ケー・ドルセー41番地

ケー・ドルセー41番地

毎月月末、館より届く鈍色の便り

第三書簡「言葉の標本箱」

 漢字が読めない。

 大した取り柄のない私が唯一胸を張れる情けない自負とは「読み間違いで掻いた恥の数だけは、誰にも負けない」である。

 漢字が読めない。私のYouTube動画には、たまに口の動きと発音が連動していないカットが紛れ込んでいる。このことにすでにお気付きの方がいたらその洞察力には驚嘆するが、実はあれは編集中に漢字を読み間違えていることに気が付いて、後で音だけ録音し直し、映像にツギハギしたカットなんである。自分で書いた原稿を自分で読み間違えているということである。馬鹿である。

 学生の時分、一番の得意科目はずっと現代国語であったが、漢字の読みだけはてんでダメだった。現代文読解がどれだけ得意でも、漢字の書き取りでどれだけ点数を稼いでも、読みで全部ポシャにするのが試験での毎度のお約束だった。読めない漢字があまりに多いので、そしてあまりにこっぱずかしいので、私も自身が犯した失態をいちいち覚えてはいないが、辛うじてまだ記憶している最近の失敗談をここで打ち明けてみよう。

 「雑木林」――何と読むか? こんな熟語は小学生でも読める。「ぞうきばやし」である。

 しかしこれを私は生まれてこのかた20年以上、まさかの「ぞうきりん」と読んでいたのである。

 動物園でもあるまいに! まるで景色はサファリパーク。静かな木立の風景が突如『ライオンキング』の世界に豹変である。

 

 何故こうも漢字が読めないのかと、頭を捻ってみたことがある。ただの勉強不足、オツムが足りないという悲しい現実はひとまず横に置いておいて……ある日ふと思い当たったことがある。

 私は昔から人と話すことが大の苦手で、これまでの人生、音声コミュニケーションを避けることに全労力を注いで生きてきた。小学生の頃はあまりにクラスメイトと話したくないが故、教室にいる間は勿論、通学の最中ですらひたすらに本に噛り付いていたので、当時のあだ名は二宮金次郎であった(歩き読書は危険なのでやめましょう……私も校門で先生に見つかっては怒られていた)。決して私は、読書熱心な子供だったワケではない。人の「目の前の作業に集中している人間には声を掛けづらい」という心理を利用して、携帯電話もない環境でその状況を発生させるため、本というツールを手にしていたにすぎない。

 2週間に1度、母親が連れてくれる地元の図書館で、私は武器の選定に精を出した。これからまた2週間、学校生活を再び耐え忍び戦い抜けるか否は、ここで良い本を選べるかどうかにかかっていたのであった。当時すでに日本の街並みの猥雑さや生活の殺風景に辟易していた私は、徐々に西洋ファンタジーにのめり込んでいく。『デルトラ・クエスト』『指輪物語』『ダークエルフ物語』『ドラゴンランス』など、鎖帷子や板金鎧の金属音と魔法の炎できらめく別世界に連れて行ってくれる本を片っ端から手に取っていたと記憶している。この時の西洋趣味が今現在のゴシック趣味へと繋がった話は、500人記念動画で語った通りだ。


 ただ私がそうしたファンタジー小説の物語をきちんと理解して楽しんでいたかといえば、実はそうでもない。私はそれらに心の原風景を求めていたので、もっぱらストーリーは二の次で、登場するモチーフひとつひとつに憧れては溜息をついていたのだった。宝石をちりばめた王の黄金の 胴締 ベルト 高貴な騎士 パラディン の血濡れた 長剣 ロングソード 翼竜と獅子が縫い取られた 外衣 タバード 異端者 ジャウール の遺した写本、 妖精 エルフ の忘れられた禁苑――それらが如何に綺羅綺羅しく思え、暗く塞いだ魂の牢獄にまばゆい光を反射させてくれたことか。小説に美しい異世界 こいねが った私は、徐々にそこに自身の灰色の心象風景を彩どってくれるモチーフを求めるようになった。口に発して使うためではなく、色彩のない世界を装飾するための 蜻蛉玉 ビーズ を探すようになった。これが私の「言葉の蒐集癖」のはじまりであった。

 

 ひらがなには色――それもほとんどドぎつい原色が付いているので、いろとりどりの芋虫のように見える。例えば「」は赤色、「」は黄色、「」は緑色、「」はまた黄色で「」は紫色……という風に。文字や数字に色が付いて見えたり、音を聞くと色が思い浮かんできたりする現象を共感覚というそうだが、私は別に色が頭に浮かぶだけで見えるワケではないし、色が付随しない文字もあって何ともいい加減な感覚なので、どうも共感覚とは違うらしい。ひらがなは確かにいろかたちは愛らしいが、柔らかくて頼りなくて何だか標本には向かないような気がして、積極的に蒐集しようと思えない。

 一方のカタカナは、標本の対象である昆虫そのものよりも、むしろ展翅のための銀ピンだ。それらはただの無色の記号、意味のないランダムな数字の羅列と同じで、いくら眺めても感慨のひとつわかない。カタカナの多い文章は言葉の合間に銀線が張り巡らされているようで、語感がパラついていると感じた時に引き締めてくれる心地良さもあるが、空想の可動域を狭めてくるような鬱陶しさを感じる時もある。

 やはり至高の美しさを誇るのは漢字である。それは天上の蝶であり、夢中の蛾であり、極彩の甲虫である。杉松のしなやかさと金銀の冷たさを持ち、錦繍のように繊細でありながらますらおのごとく雄々しく頑強で、画数が多いほどに私はその線の隙間に細い銀ピンを刺し込みたくて堪らなくなる、お前を標本したいという衝動が抑えられなくなる。

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こんな感じ……。

 煩い教室の片隅で、代り映えのしない通学路で、息の詰まるような自宅で――たったそれだけで構成されていた世界の中で、私は書物を手に取った。そして、その中の異世界に飛び交う無数の活字の群れの中に魅力的な標的を探し出す遊戯に耽った。今も残るノートの罫線の上には、そうして集めてきた数多のきらびやかな言葉たちが静かに並んでいる。彼らには死んだ昆虫のごとく、音が付随しなかった。それらは私にとってコミュニケーションのために揃えた道具ではなかったからだ。それらは発語するためではなく、書かれ、愛でられるためにあり、物事を説明するためではなく、世界を装飾するためにあった。私はそんな音のない言葉たちの、花の化石のような、古い銀器のような、乾いた静けさをこそ愛した。世間ではそれで恥を掻くのだという事実を、私は不幸にも(幸福にも?)長らく知らないでいた。

 

 長野まゆみの著作に『ことばのブリキ かん という本がある。精美な言葉遣いが広く支持を受けている長野が、「食べ物」「鉱石」「色彩」「天文」など各項目に分けて、自身の好きな固有名詞を並べて編んだ、小さな字典だ。例としてその一部をここに少し引用してみよう。

 例えば「花ぬすびと」と称された植物の項目には、ハリエンジュ 満天星 まんてんせい サルトリイバラ夜合樹 ねむ といった言葉が並ぶ。「ねむ」なぞは「合歓」と書くのが普通だが、「私は夜合樹と書く方が好きだ」という作者のコメントがわざわざ添えられている。また「卵から生まれた少年」と称された鳥の項目には、 不如帰 ホトトギス 斑鳩 いかる 翡翠 小啄木鳥 こげら といった言葉が並ぶ。カタカナもひらがなでもなくあえて漢字で綴るところや、そのどれもが小型の端正な鳥であるところに、ヘッセの『デミアン』に影響を受けたという、鳥と少年のイメージが強く結びついた長野らしい感性が垣間見える。この字典はまさに、彼女が蒐集したお気に入りの言葉たちを大切に仕舞った「ブリキ罐」なのである。

 私は長野まゆみの理科趣味や理想主義には共感しないが、彼女の言葉への偏執的なこだわりには大いに同族意識を覚える。私なら植物の項目には、 鎧草 アンゼリカ 月桂樹 ローリエ 銀盃花 ミルテ 迷迭香 ローズマリー などを並べるだろう。鳥……にはあまり興味がないので、動物の項目として、そこには石竜子 とかげ 金花蟲 ハムシ 白豹 アーミン あたりを挙げてみよう。それから私にとって一等美しく見えるのは建築物や服飾を示す言葉で、字典を編むならばこのふたつの項目は外せない。建築物の項目には、 方尖塔 オベリスク 天文台 オプセルヴァトワル 回廊 ガレリイ あたりを収め、服飾なら 頚飾 ネックレス 箍骨 クリノリン 頸垂帯 ストラ ……また金襴緞子と書いて「ブロケード」「ダマスク」と読ませたい。

 私は長野のようなすずやかな言葉よりは、銀細工のような冷厳さと、ゴシック教会のような荘厳さを湛えた言葉が好きだが、そのおごそかさのためには、上記のようなペダンチックな仮名を振っても決して滑稽に成り下がらないような重厚な「形」もまた重要である。美しい言葉には、美しい「綴り」も必要不可欠なのだ。しかし私たちの音声コミュニケーションは、概してその美しさを取りこぼしてしまう。発語に綴りなんて関係ないからだ。

 

 言葉がその厳格な綴りによって内包していた美しい「音なき音」。衣擦れのような、鈴の鳴るような、流氷が溶けるような、 虎落笛 もがりぶえ のような……耳ではなく、胸の内にこだまして聞こえてくるそれは、口にした瞬間にただの雑音に成り下がる。どんな玲瓏な言葉も、発語によって展翅に失敗した蝶のごとく崩れ、野卑な鼻息やけたたましい笑い声と一緒にドロドロに混ぜ合わせられてしまう。

 私は口をつぐむ。現代の私たちは自身の話し言葉をそっくりそのまま文字に、文章に落とし込むことができるけれども、かつてはきっとそうではなかった。話し言葉が決して書き言葉とリンクしなかった、そんな神聖な時代があったのだ。私は決意する。手元にあるこの言葉の標本箱を、決して安易に開けるまいこの硝子蓋の奥に詰まった美しい沈黙を決して穢すまい、と。

 そうして会話を拒否し続けて、いつの間にか私は、立派な「コミュ障」になってしまった。


 そんな言葉への偏執的な感性が、「雑木林」を「ぞうきりん」と読ませたのだと言ったら、流石に言い訳が過ぎるだろうか。「雑木林」という文字列からはサーカスのような妖しさと、背の高い何かが連立している様子が連想されて、何だかゾウとキリンと読めるような気がしてしまうのである。勿論、そんな戯言が誰にも伝わらないことも充分に理解している。「ぞうきりん」の誤りによってあの時現場に沸き起こった笑いに、私も一緒になって笑っていた。所詮、読み方なんてどうだっていいのだ。書き言葉の美しさ以上に言葉の美しさは在り得ないのだから、話し言葉しか扱えない場面なぞ下衆な態度で臨んでおけばいいのだ。どうだっていい下衆いことにだけは、人間はいくらだって笑っていられる。

 話すことを知らないまま、自身の大切な書き言葉だけで通じ合えたなら、僕たちはどんなに美しいいきものになっていただろう、と時々思う。互いの標本箱を見せ合って、そっと微笑みだけを交わすような。

 そう思いながら、私は今日もカメラの前で、低俗な話し言葉をまくしたてている。

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第ニ書簡「血と女」

 『孤狼の血 Level2』を映画館に観に行った。人に誘われて付き添っただけだったので、原作となった柚月裕子の小説は勿論、前日譚となる映画1作目すら観ていなかったのだが、案外そつなく出来ていてちゃっかりシッカリ堪能してしまった。帰宅してからAmazonPrimeですぐに前作を観たくらいには良かったと言っていい。小説を原作とした1作目を知ってしまうと、完全にオリジナルストーリーである2作目の派手で過剰な演出が少し目に余るような気もしなくはないが、そこはまあご愛嬌。

 私は普段、邦画をあまり観ない。おセンチな学芸会には興味がないからだ。例えるなら運動会だの文化祭だの、感動と共感を強要するためだけに作られたハリボテが子供の時分から私は苦手だ。黒澤明小津安二郎が監督した時代のもはや古典の域に入る映画であると、例えどんな無粋な役者が出てこようが別世界の作品として観れてしまうのだけれど、最近の映画になるともう目も当てられない。犬の如く奇声を張り上げてみたり、子供でももっと神妙な表情を知っているぞと言いたくなるほど、険しいのだかトボけてるのだか、ふざけた顔真似をしてみたり、役者自身がどう演技すべきかをまるで分かっていないから、観ている側もどう観れば良いのかサッパリ分からない。何故日本の役者はこんな惨憺たる有様なんでしょうと知人にボヤけば、作品に何も思い入れがないからだろう、という返答。彼曰く――これは園子温監督のエピソードだそうだが――オーディションにやって来たあるフランス人の役者に参加理由を尋ねると、彼は園監督の作品を片っ端からあまねく観ていて、まるで当然のようにその素晴らしさを、思い入れを滔滔と語ってみせたらしい。またこれは私も敬愛する唐十郎の劇団の話であるが、ある女優はこう語ったという。

「この手の中に唐さんの脚本があるだけで、私は生きていける」

 勿論この話は知人からの又聞きなので真相は如何ほどというところだが、監督や主宰という作品作りにおける船頭へのリスペクト、作品そのものへの敬愛――それなくして本当の脚本読解も演技の研鑽もあり得ないのではないかと、そして昨今そんな熱意や愛を湛えた俳優は日本においてますます数を減らしているばかりではないかと、知人の話を聞きながら考えたりしていた。

 ちなみに斯くも偉そうな役者論を捲し立てている私自身は、おが付くほどの立派な大根である。その昔寺山修司唐十郎好きが高じて演劇人を志したことがあるが、あまりの才能の無さに2日で辞めた。以前、寺山修司を特集した動画の中で久方ぶりにちょっとした小芝居に挑戦してみたが、台詞の棒読みもいいところで、周囲の人には随分と笑いのネタにされたものだ。最近の役者の醜態を見ていられないというのは、実は一種の共感性羞恥でもある。

 

 話が逸れた。『孤狼の血』は、広島に割拠するヤクザたちの抗争と、それを取り締まる警察の腐敗を描いた物語だ。1作目で先輩刑事の意志を継いだ暴力犯捜査係・日岡秀一松坂桃李は、2作目において、刑期を終えシャバに放たれた上林組組長・上林成浩しげひろ 鈴木亮平と激しく衝突することになる。冒頭では昨今の俳優への不平不満を連ねてしまったが、松坂桃李はさておき、鈴木亮平の鬼が憑いたようなただならぬ演技には本当にヒヤリとさせられてしまう瞬間が何度もあった。このふたりの火花散らした戦いが2作目の見どころで、暴力に次ぐ暴力の連続、終盤の血だるまの乱闘にはもはや一種のカタルシスすら漂う。そんな男たちの喧嘩と殺戮を安全快適な観客席で眺めながら、私は「やっぱり男が血を流して殴り合っているのはイイわねえ」などとトンチンカンな悦に入っていた。最近あまりバイオレンスを観ていなかったが故の感動もあるが、他者に傷付けられ、他者を傷付け血を流すのは、やはり男に限る。

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ちなみにこの直後に吉田恵輔監督の『空白』も観たが、打って変わって気弱な店長を演じる松坂桃李に「この人いつ怒鳴り出すんだろうなあ」と思っている内に終わってしまった。

 

 じゃあ女はと言えば、女は取っ組み合って血を流したり流させたりなんかしない。女の乱闘なぞ誰が見たいんでしょう……それはただキーキーと騒がしいだけの猿の乱痴気だ。銃も手にせず、刃も握らず、自らの体内からだくだくと血の涙を流してみせる――それが女である。

 その昔、日本を含むアジアの一部の地域には「忌小屋いみごや」という家屋が存在したと聞く。月経中の女性を家族や村人から隔離しておくための小屋で、それはホルモンバランスの乱調によって疲弊した女性の療養のためだったとも、男性に不浄をうつさないためだったとも言われているが、仮に後者だったとしても(倫理的な是非はさておき)別段驚くには値しない。男にとっての血は外傷によって流れるものであって、それがひとりでに勝手に流れ出るなぞあり得ないことなんである。そりゃ気味が悪くて目に入らない場所に遠ざけておきたくもなるだろう、と私でも思う。

 

 ただここで私が言いたいのは、「股から血を垂れ流すのが女です」という与太話ではない。あらゆるジェンダーセクシャリティが肉体という監獄から自由になりつつある現代において、性差の判別を生体機能に依存することはすでにナンセンスだ。今後すべての性が人類という大区分の前に解体されてゆくその先では、「男性的/女性的」という類別表現すらも忌諱され、淘汰されていくのかもしれない――などと未来を空想しながら、まだ辛うじて「男性的/女性的」という形容詞が有効である今現在、私がそれを用いるとすれば、その区別は「傷の在処」「血の流し方」に依りたい、という話をここではしたい。

 月経はあくまで例え話だ。外傷もないのに月が満ちるとひとりでに血が零れ出すように――内に無数の傷を抱え込み人知れずおびただしい血を流すような、そんな心持ちを私は「女性的」と呼びたい。

 

 女の執念深さ、恨みの強さを物語るエピソードは枚挙に暇がない。神話や民話においても、女は一度復讐仇討ちを決意したら最後、化けて出たり死んだ後にも呪い続けるというという。そのド根性っぷりにはもはや一種のたくましさすら感じる。なるほど、『安珍清姫伝説』では、美僧・安珍に婚約を反故にされた清姫が嘆き死んで大蛇に化けるが、その火を吐きながら安珍を追いかける様、釣鐘の中に隠れた安珍を焼き殺してしまう様は、女の執念斯くやという描写だ。また女の呪いと言えば『四谷怪談』のお岩さんなぞが思い浮かぶが、裏切者の夫を呪い殺すに留まらず、一家根絶やしにまでしてしまうのだからその怨念たるや何とも凄まじい。神話においても、ヘーラーだのイワナガヒメだの嫉妬に狂って蛮行に走るのは大抵女神で、古今東西執着心の塊として描かれるのは見事に女だらけだと笑いたくもなるが、この理由こそ、女の血の流し方に由来するのである。

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日高川草紙絵巻』より。釣鐘の中に隠れた安珍を焼き殺す清姫……だったもの。

 男の血は傷付け傷付けられてその肌の上を流れる、と先程書いた。信頼する人に陥れられた、愛人に裏切られた云々、対人関係の中で被った傷は、剥き出しの敵意や当てのない暴力、とめどない慟哭、自暴自棄な態度――すぐに怒りや悲しみとなって外に流れ出す。そうした可視の流血こそ「男性的」だ。この流血は目に見える分恐ろしく、また悲惨であるようにも思われるが、手当をしなくとも吹きすさぶ風にその内乾いて、傷は曖昧に塞がってしまうという強さも一方で持ち合わせている。『孤狼の血』で私が感動していたのは、殺し合うヤクザたち、殴り合う日岡と上林の血まみれの姿に、そんな「男性的な流血」を見ていたからだ。

 一方で、女の血は目に見えないところに流れる。コミュニティから除け者にされた、容姿を貶された、無能と呼ばれた、恋人に捨てられた……云々、そのすべての傷は外皮ではなく胸の内に蓄えられる。この時点ですでに出血はしているのだが、身体の内側で静かに引き起こっているそれに誰も気が付くことができない。外気で血を乾かすこともできない、腹でも切らなければ自力で体内に絆創膏を貼ることも包帯を巻くこともできないので、絶えず傷を負い続けたり傷があまりに深いと、いつまでも流血を止めることができない。そうしてだくだくと流れ続ける血液は、身体の中に溜まりに溜まり、あるタイミングで一斉に溢れ出す。まるで堰堤ダムが決壊するがごとく、血の涙となって、真っ赤な呪詛となって。

 しかしこれは周囲の人間には想定外の出来事である。何故ならこの女の流血は体内で行われていたことだから、彼女がこれまでに如何に傷付き続けていたかということを、誰も知り得なかった。周囲は何故この女が突然怒り出したのかを理解できない。何故彼女の恨み辛みが斯くも深いのか、戸惑うばかりだ。そして首を傾げながら苦し紛れに言うのである。「女は執念深い」と。

 だが事実は違う。彼女は突然その怨恨を爆発させたのではない。誰にも悟られない、しかし止め処ない内なる出血が、彼女の身体の内側に憎悪の呪術を塗りこめて塗りこめて、ついに彼女を執念の鬼に変えてしまったのである。「女性的な流血」、それはいつかオーバーフローする不可視の流血である。

 

 自傷をする人の割合が男性より女性が多いこと、あるいは自傷行為が「女々しい」とされがちな理由もここにあろうと思われる。こういう「女性的」な人々は、傷を体内に受け、抱えてしまい、どうにも出血を止められないでいる。しかし流れ続ける血が飽和すると邪悪な怨鬼と化してしまうのは神話や民話にすでに散々描かれている通りである。それは自分の形を失うことであり、自分に戻れるかも分からない常闇の一本道である。例えるならそれまで「メンヘラ」の肩書きで済んでいたのが、閉鎖病棟の住民だろうか、檻の向こうの囚人だろうか――それを自らが望むならいざ知らず、きっと彼らが望まない何かに、確実にこの世ならざるアウトサイダー変化へんげしてしまう。

 そこで彼らは身体を切り裂いて瀉血する。恨み辛みが自らの魂を本当に歪めてしまう前に、剃刀を、カッターナイフをその外皮に押し当てて、今にも体内から溢れ出しそうな血の海を抜くという応急処置を行うのである。この行為は同時に「男性的な流血」への憧憬をも意味する。内なる「女性的な流血」しかできない苦しみに疲弊した彼らは、自らを自らの手で傷つけることで疑似的「男性的流血」を作り出し、痛ましくも「男性的」な一種の清々しさを体験しようとする。そしてあわよくば、世間に冷たく吹きすさぶ風が傷をどす黒く乾かして、流血を止めてくれることを望む。しかし外傷が塞がったところで、それは放水口が閉められてしまったことと同じだ。内側に抱えた傷が癒えない限り、自傷という瀉血行為が不要になる日は来ない。その傷を塞ぐのは、幾何かの月日でも、向精神薬トランキライザーでも、貴方の破れかぶれな愛でも良い。

 

 その昔、歌舞伎町で男を足蹴にしている女を見かけて、何て見事な「男性的流血」だろう、と感心して眺めていたことがある。男性の方もただ蹴られているだけでなく、何とか女性の脚を引っ掴んで転倒させてやろうと七転八倒しているから殊勝である。傷を受けたらすぐ血を、感情を迸らせる。これぞ「男性的な流血」の流儀なんである。「男性的/女性的な流血」が、どんなセックス(生物学上の性別)ジェンダー性自認に起こり得るかは人それぞれであるが、できれば「男性的な流血」を心得た方が生き易さという側面からは推奨されると思われる。しかし「女性的な流血」に一種の理想的な、病的であるが故のあはれ、恐ろしいが故の艶めかしさを錯覚してしまうのもまた事実だ。私が時折立ち寄るゲイバーのママは、かつてこう言った。「愛されたいより愛したいが先走るのよ」。黙して孤独に流血する覚悟の、何と愚かしくも気高いことよ。

 「女性的な流血」をする誰かが清姫のごとく猛り狂う大蛇に、お岩さんのごとく復讐の亡者に化ける前に、何か差し出せるものはあるだろうか、と時々思う。三島由紀夫が『仮面の告白』に書いた一文にはこうある。

「傷を負った人間は間に合わせの包帯が必ずしも清潔であることを要求しない」

 私がYouTubeにアップしている浅ましい動画が、この不埒な悪文ブログが、誰かの包帯になることもあるだろうか。

 

第一書簡「麻薬商人の告白」

 YouTubeを始めて、早1年と半分が経過した。

 動画の編集なんて一度たりも挑戦したことがなかった全く無学からのスタート、ああでもないこうでもないと次から次へと湧いて出るトラブルに右往左往している内にも月日は無慈悲に過ぎて、あっという間だったというのが正直な感想だ。未だに納得のいく動画が作れた試しがなく、自身の進歩のなさ、技術不足に辟易する日々である。

 さて、そんな肝心の動画さえ満足に作れない私が、何故こんなところで駄文を書き連ねているのか。ただでさえ更新頻度の低い好事家ジュネのチャンネル、文字を並べている暇があったら少しでも動画を作れというお叱りの声が聞こえてきそうだが、以下に並べるのはそれに対する言い分────ある告白である。

 

 

 

 私の動画は原稿ありきだというお話はすでに何度もしているところだが、その原稿を書くために資料として様々な書籍を横断している。

 その中には、日誌や批評、エッセイの類も存分にあって、例えば最近だと中井英夫を特集したので、彼の『彼方より』『月蝕領崩壊』といった日記集や、『黒鳥の旅もしくは幻想庭園』『薔薇幻視』といったエッセイを読み漁った。動画制作に急かされて本を読むというのは、熱心な読書家ではない私にとっては良い尻叩きで、お陰で中井の暗く美しい深淵を今まで以上に覗くことができた。動画を通して勉強をさせてもらっているのは、何よりこの私当人である。

 しかし、資料の内容に「ソウダソウダ」と賛同するたび、その感動を書き殴りたいという気持ちが胸の内を幾度も過ぎった。「んなワケあるかバカヤロー」と憤怒するたび、反論を捲し立てたいという衝動に何度も駆られた。こうした作者の思想や心境が綴られた書籍を読むたびに、私の中で「自分も書きたい」という思いが膨らんで、ここ最近抑えがきかなくなっていたのである。

「他人の言葉ばかり扱っていると、自分でものを言いたいという衝動が、抑えきれなくなる」

────寺山修司『ポケットに名言を』

 

 

 

 YouTubeで活動しながら、私はずっと「他人の褌で相撲を取っている」という感覚が拭えないでいた。いくら高評価ボタンが押されても、賞賛のコメントを頂戴しても、素晴らしいのは私が動画の中で紹介している文化や人物であって、私ではない。

 勿論、私は人気者になるためにYouTubeをやっているワケではないというのは繰り返し発言している通りだ。こうしたカルチャーが誰かの心の拠り所になればと、そして自身の孤独だったインナーチャイルドの供養のためにこの活動を始めたから、アイドルのように扱われたいという願望は微塵もない。むしろそうされることは不本意であり、そのような囃し方をする人はチャンネルの意図を理解していただいていないと言い切っても良い。

 だが評価されたいという想いからではなく、このままでは自分はただの卑怯者だ────文化という宿主から美味い汁を吸っているだけの寄生虫だという想いから、本当の意味で自分自身のコンテンツを持たねばならないという念に駆られていた。

 そしてそんな時首をもたげた「自分も書きたい」という欲求に、つい溜息が漏れた。やはり私は「書く」という業から逃れられなかったという自嘲だった。

 

 

 

 一部の方はご存知だろうが、私はもともと物書きだった。

 物書きといっても職業として肩書きにできるような大層なものではない。人生のまばたきするような一瞬だけライター業を経験し、作家を目指すも原稿用紙を無駄にしただけに終わった、物書き崩れである。私の書いたものを誰も評価することはなかったし、私自身、箸にも棒にも掛からぬ悪文をよくもこんなに量産できたものだと、残された原稿の山(正確に言えば原稿データ)を眺めながら常々思う。それでも書くことが辞められないのは、書くことは呼吸をすることに他ならなかったからだ。

 だいたい世間ではまず思想があって言葉が出てくるのだと思われているが、それは大きな間違いだ。確かこれは寺山修司も似たようなことを言っていて、今それをここに引用しようとしたが、手持ちの著作を引っくり返しても見当たらないのでひとまず持論を進めよう。

 そもそも誰しもが何かモノを考える時、必ず頭の中でブツクサと独り言を呟いているはずだ。人は言葉がなければ、何も考えることができない。思想があって、言葉があるのではない。逆である。言葉があって、次に思想があるのである。書くこと────言葉を連ねることは人が考えることに他ならず、パスカルは「人間は考える葦である」と葦と人の差異を思考の有無であると定義した。つまり人が人として在るためには書かねばならないという三段論法がここに成立する。それを「書くことは呼吸すること」────人が生命活動する上で必要な呼吸をすることだと言い換えるのも、ちょっとした比喩にはなるまいか。

 動画制作に必死になればなるほど、自身の形がグニャグニャと歪曲して掴みようのない異物と化していく恐怖に襲われていた。人としての形を留めておくためには、私はやはり、どうしても書かねばならなかった。

追記 (2022.10.27)

 この寺山修司の「言葉が先、思いは後」という創作態度について、私は寺山が自身の著作に記していたものと思い込み文献を振り返っていたのだが、これは記憶違いで、正しくは寺山文学及び演劇の本質を分析研究した三浦雅士氏による『寺山修司────鏡のなかの言葉』における評であった。三浦氏は本著の中で、それまでの俳句や短歌の世界では、思いが言葉を引き寄せるのであって、言葉が思いを引き寄せるのではないと考えられていた。しかし寺山は、まずはじめに言葉があり、思いはそれからやってくると考えていたため、言葉を操作し俳句や短歌をまるでコラージュするが如く作った、という旨を述べている。

 

 

 

 YouTube動画など、無料コンテンツという娯楽に脳死した患者に贈る粗悪な麻薬にすぎない。そう自責しながらも、これまでの私は麻薬商人の身分に甘んじてきた。世界のすべてが恐ろしかったかつての私は、この束の間の安息を齎してくれる麻薬をこそ求めていて、麻薬を精製し続けることが未だ胸の内で泣いているインナーチャイルドへ供物を捧げることに他ならなかったからだ。そうして惰性で1年以上麻薬商人を勤めた私だが、今ここでハッキリと書いておこう。

 YouTubeでは、何も知ることはできない。何を伝えることもできない。

 「分かりやすくて勉強になる」というYouTubeへの評価は皮肉なものだ。YouTubeというプラットフォームにおける動画コンテンツは初めから「何も考えず画面の前に座っているだけで何か知った気にさせる」ことを最大の目的として作られているのだから、分かって当たり前なんである。逆に言えば頭を使わなくても分かる範囲しか動画にはされないんである。

 無論一方でそれが学びのキッカケ、趣味の入り口として優秀なのも確かであって、私も動画を作ることでそんな水先案内人────文化という名の無数の水路の入り口を案内する────になれたらという想いがあったが、良くも悪くも案内できるのは結局「入り口だけ」だった。YouTubeという阿片窟の中では、どれだけ言葉を工夫しても、ごくごく簡単なことしか語り得なかった。そうして作る低俗な動画は、視聴者をロクデナシにする阿片にしかならず、私の私自身の言葉を封じる口枷にしかならなかった。

 開き直るしかなかった。YouTubeを続ける限りは、いくら雄弁な水先案内人を名乗ろうと私の実態は無言の麻薬商人だった。せめて中毒者の中から、未来のウィリアム・バロウズやトマス・ド・クインシーが誕生してくれることを願うしかない。YouTubeを辞めることも考えたが、このチャンネルを心の拠り所としてくれている孤独な好事家たちのことを思うととても決心できなかった。何よりも、こんな動画が欲しかった、こんなチャンネルと出会いたかったと願っていたのはかつての自分ではなかったか。「好事家ジュネの館」を1年半運営して最も楽しませてもらったのは、何を隠そう私自身だった。

 YouTubeを捨てる決意はついに付かなかった。しかしその代わりに、もっと思うままに表現できる場を作ろうと思い立ったのであった。YouTube動画という浅薄なコンテンツではとても表現しきれない、もっと自由な思索、猥雑な記録を残せる場を。

 そうして、このブログは開設された。

 

 

 

 ケー・ドルセー41番地とは、かつてロベール・ド・モンテスキュー伯爵が豪奢な館を構えていた仏・パリの一住所だ。

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アンリ・ルシアン・ドゥーセ作《ロベール・ド・モンテスキュー伯爵》1879年

 この伯爵は耽美と頽廃をその一身に具現化したようなダンディズムの権化であった。芸術家を庇護し、自らも詩文を書き、その傲岸不遜な振舞と才気煥発な会話からサロンの寵児だった彼は、プルースト失われた時を求めて』に登場する倒錯したシャルリュス男爵や、ユイスマンス『さかしま』の偏屈な貴族デ・ゼッサントのモデルになった。

 この『さかしま』こそ私が人生手本とするデカダンの聖書であるが、幻想絵画や奇書悪書に囲まれたデ・ゼッサントの「人工楽園」も、このケー・ドルセー41番地にあった伯爵の私室や美術コレクションからインスパイアを受けたと言われている。ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』の主人公ドリアン・グレイの白い胴着もこのモンテスキュー伯爵の服装を参考したとの噂で、彼が世紀末の文化人たちにとって創作欲を掻き立てられる魅惑の人物であったことは想像にかたくない。その放縦な生涯については、国書刊行会の『1900年のプリンス』が詳しい。

 私は彼のことを澁澤龍彥の『異端の肖像』を通して知り、その豪華な住まいがケー・ドルセー41番地に在ったらしいという典拠もこれである。澁澤のことだから、果たして本当に正しい情報なのかは何とも怪しいところではあるが、ここはYouTubeではないのだから、大切なのは真偽ではなく「澁澤龍彥がそう書いている」ということである。信じるならば、無味乾燥とした事実よりも、瀟洒な嘘。

 モンテスキュー伯爵が美男子・ガブリエルと暮らし、そしてデ・ゼッサントの人工楽園が顕現した土地に、「好事家ジュネの館」が屹立しているのを夢想する。そしてその館から、毎月末日になると1通の便りが届く。要領を得ない、取り留めもない、しかし確かに館の主が貴方に宛てた鈍色の手紙が……。

 そんなイメージを巡らせて、このブログのタイトルを決めた。

 更新は毎月末日。筆不精だから続くか分からないが、更新が止まったら、館の人工楽園はついに完成を見せ主人は外界への思慕をようやく断ち切ったと思ってもらって良い。貴方が引っ越さない限りは────この好事の世界に関心を失い去りゆかない限り、手紙は届き続けるはずだ。

 ちなみに鈍色とは、銀が変色して黒ずんだあの色であるが、その語源は刃物が錆びて切れなくなった「鈍る」だという。そして黒が広く喪服の色とされる以前の、日本人が服した喪の色であった。ざりざりとした語感を持つ、沈鬱だがやわらかなこの色が、私は大層好きである。

 

 

 

 架空のケー・ドルセー41番地から、この便りを送りたくて仕方なかった想いの丈を以上に記して、まずは第一書簡としたい。

 なお、この内容はブログ開設の知らせと称して以下の動画にも収録した。ご覧いただくと、私がこの手紙の中で散々綴った、動画というコンテンツが如何に薄っぺらいものか、動画にすることで私の伝えたい重要なニュアンスが如何に抜け落ちてしまっているかというイロニーがよく分かっていただけるだろう。