ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第八書簡「遥かなるかな、故郷」

 私が生まれ育ったのは、いつも湿った大気に覆われた盆地だった。
 夏は蒸し暑く、汗は粘りついて素肌に纏わりつき、冬はいくら着こんでも衣服の下から冷気が入り込んで、底冷えして仕方がなかった。その寒気は、発熱前の悪寒によく似ていた。
 どこを向いても、視界には山が飛び込んできた。山々はなだらかであるが、しかし鬱蒼と青黒く、どこまでもどこまでも連なっていた。電車で遠く移動するようになる年頃には、そんなものは景色の隅に張り付いた染みでしかなくなったが、まだ自転車でそこいらじゅうを走り回っていた頃、いくらペダルを漕いでも漕いでも乗り越えることのできないその大地の囲いに、私の世界は閉ざされているように思えた。言葉にならない閉塞感が、私の幼少期には付きまとっていた。
 今でも水平線を見ると無性に胸が高鳴るのは、そうした思い出と決して無関係ではないように思う。

 

 

 のちに私は、そこでの何もかもに行き詰って、長らく過ごした盆地から逃げることになる。閉ざされている時間は長かったが、去る時は実にあっという間だった。私を取り囲んでいた山々は本当は何の障害でもなかったのだと、去った後に気が付いた。何もかも、気が付くのは去った後だ。
 その後いくつかの土地を転々とし、海外に桃源郷を求めたこともあったが、どれも長続きしなかった。これまでは自身の世界が小さかったから、例えうろついていても狭い範囲に引き籠っているように見えていただけで、本当はひとところにジッとしているのが苦手なタチだったのだと知った。一度外の世界を覚えてしまったら、最早止まるところを知らなかった。あの頃、帰る場所は要らないと豪語していた。それは自由な思索の足枷にしかならないと考えていた。そこに居ることが────それは決して場所だけはなく、誰かと居ることも、何かを継続してやり続けることも────どれほど楽しくても、数日も続けばある日突然に熱が冷めて、挨拶も礼もなく姿を消すということを繰り返した。

 根無し草デラシネ と言うと聞こえが良すぎる気がする。それはただの無責任な、白痴の浮浪児だった。

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ガンジス河畔の宿場にて。インドで迷走していた頃。

 

 私のフーテン歴は、故郷探しとはとても言い難い無軌道なものであったけれど、そこに一抹の切実さというのは確かにあって、いつ何時も「ここではないどこか」を希求し続けていたように思う。そしてその「ここではないどこか」への空想のためにいつも浮ついている人は、決して私だけではないだろう、とも同時に思う。
 かつて私の動画で特集した幻想作家・中井英夫は、その寂寥を隠さなかったひとりとして有名だろう。彼は自身が生まれ落ちた地球を「流刑地」と形容し、反世界、反宇宙をその優美な文体によって描き出した。
 空想がちで孤独な少年期を過ごした江戸川乱歩も、似たようなひとりだと思われる。「すべての物の考え方が誰とも一致しなかった」と語る彼は、この世界には自身の居場所はないという感慨を「たとえどんなすばらしいものにでも、二度とこの世に生れ替って来るのはごめんです」という言葉で形容している。現世にまるで馴染めなかった彼が、「ここではないどこか」を夢見ることもあっただろうということは、想像にかたくない。
 そういえば最近、鈴木いづみの小説をいくつか読んだのだけれど、彼女もまた「ここではないどこか」を強く感じさせる作品を沢山遺しているように思われた。例えばSFチックなエッセンスを持って書かれた『契約』という短編は、とある少女が、本来自分は「ここではないどこか」に居るべき人間であり、いつか「ここではないどこか」から迎えが来ると信じて、ついには殺人を犯してしまうという物語なのだけれど、そこにはどうも、36歳で自らの命を絶った鈴木いづみ本人の姿がダブって見えるのだった。彼女の描く絶望がどことなくポップなのは、彼女がこの世に両脚を付けていなかったからだ、と思う。

 彼らは「ここではないどこか」への希求を吐露するかのように創作に身を投じ、1本のペンによって、遥か異次元に空想の都を築き上げた。それは決して小説に限った話ではないだろう。漫画であろうと、絵画であろうと、映画、音楽、ゲームであろうと、あらゆる創作活動があらゆる空想世界をあちらこちらに顕現させている。「自身は本来この世界に生まれるべき人間はなかった」と感じている人間は、それらに出会った時に、きっとこう思うはずだ。

 この作品の内に隠されていた別天地こそ、求めていた「ここではないどこか」であり、我が真の故郷である、と
 読者とは、鑑賞者とは、時に「地球の囚人」を意味することだろう。

 

 

 私の放浪癖は、コロナウイルスの流行によって多少の落ち着きを得ることになった。逃亡の行先を満足に確保し続けることが困難になり、気軽に国外に渡ることも叶わず、「退屈」という二文字が心身を浸食していくのを成すすべもなく眺めていた。私が愛した不夜の街は、20時を回る頃にはすっかり夜の闇に沈むようになった。今が緊急事態宣言が下された有事にあるという非日常感だけが、当時の私が得ることのできる唯一の刺激だった。
 そんなある晩、野暮用で街に出かけることがあった。
 春なのに嫌に冷たい雨が降りしきり、明かりの灯されていないビル群は鈍色に、しかし妙な光沢をもってテラテラと艶めいていた。行き交う人々の姿も、通り過ぎてゆく車の影もなかった。だだっ広い大通りに延々とタクシーが停車していて、赤いランプが百鬼夜行行燈あんどん のように不気味に連なっていた。巨大な電光看板は、もう広告するものも、広告する相手もいなくなったとでも言うように、雨に画面を黒々と濡らして沈黙していた。

 それは普段私が知っている、喧噪の坩堝かんか のような街ではなかった。その日その時間、その街には、ただ染み入るような雨音だけが響いていた。
 横断歩道で信号待ちをしていた私は、信号が青になっても、そこから一歩も動かないでいた。普段矢鱈滅多に走り回って一度も立ち止まったことがなかったその街の、カタストロフ後のような静けさに、立ちすくんでしまっていた。この風景の中に、いつまでもとど まっていられはしないかと切なくなった。
 その時思った。
 故郷とは親しんだ土地のことではない。故郷とは、胸を打つ光景のことだと。

 

 

 ああ私は何も、自分が属せる土地を探して漂浪しなくったって、ましてや海を越えなくたって良かったのだ、と思った。疫病の猛威も多少収まったことで、人通りも車の通りも以前より各段に増して、あの街の光景はきっと二度と見ることは叶わない。しかし今も胸の内に、あの雨だけが音を立てて降る、時の止まったような都会の夜景があることが、私を浮浪児たることから遠ざけ続けている。胸を打つ光景というのは、決して目に見える世界になくったっていいはずだ。永続的なものでなくったっていいはずだ。

 それは夕暮れの図書室でめくった文庫本の、黄ばんだ頁の合間に挟まっている。

 それは誰もいない深夜のリビングで点けた、テレビの液晶画面の向こうに広がっている。

 なけなしの日銭で入り浸る喫茶店で流れる、安っぽいシャンソンの中に歌われている。

 もうどこで見たかも覚えていない、しかし瞬きを忘れて見つめていた思い出だけが確かな、一枚の煤けた油絵に宿っている。

 私たちはあの時に覚えた戦慄のような魂の震えに、いつも立ち返る。その感動は火花がまばゆく弾けた後に細い白紫の煙がたなびいているような、ほんの刹那の閃光スパーク であったけれど、魂の在処ありか に迷い、人生の盲人であった自身がふと戻りたくなる記憶として永遠であった。身震いしながらも今尚この現世うつしよ に両脚で立っていられる堅牢な心の礎として、永遠であった。懐かしさと一抹の切なさと共に時折思い出す瞬間として、永遠であった。

 それを「故郷」と呼ばずして、一体何と呼ぶのだろう。

 

 

 私が静寂の都会の景色に囚われた春────コロナウイルスが流行を始めた季節は、私がYouTubeを始めた時期と重なる。始めた理由は色々とあったけれど(詳しくはこちらの動画を参照:【1000人記念動画】Youtubeを始めた理由、その内のひとつに「孤独な好事家の集まる箱庭を造ること」というのがあって、居場所もなく彷徨う変わり者たちのサロンを電子上に築くことができたらと考えていた。それは私自身がかつて孤独な青春期を過ごしたからでもあったが、それと同時に、魂の寄る辺というふるさとのない放浪者に、故郷への道筋を示せたならという想いも何処かにあった。3年前、雨降る夜の横断歩道に立ち止まっていたあの時、YouTubeを始めようと思ったのだった。

 自分だけ、教室の喧噪のいつも外に居た。自分だけ、居間の机でひとり冷めた夕飯を食べていた。自分だけ、朝の通勤ラッシュの人の群れとは逆方向に歩いていた。自分だけ、自分だけ、自分だけ……。私たちはこの世に居場所のない根無し草デラシネ であるかもしれなかった。けれどそれは黒い稜線で囲まれた、沈み込んだつまらない土地にしがみついているからだと気が付いた時、私たちはその惨めな盆地を捨て去って、すぐさま空想の世界に飛び立つことができる。い精神と生への憎に突き動かされた、しかし「ここではないどこか」を希求する何よりしい創造の果てに────暗く悪しく美しいカルチャーの中に、胸を打つ鮮烈な光景は広がっていて、その感動はいつだって自身を迎え入れてくれる永遠の桃源郷になりうるだろう。

 好事家の郷里はかくして、何者も侵すことのできない夢想の聖域に顕現するのである。

 遥かなるかな、我らが故郷。

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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《雲海の上の旅人》