な殺戮が前代未聞の規模で繰り広げられたアニメということで、それへの浅はかな興味だけで気楽に手を出した……のだが、最近だんだん見るのが億劫になってきている。

 決してイデオンのストーリーがつまらないということではない。確かに序盤は物語進行が緩慢でやや冗長な印象も受けるが、「イデ」という未知の古代エネルギーに運命を翻弄されていく人間のドラマは、放送回を追うごとに加速度的に面白くなっていく。それより自分は、このアニメを「見ている」ようで実は「見ていない」のではないか、という思いに突然囚われて、どう観賞すれば良いのかがよく分からなくなったのだった。参考程度に、観賞中のメモを一部書き出してみる。
 『伝説巨神イデオン』は、地球人と異星人「バッフ・クラン」が些細な衝突をきっかけに不幸な戦争へと陥っていく物語だ。主人公らはバッフ・クランの攻撃を逃れて寄る辺なく宇宙を漂流するが、宇宙船の閉鎖空間の中では乗組員らの確執もあり、『十五少年漂流記』『蠅の王』等に代表されるような「漂流モノ」という物語類型を連想させる。

 またこの異星人「バッフ・クラン」が前髪を切りそろえた独特のスタイルをしており、『スタートレック』のヴァルカン星人を彷彿させる。彼らが使っているレーザー光の刀はどう見ても『スターウォーズ』でジェダイの騎士が振るうライトセーバーだ。

異星人「バッフ・クラン」の軍人の平均的なファッションスタイル。ダサイ。

 終わりの見えない泥沼の戦況で、イデオンパイロットである主人公ユウキ・コスモも傷付き、成長と変化を余儀なくされる。彼がイデオンに乗ることになったのは、父がその古代ロボットを研究している考古学博士だったからだが、死の恐怖に晒され一時は虚脱状態に陥る。そんな折、同じ年頃の息子を持つカミューラ・ランバンという司令官に母親のように接されたことで我を取り戻すことができたのだがそれも束の間、カミューラは戦いで命を落とし、コスモは深い悲しみに囚われる────とここまで、MSモビルスーツの開発者を父に持ち、戦いで精神を疲弊させていく中でマチルダ・アジャンという憧れの女性をも亡くした前作『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイの経緯と大差がない。

 またこの経緯は心理学的にも興味深い。ユング心理学では、人を動かす様々な無意識のパターンを複数の「元型アーキタイプ」として分類している。その内の「グレートマザー」に関しては第16書簡「母殺しのドグマ」で書いた通りだが、他に「アニマ」という元型アーキタイプがあり、それは男性の中にある女性的側面のことらしい(女性の中に在る男性的側面は「アニムス」という)。アニマは男性の精神的成長に伴って、まずは母親のイメージ(イヴのアニマ)、次に恋人のイメージ(ロマンチックアニマ)……と変化するのだが、コスモという少年がカミューラという母親代わりの女性と死別し、その後にキッチ・キッチンという心惹かれる少女に出逢うというのは、まるでコスモの中の成長しゆくアニマを象徴するかのようである。そもそもコスモもアムロでさえも、作品冒頭においてそれぞれの形で実の父親と決別している。アニマの変化よりも先にまず、幼少期の通過儀礼として精神的な父殺しが行われているのが面白い。云々。ja.wikipedia.org

 こうしたメモ群を読み返して思うのは、私は何につけても他作品と比較して、作品そのものを全く見ていないということだった。別段ロボットアニメを研究しているワケでもあるまいに、物語構造や象徴的な要素ばかりが気になって、キャラクターの活躍に胸を躍らせたり、ロボットの超人的なパワーにワクワクしたりといった没入感が一切ない。

 比較文化研究的な行為が昔から大層好きなタチだ、作品を体系の中で捉え構造分析して鑑賞することが非常に有用だという考えは変わらない。しかし気が付けばそればかりに拘って、目の前のものが素直に見えなくなっている。画面の中で繰り広げられるストーリーに一喜一憂するのではなく、そこに寓意を読み取っては一喜一憂している。それは「観賞」ではない、ただの自分の浅はかな知識が役に立つのかを確めては悦に入っているだけではないか。

 まだ全話を見終えたワケでもあるまいのに、初めてイデオンに搭乗した時のコスモの表情を、私はもう覚えていない。

 

 

 

 辺見庸という作家・ジャーナリストが、敬愛する写真家 中平卓馬氏の言葉を引用しながら、自著のあとがきにこういう文章を書いている。

中平卓馬はかつて、みずからの『眼の怠惰』をつよく戒めたことがある。「眼はすでに制度化された意味をひきずったまま、意味の確認しか世界に求めようとしない」(『なぜ、植物図鑑か』晶文社と。実際には鋭敏に過ぎ、勤勉過ぎる目の持ち主であるにもかかわらず、彼は自省をやめることはなかった。(中略)「眼の怠惰」だけは許してはならない。昼に夜に風景の底を見抜かなければならない。とりわけ、これからの時代には。

────辺見庸『永遠の不服従のために』

 中平氏の「眼の怠惰」への戒めに、思わずドキリとする。「見ている」つもりでいて、その実態はただ自身の知っていること、当たり前だと思っていることを目視で再確認しているしているだけではないか

 例えば近年は異常気象の影響で樹々が紅葉しないという。そんなニュースをネットで見かけて、桜の街路樹を見上げて「ああ、確かにちっとも橙に染まっていないな」などと思う。

 私はこの世でオレンジ色が何よりも嫌いで、あんな俗悪で根性悪な色はないと信じており、だからこそユイスマンス『さかしま』においてもデ・ゼッサントは「人工的な華麗さと辛辣な熱っぽさとを具えた、あのいら立たしい病的な色彩、すなわち、オレンジ色」*1で部屋をまとめたのだと確信しているものだから、街からオレンジ色がひとつでも減ることには大いに賛同する。夕暮れだって、あんな神経を逆撫でするようなうす汚い色合いではなく、目の覚めるような鮮やかな青と網膜を突き破るような黄で構成されていた方が余程素晴らしい。弾けた檸檬のような爽やかな香りが空一面に広がった後に、星々が砕けた氷粒のように煌めき始め、漆黒の天鵞絨ビロードの天幕を月がおもむろに引きずって来る、夕闇という需要な幕間はそうやって繰り広げられるべきだ。

 ……等ということを一通り考えて、また愕然となる。ここで私が眼を通して行った作業とは「報道されている内容は本当か」という事実の確認と、そしてそこから引き起こされた連想ゲームにすぎない。ただ自分の中の想像だとか知見だとかを目の前のものと照らし合わせていただけで、樹をよく見て「そういえば紅葉が遅いな」と気が付いたワケではなかった。毎日通っているはずの道なのに、時折こうして点検員のようなことをしながら、ただ通り過ぎているだけであった。

 

 

 

 日々目にしている景色を写真のように網膜に記録した気になって、最早「見」ていない。

 19世紀前半に登場し、世界で初めての実用的な写真技術として人気を博したダゲレオタイプは、露光に10~20分ほどの時間を要したため、その間に大きく動いたものの姿を捉えることができなかった。

ja.wikipedia.org

 以下は1838年に、窓から見えるパリのタンプル大通りを撮影したダゲレオタイプだ。左下に靴磨きとその客と思われる2人が小さく映っている以外に人影は見当たらない。しかし撮影時、この大都会の通りには多くの人が行き交っていたはずで、それが一切写り込んでいないのは、彼らが歩いたり走ったり、動いていたからに他ならない。

タンプル大通り。靴磨きとその客は「史上初めて写真に写った人物」と呼ばれている。

 ダゲレオタイプに映らなかった「速度ある人々」。速度が我々をどんどん「見」えなくする。そう言えばその昔はSNSで随分情報収集に励んでいたが、その内SNSを閉じた後に頭の中には何の情報も残されていないことの方が増えた。2年程前に「映画を早送りで観るZ世代」という現代ビジネスの記事がネット上で話題になったが(本にもなっている)、ここでは早送りで作品を観る理由のひとつに「手っ取り早くオタクになりたい」────つまり自分で作品内容を吟味する手間暇を省いて専門的な知識を手に入れたい、作品をじっくり「見」ずして知りたい、という心理があると指摘されている。ただあらすじがざっくりとなぞれれば充分で、作品を堪能するスキルも余裕もないから、再生速度は上げて構わないというワケだ。

 当然目が肥えることはなく、鑑賞力はいつまでも磨かれない。ただ作品を消費するスピードが加速していくだけである。

gendai.media

 「タンプル大通り」のダゲレオタイプを眺めていると、私たちが立ち止まって「見」ない内に、世界から存在価値を消しつつあるのは、むしろ私たちの方かもしれないと思うことがある。「速度ある人々」が皆掻き消えた、その白黒モノクロームの静止した世界。

 どうしたら「見」ることを思い出せるだろう。絵画を見ても、図像学的なことばかりが頭をよぎる。絵筆の痕跡だとか、絵具の溜まり具合だとか、特殊な色遣いだとかに気が付くのは二の次だ。画集を眺めたりネットで画像検索することで満足して、実物を見ないことに慣れきってしまったツケかもしれない。

 情報は溢れているように見えて、ひとつのコンテンツに詰まった情報量は圧倒的に減っている。失われている「質」という堪能の猶予を、後から後から速度をもって押し寄せる「量」で補っている時代だ。

 

 

 

 そういえば学生時、漫画を描くことに凝っていて、手が上手く描けないので、授業中に自分の左手を延々とノートにデッサンしていたことがあった。毎日色んな角度から手を眺めていると、徐々に今まで気が付かなかったことが見えて来る。

 人差し指と薬指の長さは異なること。人間の手には水かきがあること。第2関節の皺は関節が折れ曲がる真上にあるが、第1関節の皺は関節の真上ではなく、少し爪側に寄っていること。何だか生命線が伸びている気がすること。云々。

 熱中していると、だんだん自分の手が自分のものでないように思われてくる。何やら不思議なかたちをした未知の物体を眺めているような心地になり、その存在が纏う空気、仄かな熱を帯びた霊的な放射体オーラを錯覚する。それが極限まで「見」ることによって存在という非言語的なる言語を理解した瞬間だったか。ただのゲシュタルト崩壊だったのだろうか。

 12世紀、現在のドイツである神聖ローマ帝国ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098~1179)という偉大な修道女がいて、「中世ヨーロッパ最大の賢女」であった彼女は神の啓示を幻視することができたという。彼女の幻視は決してトランス状態に陥った時の妄想などではなく、はっきりと意識が覚醒した状態で知覚され、

「生き生きした光の影」が現れ、その光の中に様々な様相が形となって浮かび上がり輝く。炎のように言葉が彼女に伝わり、また見た物の意味付けは一瞬にしてなされ、長く、長く記憶に留まる。

 といった様子のものだったらしい。真偽はともかく、「見る」体験の強烈な感動を私はここに見出す。それはあらかじめ意味を持ってものを「見」るのではなく、「見」ることで意味付けが強くなされ、永遠の知となりうるような知覚の在り方である。

神からの啓示を幻視するヒルデガルト。白目を剥いているように見えてシュールで好き。

 

 

 

 先ほどダゲレオタイプの名前を出したが、ダゲレオタイプは初めて大衆に広く実用された写真技術であり、世界で初めての写真技術はそれより10年以上前に発明されたセフォール・ニエプスの「ヘリオグラフィ」である。

ja.wikipedia.org その実験の中で1827年頃に撮影された「ル・グラの窓からの眺め」という写真は、非常に不鮮明ではありながら、ニエプスの自宅の2階の窓から外を眺めた景色が収まっている。

「ル・グラの窓からの眺め」

 この写真といい先ほどの「タンプル大通り」といい、「像を収めることに成功した」瞬間の光景がどちらも窓からの眺めであるというのはなかなか印象的である。写真史のスタートを飾るには、あまりに象徴的ではないか。
 「見る」ことを、このカメラの精密で自在なレンズのようにして、行わなければならないと思う。怠惰な眼が未発達な写真技術の如く、ものの姿を仔細を欠きおぼろげにしか捉えないのを戒めながら、意味の確認ではなく、ものそのものを見つめることを忘れてはならないと。姿かたちを読み取り、色彩の微妙な揺らぎを察知し、視覚という非言語的言語による啓示を受け、燃える岩のような超大な存在感に打ちのめされることを、知り続けなければならない。
 そしてそのために、自閉する心のきしんだ窓を、外へと広く開け放たなければならない。まるでダゲレオタイプとヘリオグラフィの、その奇跡的な一枚のように。

*1:J・K・ユイスマンス著, 澁澤龍彦訳『さかしま』河出書房新社(2017)