先日2月16日、新宿のロフトプラスワンで開催されたトークセッション「90年代サブカルチャー大総括〜鬼畜系とは何だったのか〜」にゲストの一人として出演させていただいた。90年代の露悪的で非道徳な「悪趣味ブーム」の振り返りや、そしてそのサブジャンルとして先鋭化した「鬼畜系」の仕掛け人となった青山正明と村崎百郎についての再評価が当時の経験者や批評家らによって行われ、こうした過激な文化が時代的にも取り上げ辛くなっている中、少しでも過去の清算を試みることができた夜になったのではないだろうかと感じている。あの場にお呼びくださった鴇田氏に、改めてお礼を申し上げたい。
私は青山や村崎の著作を、発行から20年近く経ってから読んだ世代であるが、初めて頁を開いた時に感じたのは「こんなことを書いてしまって、こんなものを読んでしまって良いのだろうか」という
次に胸中に湧き起こったのは、
この
村崎の出身高校の後輩(2年下だった)であった京極夏彦氏は、村崎が被っていたゴミ袋の頭巾を「悪いものが外に漏れないように社会順応するための装置」「一種の拘束具だった」という風に形容している。しかし私はかつて、あの頭巾を「被ることで
村崎は決して、社会常識や人権意識に欠けた人間ではなかったはずだ。しかし熾烈ないじめの経験や、一般的には精神科の受診を勧められそうな「電波が聞こえる」という特殊体質が、彼の中に「自分は除け者」というような
「本当は、私だって叶うなら着飾ってちやほやされたりしたかった。だけどそれが絶望的に叶わない時、数百円で買えるそれらの雑誌(『別冊宝島』『BURST』『危ない一号』『世紀末倶楽部』等)は、確実に私を救ってくれた。」
日頃そこそこ社会に迎合している人間なら、法的/社会的制裁のリスクを鑑みて、村崎のように「鬼畜な言動」を臆面もなく実行することにはまず躊躇するだろう。しかし村崎の場合、胸中で煮詰まり続ける「私は虐げられている」という怨恨がそうした躊躇をねじ伏せてしまっており、そのスイッチを作動させる行為こそ「頭巾を被る」ことであるに違いないと、かつての私は信じていたのだった(その場合は勿論、ルサンチマンを自身の所業の大義名分にしてしまっていたことこそ村崎の過ちだったという批判にも繋がる)。彼の暴力性には、加害の愉悦より、先回りして自己防衛しようとするような、傷付くことへの恐怖心を感じる瞬間があった。
そうして発露した、村崎の下品で反社会的なパフォーマンスには、必ずこんなメッセージがセットになっていた。
「本当に自分のやりたいことをやりなよ」
「人は人としてこの世に生まれた限り、好きなことを好きなようにやるべきだ」
「己の欲望に忠実に、徹底的に利己的であれ」
鬱屈を代弁してくれる存在が、そして例え嘘であったって夢物語だったっていい、強いメッセージを与えてくれる存在が、
……と、村崎に対してかつて抱いていた
しかしここでハッキリさせておきたいのは、そのカタルシスを理由に悪趣味ブームや鬼畜系を全面支持するつもりは毛頭もないということだ。個人的に肯定したいこと、人間的に愛していることと、社会的に肯定されること、法律的に優先されるべきことは別だということを、改めて強調しておきたい。
悪趣味ブームを担っていた当事者たちはあくまで「悪い冗談」のつもりであっただろうし、そこに卑しい「小気味良さ」があったことも否定できない。が、それは社会的に無害であることとイコールではない。悪ふざけを冗談と受け取れない読者や後続のフォロワーが出てしまった以上、その始末は後世の人間が付けなければならない。これを負の遺産と呼ばずして、何と呼ぶのか。
こう書くと、大変「人権意識の高い」「良識派」であると冷笑されるかもしれない。しかし理屈はもっと単純だ。このような文化を肯定することは、それ即ち、自身がいつか差別され地位や居場所を剥奪される側へ回る可能性を高めるということに他ならない。村崎が提唱したように徹底して利己的であるなれば、自己保身のために、徹底して社会倫理を守る努力もまたすることになるのだ。
「可哀想だから他人に痛い思いをさせてはいけない」のではない。「結果的に自分が痛い思いをすることになるかもしれないから、自己保身のためには他人にも痛い思いをさせてはいけない」────それこそ本当の「自分の痛みをもって他人の痛みを知る」ではないか。
悪趣味ブームは、一抹の懐かしさを持って個々人に振り返られることはあっても、二度と蘇ってはならない。と言うより、多分そもそも蘇ったところでまるで無意味だろう。
『90年代サブカルの呪い』の中でロマン優光氏も指摘している通り、こうした露悪的で挑発的な表現手法は「物理的に積極的に動かなければ接することができない紙という半ばクローズドなメディアがメインだったから成立していたこと」*1で、インターネットが流行の主戦場となっている現代では、このようなカルチャーを再興したところで「無意味な争いが起きるだけであり、ネット上では廃れていくだけ」*2だと思われる。
そんな過ぎ去ったものの中から得られる優越感など、まやかしにすぎない。その捻くれた特権意識は、いつか巡り巡って自分自身を否定することになる。
「最初は、誰も全体からの離脱に不安を感じる。つぎに自分を除けものにする全体にたいして、不満をいだく。さらに、かれは全体の批判者として立ち、個性の名において全体を否定する。脱落者から優越者への道は、あらゆる心理過程の最短距離を走る。が、ひとたびこの里程標を超えると、かれは自己の優越性を保持するため、際限もなく優越者でありつづけねばならなくなる。
(中略)孤独者はふたたび全体への復帰を求めずにはいられなくなるのだ。かれは、生きるということが全体との一致においてはじめて可能であることを思い知らされる。」
さて。ここまで書いておいて何だが、私が悪趣味・鬼畜系に与する書籍に不謹慎な愉悦を覚えていたのは学生時代に遡るものの、それらをきちんと90年代という時代と照らし合わせて改めて読み直したのは、実はここ1、2年の話である。それまで延々と60~80年代頃のサブカルチャーを逡巡していたことを反省して、YouTubeでも特集するがてら、最近ようやく90年代も勉強し始めたというのが正直なところだ。偉そうに講釈垂れ流してごめんなさい。
しかしこの時代を学べば学ぶほどに、それは紛いもなく自身を構築した時代であったという驚きと感慨に襲われた。私は90年代は殆ど記憶のない未就学児として過ごしたが、あの未来への期待値の低さを、大人への不信感を、冷笑的であることがカッコイイというような態度を────世紀末の空気を、確かに知っていた。
かつて自販機本や雑誌のライター、編集者を勤めていた香山リカ氏は、80年代から90年代にかけてのサブカルチャーをこう評している。
「すべての表象から文脈や歴史をはぎ取って相対化し、権威や規範にとらわれず、自分はどこにもコミットしないまま、“ひとつの主義主張と距離を置けなくなる人”には冷笑的な態度を取り、ひたすら心地よさやおもしろさを追い求め、それ以上、何かを問われそうになったら、『そんなの何もわからないよ』と未成熟な子どものように逃げ出す」という性質を帯びたものだ。
野間易通氏によればこうである。
「『すべての物語は等価』という新しいメタ物語によって正義をも相対化した結果、あらゆる道徳が価値を持たなくなった状況である」
────野間易通『実録・レイシストしばき隊』
既存の枠組みの瓦解、共同幻想の消滅、巨大災害と凶悪犯罪が呼ぶ
こうした90年代素振りに見られる「ひきこもり」「境界性人格障害」「アスペルガー症候群」的な傾向が、1995~96年に放映された『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジ、アスカ、レイという青少年たちにそれぞれ投影されているというのは、齋藤環氏の指摘だ(『博士の奇妙な思春期』の記述だったと記憶しているが再読が間に合わなかった、確認が取れ次第追記する。すみません)。
まるで病的である。それは自身の中で無限に逡巡するだけの、生産性のない負の連鎖である。しかしこれを何故か斜に構えたカッコイイポーズだと履き違え(あるいはそう思い込まなければ己を守れなかった精神的脆弱さを抱え)、悪趣味ブーム、果ては鬼畜系という潮流を育んでしまったのが、90年代という時代とその功罪だったのではないかと思う。そしてそのような
あらゆる価値の間にイコールの記号を押し込み、すべてを無価値としてしまう
90年代を振り返ったことで、私はようやくその戦いのスタートラインに立つ決意を抱くに至った。そしてそのスタートを切るために必要な決別の句を、最後に宣言しておかねばならない。
さらば、90年代。
悪辣な、二度と蘇ってはならない────そして、懐かしい時代。
”So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.”
(こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運びさられながらも、流れに逆らう船のように、力の限りこぎ進んでいく)
────フィッツ・ジェラルド『グレートギャツビー』(訳:野崎 孝)