ケー・ドルセー41番地

ケー・ドルセー41番地

毎月月末、館より届く鈍色の便り

第六書簡「ファッショナブル・アングラ」

 学ランとセーラー服。着物と軍服。遺影と柱時計を抱え、背後にはためくのは日章旗。般若面や狐面、数珠や呪符といった呪術的なアイテム。見世物や同性愛といったマイノリティ要素。背徳的な娯楽としての殺傷、自傷、折檻 ────サディズムマゾヒズムの合間を行き来する露悪的な描写。血と日の丸の赤。夜と制服の黒。包帯と白塗りの白……。

 以上は、近年インターネット上で「アングラ」と称され散見されるビジュアルの一傾向を雑多に羅列してみたものである。それは戦時、あるいは戦後まもなくの昭和のイメージの中で、青少年による日本的な猟奇趣味を描こうとする表現形式だ。

 本来の「アングラ」に視覚的な一貫性はないはずが、上記の「アングラ」にひとつのパターンが見受けられるのは何故か。非常に局所的なところからインスピレーションを得ているそれらから見えるものは、内包する何もかもが希薄になった、とあるカルチャーの形骸化した姿だった。

 

 『好事家の矜持』とタイトルした前回の記事で、私は日本における「サブカルチャー」と「サブカル」の違いに軽く言及した。まあこの辺りの話は個々人で大きく認識が異なることもあるので話半分に読んでいただきたいのだが、広義の「サブカルチャー」は、あくまでメインカルチャーに対する副次文化の総称にすぎない。高度なハイカルチャーほどの完成度を持たず、メインカルチャーほどの大衆性も持たないカルチャーの雑多な括りだ。

 一方で「サブカル」は、この「サブカルチャー」の略語でありながらも、その意味するところはちょっと異なってくる。確かに「サブカルチャー」と同義で(時に侮蔑の意を込めて)使われることも多々あるけれど、世間一般に価値がないとされているものを敢えて俎上に載せ再評価し、独自に体系付けていくような指向がそこにはある。メインストリームから零れ落ちた、あるいは見逃されているものが「サブカルチャー」で、それにこそスポットライトを当てる行為、あるいは価値がないことを逆に自負しているようなカルチャーが「サブカル」だと言えば、何となく伝わるだろうか。

dilettantegenet.hatenablog.com

 

 そんな「サブカルチャー」と「サブカル」の区別と似て、「アンダーグラウンド」と「アングラ」にも、微妙なニュアンスの違いがある。

 「アンダーグラウンド」とは、広義では、表世界に露出できないような非合法で反社会的なアレコレ全般のことだ。犯罪だとか薬物だとか、普段は隠れている社会の暗闇部分みたいなものだと思ってもらえれば良い。ハイカルチャーほどの完成度もなくメインカルチャーほどの大衆性もないという点では「サブカルチャー」と同じだが、「サブカルチャー」よりも一般人の目に触れにくく、場合によってはあまり迂闊に触れない方が身のためなのが「アンダーグラウンド」だ。「サブカルチャー」がアウトサイダー(outsider)ならば、「アンダーグラウンド」はアウトロー(outlaw)と形容できるだろうか。

 「アンダーグラウンド」の略語である「アングラ」は、勿論好奇と恐れ、時に嘲笑、侮蔑のニュアンスを持って「アンダーグラウンド」と同義で使われることもあるのだけれど、そうではない場合、かなり特化した括りとして使用されているような印象を受ける。「アングラ」の志す表現は「前衛」だ。そしてそれを突き動かすのは、反体制、反商業というメンタリティである。とにかくやることなすことすべてに、「あらゆる権威的なものに迎合しない」というカウンター精神が溢れまくっていて、その様子に頑なすぎるものを感じることもしばしばである。

 

 何故「アングラ」はそのような性格付けをされたのか。それはアンダーグラウンド」を「アングラ」に変えたのは、安保闘争学生運動の嵐が吹き荒れる60年代に頭角を表した前衛表現の先導者たちだったからだ。「アングラ」のとにかく権威(それは「多数派」という暴力性を持った大衆、メインカルチャーを意味することもある)を毛嫌いする傾向は、この60年代特有の時代風潮が根っこにある。術、映像、舞踏、音楽 ────様々な分野で、既成概念や既存社会に反発するような実験的表現が試みられ、それらが「アングラ」と評価、あるいは揶揄されていったことで、「アンダーグラウンド」という漠然とした括りは「アングラ」というジャンルとして独立していった。

 だが世間の「アングラ」のイメージを最も決定づけたのは、何を隠そう演劇である。当時の演劇界では新劇に異を唱える小劇場運動が勃興していたのだが(この辺りの流れを知らない方は寺山修司の特集動画で全て解説しているので参照してほしい)この小劇場運動の別称がズバリ「アングラ」だった。「アングラ」と聞いて演劇のイメージを思い浮かべる人が多いのは、ここに理由がある。特に小劇場運動を巻き起こし牽引した第一世代を「アングラ」と呼称することが多いが、アングラ四天王などと言われ代表として挙げられる唐十郎寺山修司佐藤信鈴木忠志の内、圧倒的に「アングラ」のイメージが強いのは、寺山修司ではないだろうか? 私がテラヤマテラヤマうるさいからそのイメージが付いてしまったという好事家もいるかもしれないが。

 寺山修司が上手かったのは、テキストのみならずなくビジュアル方面でも具体的な表現を行ったことだ。彼は劇作家、演出家としてだけでなく、映画監督、写真家としても活躍したので、舞台と同時に、映像や写真という形でも視覚情報をあまた発信した。横尾忠則粟津潔宇野亜喜良花輪和一といった、インパクトの強いアーティストを美術に起用したのも巧みであった。見ただけで「あ、寺山修司だ」と思わせるビジュアルイメージを、あらゆるメディア手段を横断、駆使して寺山は確立させた。

 百聞は一見に如かずと言うと聞こえが良すぎるが、大衆を煽動する力という面において、残念ながら言語情報は視覚情報に劣ることがある。文章を読まない(読めない)人間がいるのは世の常だ。Twitterやブログよりも、InstagramYouTube方が圧倒的に影響力が強い。私が本来は文章を書く人間でありながら、YouTubeという手段を取っている理由もそういうワケにある第一書簡「麻薬商人の告白」参照)。言ってみれば寺山は、ツイッタラーとして出発しながら、インスタグラマーとしても成功したようなものだ。アングラ演劇の主導者たちの中で寺山が最も「インスタ映え」していたが故に、「アングラ」とは、アングラ演劇のイメージ以上に、寺山修司及び天井桟敷のイメージに引っ張られるようになった

f:id:DilettanteGenet:20220128233912j:plain
f:id:DilettanteGenet:20220128233331j:plain
田園に死す』は寺山の初期のビジュアルイメージが分かりやすい作品だ。

 

 そうして寺山が具体付けた「アングラ」イメージは、後年のアーティストに独自に引用されていく。丸尾末広はその典型的な例だろう。実写より自由度の高いイラストという手段を武器に、学生服の青少年、見世物小屋、日本の呪術的風景……といった寺山作品に多用された要素を、流血や殺傷といったより過激でグロテスクな描写をもってリバイバルさせた。丸尾末広の面白さは、画風も作風もすべて引用だらけの空虚でありながら、その猟奇的世界が見る者に多大なカタルシスをもたらすオリジナリティを獲得している点にある。が、この内実の伴わない「アングラ」イメージが、丸尾末広が若年層に受けたことで、ガワだけ広まってゆくことになる。

f:id:DilettanteGenet:20220129013427j:plain

寺山劇の再演を行っている演劇集団「池の下」の『身毒丸2000』に際して、丸尾末広が書き下ろしたポスターイラスト。丸尾らしい流血表現が見える。左下には寺山修司の似顔絵。

 

 年末に私は「まぼろし博覧会」という静岡県のディープスポットを動画で特集したが、R指定というバンドがそこで撮影したというMV(2015)は、近年の「アングラ」イメージを伺い知る一例としてなかなか興味深い。

 散見されるモチーフは学ラン、セーラー服、日本軍服、日章旗、遺影、柱時計、般若面など、寺山に端を発し、丸尾に引き継がれていった要素だ。隊列を組んで行進しながら歌っているのは、かつてサーカスや見世物の呼び込みを行ったジンタのイメージが根底にあると思われる。時折画面が虹色にチラつくのも、田園に死す『蝶服記』といった寺山映画の特徴を連想させる。

 歌詞も印象的だ。「よってらっしゃいみてらっしゃい」は見世物口上の切り出しとして有名な文句で、「指詰め」「眼球をペロペロ」「猟銃で頭を撃ちぬけ」など随所に散らばるショッキングなフレーズはその後に続く「見世物狂い」に繋がるのだろう。つまりこの曲はMVと合わせて見ても、見世物小屋の猟奇世界を描きたいのだと想像されるが、合間に突如「帝都に咲かせたこの命」というコールが挟まれる。作り手側としては「帝都で見世物に狂い遊んだ」というようなニュアンスを意図していたかもしれないが、「命を咲かせる(そして散る)」という言い回しは軍歌で多用されるそれなのだ。そもそもタイトルが『帝都に死す』な時点で、見世物に生きて死ぬという享楽的なイメージより、国に殉死するといったイメージの方が先行する。コール時のMV映像が花吹雪を散らし小太鼓を叩いているというのも、図らずとも出征を連想させる演出になっている。「見世物」と「戦時」という、本来まったく関連性がないはずのふたつがここには共存している。そしてそれを初めてやってみせたのは、何を隠そう、寺山修司

 

 R指定はボーカルが丸尾末広のファンを公言しており、CDジャケットのデザインにも丸尾を起用していることから、彼の影響を受けていることは確実だ。バンドメンバーが寺山修司までよく勉強しているかは不明だが、しかし寺山が作り上げた「アングラ」イメージが、丸尾末広に表面的なビジュアルだけ掬い取られ、近年そこからさらなる無造作な取捨選択と引用が行われている一例として、このMVは興味深い例だと思う。

 ちなみに冒頭の口上を担当しているのはストロベリーソングオーケストラというバンドの団長・宮悪戦車であるが、彼もまた寺山修司の影響を公言するひとりである。犬神サアカス團だったり、グルグル映畫館だったり、「カッコイイ」と感じるものを文脈を無視して自由に引用する傾向は、音楽シーンに特に顕著であるように思う。 

 

 誤解しないでほしいのは、別段私はそうした「ガワだけ引用」を、手放しで評価することはないが非難しているワケでもないということだ。どんなカルチャーも、それが「カッコイイ」とウケればウケるほど、核となる思想性を無視して表層だけを切り取られ、薄められ、形骸化していく。それを批判しても意味はない。すべてのカルチャーが必ず辿る宿命だからだ(勿論ウケなくて切り取られる以前に消滅するカルチャーもあるんだけど)本来何かしらの意思表明の代替だった視覚表現は、見て着て楽しい「ファッション」になる。そしていつかそのファッションも飽きられて、消えていく。

 そんな普遍的な流れを思う時、今やただの記号、若者のファッションとなった「アングラ」の終焉を、ふと感じる。

 私は前回の記事で「サブカル」の形骸化を指摘したが、だからといって「サブカルチャー」自体が絶えるワケではないということも同時に書いた。それと同じように、「アングラ」も今やファッショナブルな記号となってしまったが、「アンダーグラウンド」カルチャーは今もどこかの地下で数知れずうごめいているワケで、続々と勃興しているそれらの中から、再びかつての「アングラ」のように先鋭化してゆくものは生まれるだろうか、と夢想する。そういえば、飴屋法水率いた東京グランギニョルの『ライチ光クラブ』という舞台は、登場人物は学生服を着た少年たちだったが、その背後に広がるのは戦時、あるいは呪術的な日本の土着風景ではなく、インダストリアルでメカニックな世界だった。これは寺山に侵食された「アングラ」イメージの系譜を汲みながらも、その昭和臭い感性を否定し、戦後を振り切って先進国として急発進した80年代の感覚へと換骨奪胎した結果だった。しかし古屋兎丸がエンタメ漫画として本作を21世紀に蘇らせたことで、やっぱりこれも今や若い世代の消費コンテンツ、お洒落なファッションとなっている。しかし損なわれたカルチャーへの郷愁を、現状への恨み言に還元するのはナンセンスだと思う。郷愁はあくまでパーソナルなものとして、新しいカルチャーの誕生を、今もこれからも期待していたい。

 混沌とした「アンダーグラウンド」の闇の中から新たな「アングラ」の産声が聞こえて来やしないかと、耳を澄ませながら、ひとりごちた。さよなら、ファッショナブル・アングラ。