ケー・ドルセー41番地

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毎月月末、館より届く鈍色の便り

第四書簡「花のエロティカ」

 自然物より人工物が好きだ。あらゆる動植物のすがたかたち、万物の現象を美しいと感嘆する心はあるけれど、それが今まさに脈動している天然の結果なのか、そこから一度切り離された遺物、あるいは模造品 レプリカ であるかどうかには執着がない。遥かな中秋の空よりは、どちらかと言うと経年の教会天井画を見上げていたいし、満天の夜空よりも天象儀 プラネタリウム で星を眺める方が何故かロマンチックに感じる。爛漫の花畑の香気にまみれるよりも羽毛の西洋座布団クッション の山に埋もれて憂鬱に暮れていた方が詩人になれる気がするし、ちょこまかと煩わしい動物を飼うよりは、黙する標本を買って眺めている方が愉快だ。求めるのは「心地良さ」ではなく「精神の快さ」だった。流転する営みへの賛嘆より、神経質な偏執によってあらゆるを意図的に手配した箱庭的世界での吟詩こそ、我が信念だという気がする。

 こんなことを言うと、自然物は永遠ではなくいつか朽ちるからこそ良いのだ、という声が聞こえて来そうだ。しかし「移り変わるものこそ美しい」という言い回しは聞こえこそいいが、まったく論理として成立していない屁理屈である。

 日本文化に親しみがある者であれば、「はかなさの象徴」と聞けばまず桜を思い浮かべる者も多いと思われるが、「桜は散るからこそ美しい」という言説はあまりに短絡的というものだ。桜が美しいのは、桜が美しいからである。ほの白い、やや灰がかったようにも見える絶妙な淡色や、散り際がまるで夢幻の吹雪のようである様が人の情感を掻き立てる装置となっているだけなのであって、それ以上でも以下でもない。重要なポイントは、古来より日本人はこの桜にある概念――「無常」の感を重ねてきた点にある。「無常」とはご存知の通り仏教教義で、一切のものは永遠ではなく、人の一生もまたはかなく虚しいものであるとする思想性だが、日本では世の中が非常に不安定であった平安時代から鎌倉時代にかけてこの観想が広く浸透し、以降の我々の文化性や精神性に大きな影響を及ぼしてきた。この「無常観」が桜の派手な散り様によって想起させられるので、我々は桜に対してただ「美しい」と感じる以上の、より深く切ない「もののあはれ」の感を抱くに至るのである。桜と無常観のイメージリンケージは、例えば『伊勢物語』82段「渚の院」にあるこの有名な歌にも端的に表われている。

 散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき

 「桜は散るからこそ美しい」という上の句の言い回しばかりが現代では抽出されてしまっているのであるが、この作者は(作者は未詳である)何故そう思われるのかということについて下の句で「この辛い世の中にはずっと永遠に存在するものなどないと感じさせられるからだ」ときちんと詠っている。つまり「桜は散るからこそ美しい」という言説を正しく直せば、「桜の美しい散り様はこの世の無常を思い起こさせるからこそ、情緒を掻き乱されて一層感じ入るものがある」となる。「桜の散り様」と「美しさ」の中間には日本人の「無常観」という重要な導管パイプ が挟まっているのであり、このパイプを無視しているから「桜は散るからこそ美しい」というレトリックには論理の飛躍を感じるのだ。

 「移り変わるものこそ美しい」という言い回しは美少年愛好においても、「少年という現象は一過性のものであるからこそ美しい」というような形で乱用されている。過去に私のチャンネルでは、中島梓栗本薫のエッセイ『美少年学入門』を取り上げたが、中島はその冒頭の「少年派宣言」(もとは1978年10月『COMIC JUN』創刊号に掲載された声明文)において、少年とは「滅び」の代弁者であると説いている。それを彼女は「子どもと大人のあいだの一時期の男性」*1を意味しているのではなく、少年という一回性の生物が「この世の生物にすがたをかえてゆく」*2までの有限な期間だと言うのだが、そのどちらにせよ少年はやがて「滅び」ゆくものなので、だからこそ愛でるのだという。

 この「美少年の刹那性」については、ギリシア悲劇や日本の古典においても滔滔と説かれているが、その言い分が成立するためには第一に愛でるに足る「少年」がいなければならない。まず美少年がいて、その美しさに心酔するからこそ、その美がやがて終わりを迎えるのが惜しまれるのだ。これがただの(もしくは残念な)「少年」であれば、誰にも何も悔やまれることもないのではないか。「移り変わる」ことは「今、愛でる」理由にはなるが、その対象が「美しい」理由そのものにはならない。この場合は、「移り変わる」ことと「美しい」ことの前に、「愛でるに足る少年が存在する」という前提が必要なのだ。

 というワケで「移り変わるからこそ美しい」という言説は、そこに至るまでの前提あるいは思想性を必要としているので自然物そのものへの純粋な嗜好の根拠とするにはイマイチ脆弱で、自然物礼賛の十分条件にはなりうるかもしれないが必要条件にはなりえないものである。そもそも人工物だって、いつかは必ず朽ちるのだ。人が地上で勝手をする前からただ存在した自然の盛衰を傍観しているよりも、人が叡智を集め懸命に生み出した成果が無惨にも破壊されてゆくやりきれなさの方が、痛烈に胸に迫るものがありはしまいか。

 しかし以上の私の屁理屈は、生花を前にして勢いを失う。実は花に対してだけは、図らずもその生気に揺さぶられてしまった経験が無きにしも非ずなのである。

 

 それまでの私は例に漏れず、花もまた自然物である必要性を感じたことがなかった。むっとするような香りを放つ生々しい薔薇よりも、少女漫画の背景に舞う白黒 モノクロ の薔薇の無重力を愛したし、銀細工の薔薇の硬質な冷たさの方がずっと好ましかった。以前私のチャンネルで特集した中井英夫は、植物学者の血を継いでいたが故か、その自宅を薔薇で埋めつくし毎年「薔薇の宴(本人がそう称していた)を開いていたが、一方の私はそんな細やかな情緒はおろか、植物を1ヵ月以上枯らさずに育てられたためしがない。言われた通りに水をやって、陽光に当てているはずなのに、あらゆる植物が日に日に生気を失ってその内木乃伊 ミイラ になってしまうのだからやってられない。

 私の家系には、花が好きな人が多かった。それは花の意匠があしらわれた服飾品が好きであったり、園芸趣味の一環であったりと様々だったのだが、皆、花の色彩や形様に惹かれた結果のように思われた。母親も例に漏れず活け花が好きで、師範資格を取るまで長らく華道教室に通っており、幼少期の私は毎週教室に連行され、しかしすることがないので畳部屋の片隅で退屈しのぎに絵を描いていたのを覚えている。絵を描きながら、この切り花が何だの花ぶりはどうだのと師範と母親が言葉を交わしているのを横目に見ていたが、彼女らの感嘆に共感することは一度もなかった。それは私が当時まだ、花というエロティカを理解するための実体験を持ち合わせていなかったからであった。

ja.wikipedia.org 花とは、植物の性器である。「まァ綺麗なお花」と言ってるのは「まァ綺麗なおペニス」と言ってるのと同じなんである。花をプレゼントする行為が求愛に結びつくのは、それがセックスの暗喩メタファ だからだ。しかし果たして性器そのものは、本当に美しいナリをしているだろうか? 性器を目にした時に湧き上がる情動は、そこに付随するイメージが自身の中で連想されるからであって、性器の形それ自体に由来するものではない。性器を賛美する人は官能の悦びを知る人であろうし、そこから目を背ける人は性の懶惰を受け入れない人だと思われる。性器が猥褻物として法に明記されている現代において、それを露わにすることは必然的に「社会的タブーを犯す」という背徳の悦びが付随するし、それを目にすることもまた然りだ。
 しかしそのような各々のバックグラウンド、社会倫理を全く排した状態で、性器それだけが目の前にあった時、胸中に生じる感情は概して特別なものではないはずだ。そこには別段鮮やかに彩られているワケでもない、ただただシュルレアリスティックな形状の肉塊、ともすればグロテスクな異物が転がっているだけである。

 花も同様だ。その色かたちは、我々ホモサピエンス含め動物のそれよりは多少バリエーションに富んだ華やかさがあると思われるが、結局それに付随するイメージがなければ、その真なる美しさ――エロティシズムに接近することはできないのだった。

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バイロスの蔵書票


 私が花というエロティカを解する経験を得たのは、ほんの3年ほど前である。急性虫垂炎を発症し、痛みにのたうち回りながら病院に辿り着いた私は、その日のうちに入院を強いられることになってしまった。かねてより楽しみにしていた大きな旅行をふたつもキャンセルしなければならなくなり、またその日暮らしの放蕩生活を送っていた根無し草デラシネ にとって入院費用は相当な懐の痛手でもあり、たかが虫垂炎、されど自分にとってそれは驚天動地の大事件であった。日頃の不摂生のせいか症状はなかなか改善せず、寝ても起きても腹が痛い、食事を読書も寝返りさえも腹が痛くてままならないという地獄に、私はあっという間に憔悴してしまった。つかの間の夢見さえ漂白してしまいそうな清潔すぎる寝台に横になっていられず、ヨタヨタと部屋を這い出てみるのだが、そこに走り回っているナース服の母性たちがこちらに美徳の矛先を向ける嫌悪感に耐え切れず、またスゴスゴと部屋に帰ってゆくという愚行を何度も繰り返した。気分はもはやヒポクラテス不夜城の囚人……不純な輝きと不潔な体臭で満ちた日常が恋しくて堪らなかった。どのくらい困憊していたかといえば、院内のコンビニまで歩けるようになった折、店頭に並んだ雑誌の表紙の色鮮やかさに胸打たれ涙してしまったくらいである。

 その時事態を聞いた知人から連絡が届いた。花でも届けようか、という親切であった。私は「ベッド脇に花を飾ってそれに癒しを求めるなぞ我が美学に反する痴態である!」などと憤慨して即座にお断りしたのであるが(実に失礼な話だ)、一方でふと、この荒漠とした視界に花の一輪でもあったならどんなに心安らぐだろう、と考えてしまったのも事実なのであった。

 そう思い始めると、もう止まらない。かのハンス・ベルメール(←動画で特集済みなので未見の好事家は是非)は人形制作の傍ら銅版画も多数残していて、無数の曲線が裸婦や性器を錯覚させるその特異な作風は実にエロティックなのであるが、それに似て、花のかたちと官能のかたちは無限にオーバーラップすることに、突如私は気が付いた。それは花が特定の何かに似ている、ということではない。脈拍が波形をとるように、情動にもまた波形があり、それこそは花の曲線だということを知ったのであった。脳内に花を思い描けば描くほど、それはLSDの寄せては返す幻覚のように広がって、色彩の毒々しさに惑わんばかりであった。かねてより花の香りを良い匂いだと感じたことがなかったが、それは快適なフレグランスではない、扇情の媚薬なのだと、エロスの香りだったからだと思い知らされた。そしてこの花というエロティカは、生花――生々しい臭いと肉感をふりかざす自然物であって初めて完成するに違いない

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ハンス・ベルメール《踊り子》

 普段タナトスの影あるものばかり愛する私が、何故その時かくも花というエロティカを所望したのか。それは虫垂炎でお腹が死ぬほど痛かったからである。要はとてつもなく不健康な状態にあり、それによって憔悴し、自身そのものがタナトスの側にいたからだった。そうして初めて、私はエロスのかぐわしさを知った。エロスとは性愛ではない。「生の欲動」そのものだ。「生」への欲情を煽る花のエロティシズムに、その時の私は身震いしながらも、抗えきれない己を発見したのであった。そうか、花を愛する人デストルドーに牽引される己を知り、そして花を前にしていつもこの熱い戦慄にリビドーを取り戻していたのだ。そうでなければ――「まァ綺麗なおペニス」と言っていることにも気が付かずただ花をチヤホヤしているだけならば、それは自分が生きているか死んでいるかも分かっていない、ただのとんまに違いない。

 

 当初数日で帰れると言われていた入院は、結局1週間と数日を要した。いつまでも痛みの引かない術後の傷を抱え、這う這うの体で帰宅する最中に、家の垣根に爛漫と咲く山茶花を見つけた。

 そこで自分がどれほど立ち止まっていたかは、もう記憶にはない。

 

*1:中島梓(1987)『美少年学入門』集英社文庫, p.12

*2:同上, p.10