ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第23書簡「滅びに生まれる物語」

 昨日、祖母が死んだ。

 馴染みの呑み屋で安酒を舐めている最中だった。カウンターの隅に打ちっていた携帯電話スマートフォンひび割れた液晶画面が光って、片手に濡れたグラスを離さないままもう片方の手で画面を開けば、親族からの、祖母の訃報だった。

 琥珀色の麻薬ドラッグを舌の奥で転がしながら、ここ数日のことに思いを巡らせてみた。祖母が亡くなる前に虫の知らせのような予兆でもあっただろうかと、つまらぬことが気になったからだった。

 だが酒精アルコホルに浸された頭の抽斗ひきだしを覗いてみても、別段これといって思い当たるような出来事はなかった。悪夢を見ただとか、金縛りにあっただとか、何者かに枕元に立たれたりだとか、少しくらいあってくれても良いものだが、現実にそんな非日常ハプニングは概して起こらない。

 ただあったとすれば、ここ数日ずっとポカ・ドジ・ヘマ続きで、何もかもにほとほと嫌気が差していたくらいだ。そしてこんなことは、いつもの日常でしかない。酒を呑んでいたのも、毎度お決まりの自棄やけっぱちにすぎない。

「私達は盃をなめはじめた。私は深い飲酒者が永い時間をかけて愛飲するように、ちびりちびりと深い溝そこへはまり込んで行くように、次第に意識を円満にやわらげてゆくようにした。酒は意識を五彩あやなす錯然とした或る夢幻的な心持に、たびたび誘おうとした。しかし私はもはや酔えなかった。あたまの中にシンが立ったように、醒めて冷えきったものがあった。」

 

 

 

 1度で良いから怪奇現象や心霊事件に巡り合ってみたい、と常々願っている。が、これまでにそうした経験をしたことは、残念ながら皆目ない。日本でも有数の人死にがあった場所で生まれ育ったはずだが、未だ成仏されない怨霊も首のない武将も蛇になった姫も、誰一人として挨拶に来てくれなかったとなると、余程霊感がなかったか、あるいは相当嫌われていたと思われる。「同族嫌悪」という言葉が頭に浮かぶ。

 自分が願っても手に入れられない体験を他人がしているというのは、まこと癪な話である。私は以前 第21書簡 にて、胃袋ではなく脳髄の空腹を満たすたびに、古今東西の美味珍味を舌の記憶箱に詰め込むべきという話をした。

dilettantegenet.hatenablog.com

 

 それは食事とは味覚の記憶を増やす、まさに人間ホモ・サピエンスにとって至上の快楽たる「知る」行為そのものだからであるが、心霊体験や神秘体験もこれと同じだと言える。日常の中ではなかなか知覚しえない「知」に一瞬でも触れ得るのが、幽霊の目撃だったり、妖怪との戦いであったり、宇宙人との交信であったりすると私は信じている。それは現実ではない、脳の錯覚だって構わないのだ。

 それを、金銭という権力の行使や己の努力では如何いかんともし難く、「霊感」だの「第六感」だの現代科学では説明のつかない先天的な感覚なくしては得られないと言われたら、持たざる者は持つ者を悋気りんきして当たり前だろう。本当は不要なものだったとしても、誰かが持っているものを自分は持っていないと気付けば、猿でさえ心穏やかでいられなくなるのだからいわんや人間をや、である。

 隣の芝はいつだって、どんな幽霊の顔よりも青い。

 

 私も叶うことなら霊感や第六感を獲得したいと、化学物質を摂取したり、オカルト版なぞを読んで珍妙な儀式やまじないに凝っていた時期もあったが、学生時代に小泉八雲『怪談』柳田国男遠野物語を読んでからは、そうした怪談や心霊現象への見方が少し変わった。

 説明するまでもないが、この書簡を最近は若い読者も受け取ってくれているようなので念のため注釈しておくと(いつも読んでくれてありがとう)、『怪談』とは、日本の各地で様々な形で伝えられてきた妖怪や幽霊の奇譚を、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが文学的に書き直してまとめた1904年の作品集である。誰もが知っている雪女耳無し芳一ろくろ首のっぺらぼうといった魑魅魍魎が登場する物語は、この『怪談』の中で分かりやすく洗練され、今尚語り継がれる有名な怪談となった。

 『遠野物語』は、柳田国男岩手県の遠野地方で聞いて回った様々な昔話と風習の、膨大な記録である(1910年発表)雪女河童天狗といった妖魔にまつわる伝承は勿論、うば捨て神隠といった伝説、ザシキワラシオシラサマゴンケサマといった神への信仰や祟りなどが多数収録されており、そこから東北の土着の自然観や死生観をも炙り出していることから、日本の民俗学の先駆けとして名高い。

 学生時代にこうした書籍を読んだことで、それまでただ漠然と知っていただけの怪談に、いつ、どこで語られていたのかという情報が与えられることになった。すると、それまでホラーやオカルトの話題を、摩訶不思議でショッキングなコンテンツとしてその瞬間だけ楽しむ、表面的に消費するだけだった自分が、何となく恥ずかしくなった。

 幽霊や妖怪の物語、そして信仰とは、その土地や民族なりの、生きていくための知恵であったり、恐怖や畏怖という心の在り方であったり、不思議な自然現象を理解する方法であったり、そしてやりきれぬ想いや哀しみの慰め方でもあるのだと気付いたからだった。

 

 

 

 例えば、雪女の伝承は日本各地に多数散在しているが、その土地は先述の岩手県は勿論、青森県から宮城県山形県から新潟県、長野県から岐阜県まで……他にも挙げきれないほど類型の伝承を持つ土地があるが、いずれもが、冬になると深い雪に覆われる地域であることに大差はない。

 それは厳しい寒さと激しい雪が長らく自然の脅威として存在した場所であり、その土地の人々の恐怖の形や畏怖の念の矛先が、「雪女」として顕現しているのではないかということは安易に想像される。

上村松園《雪女》(1922)

 また、目を離した隙に失踪してしまった子供、口減らしのために止むを得ず殺さざるをえなかった子を「神様が隠されてしまった」「天狗に連れて行かれた」とすることで、喪失感や罪悪感が幾何いくばくか和らぐこともあるだろう。これは怪談や信仰が、人の心を納得させる手段として機能している例である。

 

 

 

 以上は決して「昔の人の昔なりの考え方」ではない。自然の理不尽な暴力によって未曽有の大災害を受けた土地で、心霊体験の報告が増えたという例がある。

 2011年3月11日に起こった東日本大震災の、後のことだ。

gendai.media

 津波の甚大な被害を受けた石巻市にて、タクシーの運転手が霊と遭遇したという話は、当時大学4年生であった工藤優花さんが卒論研究で取材したことで話題になり、ニュースでも取り上げられていたため有名かもしれない。下記記事から一例を引用してみる。

www.huffingtonpost.jp

 運転手は石巻駅で、30代ほどの女性を乗せた。目的地を尋ねると、大津波で更地になったはずの場所に行きたいと言う。その女性は夏だと言うのにコートを着ていたので、運転手が熱くないか伺ったところ、震える声で「私は死んだのですか」と返ってきた。驚いてミラーを見ると、後部座席には誰もいなかった……という。

 また別の運転手は、同じく夏の深夜に、小学生くらいの女の子を乗せた。家まで送ってくれという女の子だが、彼女も季節外れの厚着をしている。「お母さんとお父さんは?」と尋ねると、彼女は「ひとりぼっち」と答えた。目的地付近に着くと、女の子は「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降り、その瞬間に姿を消した。

 工藤さんはこうした心霊体験が報告された理由を、以下のように考察している。

「私の主観では、生存者の無念の思いが大きいのかなって思います。自分の生まれ育った故郷がボロボロに破壊されて、家族や地元の人がたくさん亡くなったという事実ってすごく心の傷になると思うんですよ。しかも亡くなった人の多くは津波が原因ですが、地震から津波の到着までは、少し時間があります。生き残った人たちには『その間に助けられたはず』という思いがあるんです」

石巻のタクシー運転手は、なぜ幽霊を見たのか? 工藤優花さんが語る被災地の「グレーゾーン」

 その時本当に霊が居たのか否かは論点ではない。人の心の傷トラウマや受け入れ難い現実が、ひとつの物語として発露していることに着目したい。

 

 


 サイモン・マースデン Simon Marsden(1948-2012)というイギリスの写真家がいる。霊が出るとされている曰く付きの廃墟を、対象物が退廃的デカダン単色モノクロームで浮かび上がる赤外線写真で撮影する人だ。作品集は何冊も出ているが、邦訳されているのは『幽霊城』『悪霊館』のみで、最近になってようやくこの2冊を手に入れた。

 『幽霊城』の方は先日の堕獄祭に際して、視聴者様から頂戴したものである。改めてこの場をお借りして御礼申し上げます。

 廃墟があまねく好きで、従って当然マースデンの写真も好きで、手元に置いておきたく所望した写真集であったが、いざ頁を開いてみると写真の横にビッシリと建造物にまつわる怪談が記されていることに驚いた。さながら一種の「写真付きホラー小説」のような仕上がりだ。

 例えばブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラのモデルとなったヴラド3世が、オスマン帝国との戦いの拠点としたポエナリ城をマースデンは撮影しているが(『幽霊城』に収録されている)、そこに添えられている説明文の一部を抜粋すればこうである。

イースターの礼拝の後、地主貴族やその一族200人がドラキュラ軍に捕らえられた。まず老人とその妻たちが町の城壁の上で串刺しにされた。若い者たちは鎖につながれて、60マイル離れたポエナリの廃墟まで荒野を歩かされた。ポエナリに着くまでに多くが死んだが、生き残ったものたちは幽閉された。」

────サイモン・マースデン『幽霊城』エディシオン・トレヴィル(2005)p.114

 この後も、ヴラド3世の残酷で猟奇的な逸話が延々と続いている。後年にかなり脚色されたとされている伝承のショッキングな部分ばかりを嬉々として並べるのは如何なものかという気もしないでもないが(ヴラドの暴虐はオスマン帝国からルーマニアを守るためだったとして、彼を英雄視する向きもある)、崩れかかった城壁や彼が葬られた修道院の薄暗い写真を見ていると、そうした妄想がとめどなく溢れて来ることも、また理解できた。

写真はマースデンの作品ではなくWikipediaより。

 くも廃墟の佇まいに心掻き乱される理由は、そこに儚さや無常の観を見出すからだろうが、では何故それを見出すのかといえば、ヴラド3世の逸話のように、そこでかつて営まれていたであろう生活や繰り広げられたドラマを追憶してしまうからだろう。

 この冷酷無情のワラキア公が、如何ほどにまで残虐行為を楽しんだのかは最早誰も知る由はないが、ポエナリ城の荒涼とした姿には思わず「もしかするとそんな物語も在ったかもしれない」という恐ろしいホラーな妄想を掻き立てられるし、そうした幻像を錯覚してこそ、ポエナリ城はその人にとって特別なものになりうる。

 人工的に作られた物がその瞬間に朽ちたとしたら、きっと同じような感慨は抱くまい。何故ならそこには一瞬たりとも、物語が生じる隙がないからだ。

 

 

 

 無くしてしまったものに、失われてしまったものに、思い出という物語があったから、例えあり得なくともその続きを想像してしまう。あるいはそれに、そこにどんな事件や顛末があったのだろうという物語をつい想像してしまうから、例えすでに滅びてしまった後だろうと、その存在は特別になることができるし、特別で在り続けることができる。

 滅びから生まれるものがある。それは特別な物語である。人はそれを空想ファンタジーや思い出と呼んだり、時に怪談と呼んだりする。そしてそれは、いつかは再び失われることを宿命付けられている、滅びに生まれついた物語であろう。

 祖母が怪奇現象でも引き起こしてくれたら、と想像した私も、いつかは滅びるように。

 

「私は亡霊の世界をさまよっていたようだ。そして私自身が夢の影のように思える」

────アルフレッド・テニソン『ザ・プリンセス』