犬が好きか、猫が好きか、と聞かれたら、犬だと答える。
別段、深い理由はない。幼少期に住んでいた家に、ほんの通路程の幅ではあるが、
私は一時まで、花なぞただの植物の珍妙な性器にすぎないと思っていたので(第四書簡「花のエロティカ」参照)、猫の後ろ足で土を掛けられ
そして母の不機嫌のとばっちりは当然、娘である私に飛んでくる。母の理不尽な叱りを受けながら、猫の身勝手さを、随分と逆恨みしたものだった。それは日常に鬱屈と無言の反発を感じながらも小便を引っ掛け逃げ去る勇気すらなかった私の、一種の羨望でもあった。
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隣の一家は、野放図な猫たちだけでなく、大きなゴールデンレトリバーをも飼っていて、その犬は、家屋の脇にある暗くて狭い通路に閉じ込められていた。
下校の最中にチョイと覗くと、濡れた麻袋のように
散歩の時以外、その陰鬱な通路に監禁されているゴールデンレトリバーの、哀れな黒い目に、当時は自身の不自由を重ねて
そうした幼少期の思い出に引きずられて、今だに猫には反感を覚えて、犬の方を何だか好ましく感じてしまう。あのゴールデンレトリバーがそうであったように、犬にはどこか、暗くて、哀しくて、うらぶれたイメージがある。
そう言えばいつか私の知人が、かつて人生に行き詰まりを感じて自殺を思い立った時、頭に浮かんだのは、昔飼っていた犬の後ろ姿だったという話をしていた。
「公園で散歩している最中に、犬のリードを離してしまって。ウチの犬、遠くに駆けて行った後に、こっちを振り向いて、立ち止まったんだよね。
その姿がずうっと頭に残ってて、ああ俺、今すぐコイツがいるところに行きたいなァって、その時思ったんだよね」
亡者が現世に逃げ出さないよう
犬の持つ仄暗さにどこか優しさを錯覚するのは、それが死に近いものであるからかもしれない。
先日、雑司ヶ谷の鬼子母神に、唐組の第71回公演『透明人間』を見に行った。
唐組『透明人間』観に行ってきました。主役が崩れ去った書き割りの向こうに消えていくラストで毎度ボロボロ号泣してしまうんですが、今回は涙よりも切ない抒情がじんわりと胸中に広がっていくような幕切れでした。
— 好事家ジュネ (@DilettanteGenet) 2023年5月26日
何か筋を覚えてるなと思ったらすでに戯曲を持っていた。今から読み直します。 pic.twitter.com/GfJqNpR895
二次大戦中、中国の福建省で軍用犬の調教師として従軍していた合田と辻という男は、「時次郎」と「モモ」という愛犬をそれぞれ従えていたが、二匹とも不衛生な戦地で狂犬病に罹患し、行方知れずになってしまった。戦後、合田は新しく出逢った犬にまた「時次郎」と名を付けて可愛がり、辻は福建で出逢った売春婦に「モモ」と名付けて、慎ましやかな生活を送るようになった────
そうした
それは水と、水に浮かぶ水中花と、水を怖がる────つまり狂犬病に罹った犬と、犬の代わりに愛された女の物語である。
唐十郎の戯曲はいずれもそうではあるが、今回も書かれた当時の社会情勢や、歴史的背景を抑えておかねば少し分かりづらいだろう。
まず大戦中に、警備や伝令などの任務を負って、何万頭もの犬が軍用犬として中国大陸に出征していったことを知っておかねばならない。しかし新たに台頭した近代兵器を前に畜生などあまりに無力で、犬の殆どが戦死し、病死し、厳しい食糧不足の中、貴重な蛋白源として人に喰われた。
そして1950年代までは、日本でも多くの犬や人が、狂犬病に感染して死亡していたことも、把握しておかねばならない。(1957年以降は狂犬病の国内感染は発生していない)
作中、狂犬病に感染していないのなら恐れずに水に潜ってゆけるはずだと、軍用犬「モモ」は、石を括り付けた
辻の息子:「親父は沼に飛び込み、モモの足を持って水底深く潜っていった。水底のダリアをつかみ、それをモモのくわえさせると、
『浮かんで、行け、どこまでも逃げて行け。そして、また会う時、この水中花の誓いを忘れるな。おまえがもう俺を忘れていても、俺はまた、この水中花に似たものを、おまえにかざそう。そしたら、きっと俺と思え』
と浮かび上がって、さあ行けと、その体を岸に追い立てた。水中花をくわえながら走り去る犬が、峠の下で一度、振り向く。
その顔に犬のほほえみを見たと、親父は言った!」
それはまさに、かつて自裁を決意した私の知人の脳裏に浮かんでいた光景ではなかったか。人の絶望と犬の狂犬病の間には、
辻の息子:「ネズミはネズミ、人間は人間だ。が、それが共に一つの感受性を分かちあうことがある。そのつつもたせをやったのはノミだった。
しかし、忘れるな。そのペストがあったからこそ、人間とネズミは共に震えることができたんだ。その一点において、人間とネズミは、同じ感受性を持ち得たと言えるだろう。
ネズミが嫌なら、もっといい例もある。それはほれ、いまだ菌の分からん恐水症よ……」
芝居を観ながら、私はいつか狂犬病の予防接種をしたことを、少し後悔したのだった。
狂犬病の予防接種をしたのは、インドに渡航することを決めた際だった。
インドは現在でも、狂犬病による犠牲者が世界で最も多い国だ。街中どこにでも野犬がおり、そして野犬を初め、野良猫や猿、
インドの野犬は、意識が耳の穴から溶け出てしまいそうな灼熱の日中は、路上の方々にへたり込んでいる。目を瞑って微動だにしない犬も多く、顔に纏わり付く蠅すら払おうとしないので、一瞬死んでいるのか生きているのかさえ分からない。実際、何匹かは野垂れ死んでいただろう。
路上に点々と染みを作っている、汚れ乱れた毛並みがくっきりとあばらの形に浮いた、痩せた、ボロ雑巾のような犬。それに憐憫の情を感じるのは、犬の生き様を侮蔑し、人間は哀れなケダモノではないと驕慢な勘違いを犯している者だ。飢え、傷付いて、それでも人に情けを請わず、そのみずぼらしい体躯を堂々と白昼に晒して見せる野犬の毅然たる態度に、私は無頼の
そんな野犬たちの様子は、比較的涼しい夜間になった途端に豹変する。
餌を探して
あの時ほど身体中の毛穴が開いて、臨戦の興奮というものを覚えたことはそうない。そこで肩を怒らせ対峙しているのは、犬と人間ではなかった。1匹と1匹の、対等のケダモノの睨み合いが、そこにはあった。
周囲をくまなく威嚇して吠えしきる犬を脅し、脚に噛み付こうとする犬を蹴り飛ばして、通りかかったバイタクシーに飛び乗り何とか事なきを得た。実際1度隙を見せてしまい大腿部に噛み付かれたのだが、硬い布地の
興奮冷めやらず肩で息をしながら、ひんやりとした朝霧の中を軽快に突っ切ってゆくバイクタクシーに揺られつつ、私は一種の感動を覚えていた。私はあの路上の貧しい賢者である犬と、初めて同じ土俵でやり取りをしたのだ、と。
猫ならこうはいくまい。人間より脆弱であることで、ホモ・サピエンスとの生存競争を忌避した動物には、知恵はあっても美学がない。あの時の野犬は私を思いっきり噛み殺すこともできただろうし、またその鋭い犬歯から私の皮下へと恐水症を伝染させて、私を狂死させることもできただろう。同時に私も、道端の石を振るっていれば、あの犬を撲殺することができただろう。
犬に教わった、死を賭けた仄暗い公平性。その美しさに私は心打たれていた。
何の意味も益ももたらさない野垂れ死にを「
狂犬病という美学を体内に秘めて、暗い優しさをもって、犬は、いつもそのことを教えてくれるような気がしている。