ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第五書簡「好事家の矜持」

 私たちは不思議な時代を生きている。言葉がかくも無力になりながら、しかし何より言葉を恐れている、矛盾した時代をだ。

 今日も電子の海 インターネット に無数のあぶくのごとく生まれる言葉は、無関心にスワイプされ、情報の濁流として意味もなく流れ去っていく。練りに練られた含蓄ある文章よりも、スマホで奇妙に補正された出来合いの画像に膨大なハートマークが押される。もはや言葉に重さはなくなった。言葉は大量生産され大量消費されてますます価値を下げてゆく、デフレの渦中にある哀れな商品にすぎなくなった。

 同時に一方で私たちは、何より言葉を恐れるようにもなった。気軽に放ったはずの言葉が、「正義」と「博愛」という使い勝手の良い大義名分によって振りかざされた凶刃 ナイフ ――社会的中立性 ポリティカルコネクトレス を欠いていると糾弾され、人道的に許されないと批難される恐怖に、日々怯えている。冗談は虚言とあしらわれるようになった。虚言は デマ と敵視されるようになった。いつかインターネット掲示板2ちゃんねる」上に記されたこの書き込みは、今やあまりに有名だろう。

嘘を嘘と見抜く奴は増えたが、嘘を嘘と楽しむ奴はほぼ消えた」。

 私たちは今、何よりも言葉を軽率に消費しながら、誰よりも言葉を軽薄に使わなくなった。

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 つまらない事実を尻目に、くだらない虚構に徹底して遊ぶ姿勢は、かつて「サブカルチャー」的と呼ばれた。サブカルチャーとはあくまでメインカルチャーに対する副次文化の総称にすぎないが、日本では、政治闘争の敗北が生んだ「しらけ」の風潮が、自虐と軽佻浮薄の態度を育み、独自の「サブカル」として発展してきた経緯がある。真面目を笑い、不真面目なことにこそ真面目になってみせるその「サブカル的態度」は、言葉だけ借りるなればまさに「真情あふるる軽薄さ」だった。

 サブカルの王といえば、みうらじゅん氏の名前を出さないワケにはいかない。学生運動が敗北戦を強いられ始めた60年代後期に萌芽を見せ始めた上述の「サブカル的態度」は、70年代に若者を中心に広がりを見せ、80年代には一種の社会風潮として支持されたようだが、その先導者のひとりは間違いなくみうらじゅん氏だろう。

 しかし彼はかつてラジオの中で――「みうらじゅんサブカルジェッター」だったと記憶しているが――このような発言をしたのだった。

我々のようなサブカル世代は、もはや滅びゆく運命にあるんでしょうね」。

 メインカルチャーが存在している限り、サブカルチャーが滅びることはない。次々と勃興する新しいカルチャーは、内実はともかくひとまず副次サブ 文化と呼称することができるからだ。しかしここでみうら氏がサブカル世代」と呼称しているのは、上述の「サブカル的態度」を持つ人たちのことだった。無責任な笑いと無軌道な知的好奇心に突き動かされることを美学とするこの世代は、今後ますます消えていくだろうと、みうら氏はラジオで呟いていた。副次文化 サブカルチャー は永遠に存在しても、80年代素振り サブカル はもはや「オワコン」となりつつあるのだ、と。

ja.wikipedia.org

 それでも、今なお「サブカル」という言葉は乱用され、その愛好者を名乗る者は後を絶たない。「サブカル的態度」の発端の多くは、例えば「クラスの輪に入れない」「最近の話題についていけない」といったような謂わば「自分はメインにはなれない」という被虐意識からだが、その先に表明される「サブカル的態度」の方向性は、今の若者たちとみうらじゅん氏らの「サブカル世代」とで決定的に異なっている。

 かつての「サブカルは、一種の抵抗レジスタンスだった。いや、それはまだ60年代のカウンター精神を引きずっていた、サブカル初期の話かもしれない。かつての「サブカル」は、メインストリームと永遠に交わらない平行線を描きながら存在するものだった。自分はメインにはなれないという自虐は、自分はメインでなくても生きられるという自負をも内包していた。「なるほど私はメインではないけども、こっちはこっちで楽しくやりますから、どうぞ放っておいてください」というような矜持と、その矜持が何のためにもならないからこそ何にも縛られることのない自由とが、かつての「サブカル的態度」の内にはあった。

 しかし今はどうだろうか。自分はメインにはなれないという自虐が、自分こそがメインになってやろうという自惚れに通底してはいまいか。昨今の「サブカル的態度」は、メインに背を向け自身の感性と嗅覚だけを頼りにカルチャーを逍遥することを知らない。メインをチラチラと横目にしながら、その時点で主流とされていない副次文化を探し出し、敢えてそれを愛そうとする。「なるほど私はメインではないけども、こんなものを愛する面白い私を、貴方は放っておいてもいいのかしら」という天邪鬼な声が聞こえる。しまいには、サブカルメインカルチャーより価値があるとでも言うような、文化の系譜を完全に無視した「サブカル賛歌」まで散見される。そこにもはやクールな自虐は存在しない。肥大化したエゴがあるだけだ。カルチャーの風来坊のお供であり、在り方そのものであった「サブカル」は、今はもう、承認欲求を満たすための道具にすぎなくなった。

 

 そんなことを綴っている内に、アーヴァンギャルドの松永天馬氏が似たようなことを書いているのを発見した。過去への批評と解釈、そして限られた情報の中から自身で独自の文化史を体系付けようとする「サブカル的態度」の喪失について、彼はこう投げかけている。

 現代のサブカルに、批評があるだろうか。尖ったものがあるだろうか。
 クリームソーダの炭酸の泡には、盛り付けられたバニラアイスのなかには、ガラス片が仕込まれているだろうか。
 ただ甘ったるい、人工甘味料の味だけで満たされてはいないか。人工着色料の青や赤にうっとりし、その毒性には気づかないまま口に運んではいまいか。

 以下に、記事本文へのリンクを貼っておく。

note.com

 

 

 80年代素振り サブカル にもうひとつルビを振ることができるとすれば、それは「おたく」かもしれない。この「おたく」という呼称は、中森明夫が1983年にロリコン漫画雑誌『漫画ブリッコ』に掲載したコラム「『おたく』の研究」が初出とされている。「運動音痴で勉強だけが取り柄のネクラ」「コミックマーケットでだけ異様にはしゃいだ姿を見せる冴えない中高生」等を「おたく」と命名する――といったような嘲笑的なその内容には読者から批判の投書が殺到し、中森と読者の間では一悶着あったりなかったりもしたのだが、これが結果的に「おたく」という呼び名が定着する発端となった。そして「おたく」という存在が広く認知されるようになったのは、宮崎勤が引き起こした東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件であることも忘れてはならない。宮崎がビデオテープや漫画雑誌を収集していたことから、現実と空想の区別がつかなくなり犯行に及んだとマスコミが報道し、ここから「おたくは犯罪者予備軍である」という偏見が長らく世間に蔓延することとなった。

 そんな熾烈な偏見と差別に晒されながらも好きなものへの愛を曲げなかった「おたく」たちには、一種のプライドがあったように思う。「おたく」たちにもきっと先述の「サブカル世代」と似た、「クラスの輪に入れない」「最近の話題についていけない」といったような「自分はメインにはなれない」という被虐意識があっただろう。しかしメインになれないという自虐と同時に、「おたく」には、好きな作品への熱情と知識量なら誰にも負けないという自信があった。長らく被差別的存在であったことがむしろ反動となって、彼らの並みならぬ探求力に余計に拍車を掛けたような気もする。「サブカル世代」のみうらじゅんと対比して、「おたく」の先導者のひとりを挙げるなれば、「オタキング」こと岡田斗司夫氏の顔が思い浮かぶ。

 しかし岡田氏は2006年、新宿ロフトプラスワンで「オタクイズデッド」と題して繰り広げたトークの中で、このような発言をしている。

もうオタキングというのもいないわけですよ。オタクがないわけだから。

 岡田氏は様々な仕事の中で、当時(2006年)20代の自称「オタク」たちと関わってきた。しかし彼らは、ある声優が大好きだと言いながらも彼女をイベントに呼ぶ勇気はない、コレクションはすべてネットや売店で買ったものだけ、等々、その愛に何か突き抜けた――狂気じみた熱量がないのだった。「萌えが分からない」と言われると「オタクとしてけしからん」と批判するような排他性がありながら、一方で「アニメが好きな自分を分かってほしい」という強い承認欲求をも彼らは持っている。そんなイマドキの「オタク」を見て、岡田氏は「オタクは死んだ」と感じたという。勿論この場合も、「アニメや漫画が好きな人はいなくなった」という意味ではなく、「自分(岡田氏)の世代のような『おたく』はもはやいなくなった」という意味で、である。

 岡田氏の言葉を借りるなれば、「自分の好きなものは自分で決める強烈な意志力と知性」の持ち主こそがおたくだった。それは一度好きだと感じたら、自身の感性と嗅覚だけを頼りに突き進んでいくという一種の矜持だった。対象は何も漫画やアニメでなくたっていい。SFでも、コンピューターでも、ミリタリーでも何でも良かった。そしてそれが世間に価値が認められているかいないかなんて、おたくにはまるで関係のないことであったはずだった。

 しかし今の「オタク」像は、それらがすべて逆転していっている。日夜SNSの中でキラキラと輝く人々を卑屈な思いで眺めていた彼らは、早く自分も「何者か」になりたかったのだった。そんな時、好きなことに脇目もふらず猪突猛進する「おたく」像が、何だかカッコ良く見えた。彼らは「おたく」と呼ばれたくて、アニメや漫画を沢山見ようとする。アニメや漫画が好きで堪らないから「おたく」と呼ばれた(呼ばれてしまった)人の姿は、もうそこにはない。ロボットアニメの系譜を辿るために代表作を年代順に観ていくだとか、一監督の作風を各作品で比較するだとか、自身だけの文脈でカルチャーの海を泳ぎ渡り、自身だけの体系付けを行うという試みはもはや放棄され、そのシーズンに放映、発売されている商品を数ばかり消費しようとする。

 沢山観ること、沢山買うこと――今や「おたく」とは最も勉強した者ではなく、もっとも消費行動を行った者の名称となった

 これで自分も何者かになれただろうかと、彼らは周りを見回す。そして未だ健在する「オタク」への偏見に、怒りを露わにする。「オタクは気持ち悪いものなんかじゃない。仮にそうだとしても、自分だけは例外だ」。もはやそこには、自分はメインになれなかったという自虐すらない。ただ「好きなものに対してこんなにも熱心な自分は認められるべきだ」という自己承認欲求 エゴ が暴走しているだけだ。世間の非難なんて「おたく」にはどこ吹く風だったはずが、世間が認めてくれないことが今の「オタク」には我慢ならない。彼らが好きなのは作品そのものではなく、その作品を好きでいる自分自身だった。作品の価値を認めてもらえないということは、自分自身の価値を認めてもらえないということと同義だった。

 「おたくだからといって偏見の目で見ないでほしい」という言説は何だかチグハグだな、と思う。間違っているのは偏見の目で君たちを見る世間ではない。「おたく」という肩書を偏見をもって乱用している君たちなのではないか。

 

 

 緊迫した、しかし意味のない言葉で満たされた現代で、軽薄な「サブカル的態度」はもはや危険になった。自由な文化探求は強迫観念じみた消費行動に取って代わり、自虐とプライドの狭間で名乗られていた肩書――ともすれば差別意識と嘲笑のもとに押し付けられていた蔑称――は、承認欲求を満たすための小綺麗なファッション、自分語りのための都合の良い道具 ツール と化した。

 かつて好き勝手にそれらを自称していた私は、そんな実情を肌身で感じて、そこそこの反省と共に「サブカル」や「おたく」という言葉の乱用をやめた。それらの内実がすっかり変わってしまい、さらに言葉自体がますますデフレーションを起こしている今、「サブカル」も「おたく」もスッカラカンのもぬけの殻になってしまったように感じられた。

 そんなことを言いながらも2020年、YouTubeを始めた折に、私には再び肩書きが必要になる。「ジュネ」という安易なペンネームはあるけれども、チャンネルで前面に押し出したかったのは私個人という偶像 アイドル ではなく、紹介しているカルチャーそのもの、また主流 メイン とはとても言い難いカルチャーを自信を持って愛する態度だったから、そうした姿勢(大袈裟に言えば生き様)を視聴者が明確につかめるような、分かりやすい言葉が要されたのだった

 そうして私は、「好事家 こうずか 」を名乗るようになった。

 使い始めてから、この言葉があまりにしっくりくることにちょっぴり驚いている。「好事家」とは、手元にある新明解国語辞典をそのまま引用するなればこういうことだ。

こうずか【好事家】

〔「ず」は「事」の唐音〕普通の人には何の興味も無いような物事に関心を寄せる人。

 要はただの、かつての「サブカル世代」「おたく」なんである。しかしあえてそれらを名乗らないことが、自身の価値観が世間のそれと違っていること自体は自覚しているけれども、「サブカル世代」「おたく」がやりがちだった自虐には絶対に走らない、という高飛車な態度の表明に繋がっていく。好事家だって孤独なのだ、いつも社会一般の価値観から蚊帳の外にされ続けているのだ。しかしそれを「孤高」として、時に必要以上に誇ろうとする意固地な足掻きが、好事家という言葉には見え隠れしているように思える。「私は世間には迎合しません」と斜に構えてはいるのだけど、結局は本当は、世間に迎合できないだけの不器用さんなのだ。それを自嘲するのが「サブカル世代」で、そのせいで嗤われていたのが「おたく」だった気がするけれど、「好事家」はプライドの高さ故に、反対に世間を嗤ってみせるという傲岸不遜っぷりを発揮する。

 そう、好事家とは、かつての「サブカル世代」「おたく」的な属性を持ちながら、そのメンタリティはまさにイマドキの「サブカル」「おたく」なのだ。

 ただの副次 サブ にすぎない立場を特権だと盲信できる愚かな幸福にひたりながら、同時に自身が何者でもない、名もない俗者であることを自覚しているからこそ、虚勢を張る。好きなことへの愛は確かであるから文化探求に努めはするが、未熟さ故に手法も頭も至らない、しかしそれに気が付かないまま薄っぺらい知識を披露しては悦に入っている――そんな自身の在り方に、好事家という言葉はとてもピッタリな気がした。そしてこの言葉には、かつての「サブカル世代」や「おたく」という言葉にもはや内包しきれなくなったイマドキの浅学者にわかたちを受け入れる器量もあるようにも感じた。憧れは人一倍、知能は半人前という事実を自覚しながらも自虐しきれない幼稚さを抱えて、それの何が問題だというのだろう。みうら氏も岡田氏も、その発言の中で「イマドキの〇〇はけしからん」という否定は一切していない。自分たちのような人間は今後いなくなるだろう、という寂寥をただ語っているだけだ。きっと今後も「サブカル」や「おたく」と言う言葉は乱用され続けるだろうが、一方でその形骸化に辟易した人たちへ、「好事家」という名のプライドを、私はここに用意しておきたい。

 

 賢者になれる才覚はない。しかし賢者を夢見る愚者に徹せるほど、私たちは謙虚な人間にはなれない。自身は賢者を夢見る愚者だと謙遜する素振りを見せながら、本当は自分は賢者に違いないという幻想を捨てきれずにいる。

 賢者に憧れる愚者に憧れる賢者になりたい、ただの愚者。しかしそれでも多分構わない。もはや擦り切れた古着となってしまった「サブカル世代」も「おたく」も脱ぎ捨てた先の、新たなファッションがそこにある。そして好事家の好事家たりうる矜持もきっと、そこにあるのだろうと思う。

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Photo:サクヤシキ