ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第22書簡「狂犬に学ぶ死生学」

 犬が好きか、猫が好きか、と聞かれたら、犬だと答える。

 別段、深い理由はない。幼少期に住んでいた家に、ほんの通路程の幅ではあるが、遊蝶花パンジーだの鬱金チューリップだの君影草スズランなどが季節毎におずおずと花開いてみせる、およそ花壇と呼べるのではないかという庭があった。母が熱心に手入れをしていたのだが、隣家の猫が、毎日そこに小便を引っ掛けて行くので、今でも私の猫のイメージはあの強烈な安母尼亞アンモニア臭にまみれたままだ。

 私は一時まで、花なぞただの植物の珍妙な性器にすぎないと思っていたので第四書簡「花のエロティカ」参照)、猫の後ろ足で土を掛けられたおれた花を見たところで何の感も湧かなかった。しかしささやかな庭園の主であった母は激怒して、猫の侵入を防ごうと偏執狂の如く、刺の付いたマットを敷き詰めたりスプレーを撒いたりして、その躍起な姿は醜態極まりなかった。

 そして母の不機嫌のとばっちりは当然、娘である私に飛んでくる。母の理不尽な叱りを受けながら、猫の身勝手さを、随分と逆恨みしたものだった。それは日常に鬱屈と無言の反発を感じながらも小便を引っ掛け逃げ去る勇気すらなかった私の、一種の羨望でもあった。

dilettantegenet.hatenablog.com

 

 隣の一家は、野放図な猫たちだけでなく、大きなゴールデンレトリバーをも飼っていて、その犬は、家屋の脇にある暗くて狭い通路に閉じ込められていた。

 下校の最中にチョイと覗くと、濡れた麻袋のように混凝土コンクリートにへばり付いていたその犬は、あの目尻の下がった、どことなく寂し気な目でこちらを一瞥いちべつする。そして子供のぬか喜びのような幼稚な態度は決して見せず、あくまで「私は挨拶という礼節を重んじる者なのだ」という慇懃な足取りでこちらに歩み寄り、その湿った黒い鼻を、柵の間から丁重に差し出してみせるのだった。

 散歩の時以外、その陰鬱な通路に監禁されているゴールデンレトリバーの、哀れな黒い目に、当時は自身の不自由を重ねて共感シンパシーを覚えていた。そしてそのような環境に置かれながらも不満の表情を知らぬまま、混凝土コンクリートの上にジッと前足を揃えて明るい柵の外を見つめていた犬の姿が、今でも記憶に染み付いている。

 

 

 

 そうした幼少期の思い出に引きずられて、今だに猫には反感を覚えて、犬の方を何だか好ましく感じてしまう。あのゴールデンレトリバーがそうであったように、犬にはどこか、暗くて、哀しくて、うらぶれたイメージがある。

 そう言えばいつか私の知人が、かつて人生に行き詰まりを感じて自殺を思い立った時、頭に浮かんだのは、昔飼っていた犬の後ろ姿だったという話をしていた。

 「公園で散歩している最中に、犬のリードを離してしまって。ウチの犬、遠くに駆けて行った後に、こっちを振り向いて、立ち止まったんだよね。

 その姿がずうっと頭に残ってて、ああ俺、今すぐコイツがいるところに行きたいなァって、その時思ったんだよね」

 亡者が現世に逃げ出さないよう冥界ハデスで番をしているのは三頭犬ケルベロスだし、木乃伊ミイラを作り死者を冥界オシリスまで導くのは犬の頭をしたアヌビス神である。

 犬の持つ仄暗さにどこか優しさを錯覚するのは、それが死に近いものであるからかもしれない。

頑張って番犬してるけどオルフェウスの琴の音でスヤスヤ寝ちゃう、キュートなケルベロス
アゴティーノ・ヴェネツィアーノ《オルフェウス》(1528)

 

 

 

 先日、雑司ヶ谷鬼子母神に、唐組の第71回公演『透明人間』を見に行った。

 二次大戦中、中国の福建省で軍用犬の調教師として従軍していた合田という男は、「時次郎」と「モモ」という愛犬をそれぞれ従えていたが、二匹とも不衛生な戦地で狂犬病に罹患し、行方知れずになってしまった。戦後、合田は新しく出逢った犬にまた「時次郎」と名を付けて可愛がり、辻は福建で出逢った売春婦に「モモ」と名付けて、慎ましやかな生活を送るようになった────

 そうした背景バックグラウンドを持って、物語は小汚い焼鳥屋の2階で幕を開ける。街に狂犬病が出たと聞いて駆けつけてきた保健所の役員・田口(役:奥田優)と、合田(役:久保井研)、亡くなった辻の息子(役:稲荷卓央久)、そして焼き鳥屋の従業員である少女「モモ(役:大鶴美仁音と、かつて辻にそう呼ばれ愛された女「モモ(役:藤井由紀)が一堂に会して、それぞれの思惑が濁流のように混ざり合ってゆく。

 それは水と、水に浮かぶ水中花と、水を怖がる────つまり狂犬病に罹った犬と、犬の代わりに愛された女の物語である。

karagumi.or.jp

 

 唐十郎の戯曲はいずれもそうではあるが、今回も書かれた当時の社会情勢や、歴史的背景を抑えておかねば少し分かりづらいだろう。

 まず大戦中に、警備や伝令などの任務を負って、何万頭もの犬が軍用犬として中国大陸に出征していったことを知っておかねばならない。しかし新たに台頭した近代兵器を前に畜生などあまりに無力で、犬の殆どが戦死し、病死し、厳しい食糧不足の中、貴重な蛋白源として人に喰われた。

 そして1950年代までは、日本でも多くの犬や人が、狂犬病に感染して死亡していたことも、把握しておかねばならない。(1957年以降は狂犬病の国内感染は発生していない)

sippo.asahi.com


 作中、狂犬病に感染していないのなら恐れずに水に潜ってゆけるはずだと、軍用犬「モモ」は、石を括り付けた天竺牡丹ダリアを投げ込んだ沼に放たれた。しかしモモは水面を犬掻きするだけで、一向に沈んだ花を咥えようとしない。今にも銃殺の判断が下されそうになったその時、辻は冷たい沼に飛び込んで、降りしきる雨の中、死にも狂いでモモを逃がすのである。

辻の息子:「親父は沼に飛び込み、モモの足を持って水底深く潜っていった。水底のダリアをつかみ、それをモモのくわえさせると、

 『浮かんで、行け、どこまでも逃げて行け。そして、また会う時、この水中花の誓いを忘れるな。おまえがもう俺を忘れていても、俺はまた、この水中花に似たものを、おまえにかざそう。そしたら、きっと俺と思え』

 と浮かび上がって、さあ行けと、その体を岸に追い立てた。水中花をくわえながら走り去る犬が、峠の下で一度、振り向く。

 その顔に犬のほほえみを見たと、親父は言った!」


 それはまさに、かつて自裁を決意した私の知人の脳裏に浮かんでいた光景ではなかったか。人の絶望と犬の狂犬病の間には、水いらずの・・・・熱い絆がある。唐はそれを、本作の中で辻の息子にこう喋らせることで説明している。

辻の息子:「ネズミはネズミ、人間は人間だ。が、それが共に一つの感受性を分かちあうことがある。そのつつもたせをやったのはノミだった。

 しかし、忘れるな。そのペストがあったからこそ、人間とネズミは共に震えることができたんだ。その一点において、人間とネズミは、同じ感受性を持ち得たと言えるだろう。

 ネズミが嫌なら、もっといい例もある。それはほれ、いまだ菌の分からん恐水症よ……」

 芝居を観ながら、私はいつか狂犬病の予防接種をしたことを、少し後悔したのだった。

 

 

 

 狂犬病の予防接種をしたのは、インドに渡航することを決めた際だった。

 インドは現在でも、狂犬病による犠牲者が世界で最も多い国だ。街中どこにでも野犬がおり、そして野犬を初め、野良猫や猿、栗鼠リスや蝙蝠などに狂犬病ウイルスを保有した個体がうじゃうじゃいる。よって旅行者は狂犬病の予防注射を打ってから渡航することが極めて推奨される。もし狂犬病に罹患して発症すれば、100%死に至る

インドでは殺生が忌避されるため、野放しになった野犬がそこらじゅうにいる。

 インドの野犬は、意識が耳の穴から溶け出てしまいそうな灼熱の日中は、路上の方々にへたり込んでいる。目を瞑って微動だにしない犬も多く、顔に纏わり付く蠅すら払おうとしないので、一瞬死んでいるのか生きているのかさえ分からない。実際、何匹かは野垂れ死んでいただろう。

 路上に点々と染みを作っている、汚れ乱れた毛並みがくっきりとあばらの形に浮いた、痩せた、ボロ雑巾のような犬。それに憐憫の情を感じるのは、犬の生き様を侮蔑し、人間は哀れなケダモノではないと驕慢な勘違いを犯している者だ。飢え、傷付いて、それでも人に情けを請わず、そのみずぼらしい体躯を堂々と白昼に晒して見せる野犬の毅然たる態度に、私は無頼の犬儒学派キュニコスの神髄を見た。それはガンジスのほとりにいるどんな行者サドゥーよりも偽りのない、威厳ある姿だった。

ja.wikipedia.org

 

 そんな野犬たちの様子は、比較的涼しい夜間になった途端に豹変する。

 餌を探して鬣犬ハイエナのごとく勇ましく街を徘徊し、縄張りという尊厳プライドを賭けて、そこいら中で熾烈な闘いが勃発する。早朝にバイクタクシーを拾おうとした私は、きっと彼らの縄張りに侵入してしまったのだろう、数匹の野犬に襲い掛かられた。

 あの時ほど身体中の毛穴が開いて、臨戦の興奮というものを覚えたことはそうない。そこで肩を怒らせ対峙しているのは、犬と人間ではなかった。1匹と1匹の、対等のケダモノの睨み合いが、そこにはあった。

 周囲をくまなく威嚇して吠えしきる犬を脅し、脚に噛み付こうとする犬を蹴り飛ばして、通りかかったバイタクシーに飛び乗り何とか事なきを得た。実際1度隙を見せてしまい大腿部に噛み付かれたのだが、硬い布地の服筒ズボンを履いていたために、無傷だったことはまこと幸いであっただろう。

 興奮冷めやらず肩で息をしながら、ひんやりとした朝霧の中を軽快に突っ切ってゆくバイクタクシーに揺られつつ、私は一種の感動を覚えていた。私はあの路上の貧しい賢者である犬と、初めて同じ土俵でやり取りをしたのだ、と。

 猫ならこうはいくまい。人間より脆弱であることで、ホモ・サピエンスとの生存競争を忌避した動物には、知恵はあっても美学がない。あの時の野犬は私を思いっきり噛み殺すこともできただろうし、またその鋭い犬歯から私の皮下へと恐水症を伝染させて、私を狂死させることもできただろう。同時に私も、道端の石を振るっていれば、あの犬を撲殺することができただろう。

 犬に教わった、死を賭けた仄暗い公平性。その美しさに私は心打たれていた。

 

 

 

 何の意味も益ももたらさない野垂れ死にを「犬死いぬじに」という。概してネガティブな意味で用いられる言葉だが、「犬死いぬじに」ほど崇高な死に方もそうないものである。人や社会のお役に立つという大義の外で、ぽつねんとこと切れることができるなら、そんな自由で気高い死があるものだろうか。それは自らの死を、誰かの感傷や世の中の美談として勝手に消費させることを許さない、死を自分だけの揺るがぬ事象とする、毅然たる最期である。

 狂犬病という美学を体内に秘めて、暗い優しさをもって、犬は、いつもそのことを教えてくれるような気がしている。

『老いた羊飼いの死を悼むシェパード』エドウィン・ランドシーア(1837)